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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『By Trust Betrayed』Gallagher その1 ――ナチス・ドイツの安楽死作戦

 ナチス・ドイツにおける障害者の安楽死(Euthanasia)・大量殺人(Mass Killing)――T4作戦(Aktion T-4)――を検討する本。

 著者自身もポリオによって身体障害者となり、同じ境遇だったフランクリン・ルーズヴェルトを研究対象にしている。

 

 ◆所感

 ヒトラーは進歩と医療のために、「生きるに値しない命(Life Unworthy for Life)」を安楽死させた。

 ナチは障害者(The Disabled)や慢性疾患患者(Chronic Disease)、知的障碍者(The Retarded)を殺害したが、実態は、もっとも脆弱な人間たちへの迫害に他ならなかった。

 医師、精神科医たちは、自分たちが他人の生死を決める権限を持つのだ、という傲慢な認識に基づき、患者殺害に加担した。

 ナチスが行ったことを知ることは、わたしたちの社会、社会におけるマイノリティについて考える重要な契機となるだろう。

 著者いわく、障害者とは社会におけるマイノリティの1つであり、生き方の1つである。かれらはその他の人間と同じ権利を有しているはずである。

 

 障害者・高齢者は不要だから抹殺すべき、あるいは税金で生かしてやっているという考えは日本では割と身近である。

 特に邪悪ではない「普通の人びと」からぞっとするような発言をきく機会が多々ある。

 

 わたしが公務員として働いていたとき、100人単位の部下を持つ、大佐級の人物が「こういう弱い人たちはもう悪いけど生きててもしょうがないよね」という趣旨のことを話していた。この人物の部下の中には、障害児を育てている人間や障害を持つ家族を介護している人間もいただろう。

 それでこの発言である。

 

 

  ***
 導入 ハダマー精神病院(Hadamar)

 ハダマー精神病院では、プログラム14f13に基づき、終戦まで大量の安楽死処置が行われた。アドルフ・ヴァールマン(Adolf Wahlmann)とアルフォンス・クライン(Alfons Klein)の下で、医師や看護師が障害者や病人、中毒者の殺害を始めた。かれらはガス室で患者を殺害した。

 1943年以降、病院は孤児や混血児、問題児を連れてきては殺害した。移送にはバスが使われたため、近所の住民や子供たちは「殺人バス」と噂した。

 大量殺害を隠蔽するため、屍体は焼却し、一定の間隔を置いて少しずつ死亡通知を発行した。職員たちは高い手当を受け取り、守秘義務はあったが、自由に転職することができた。

 

  ***

 1 T4作戦の開始

 ヒトラー直属のお気に入りだった親衛隊軍医カール・ブラント博士(Karl Brandt)と党指導者フィリップ・ボウラー(Philip Bouhler)は、ヒトラー本人から安楽死作戦の秘密命令を受け取った。

 1939年、ヒトラーは党員から、重度障害者の子供を安楽死させたいという請願を受けた。ヒトラーはこの党員が誹りを受けぬよう、公式に安楽死を承認した。

 それから社会的無用者、障害者、慢性疾患者を殺処分する作戦が秘密裡に行われた。

 

 ヒトラーは無用者の絶滅が民族の純化・強化につながると考えており、当時の優生学も同様の傾向を持っていた。国民はヒトラーを支持した。

 1933年には、身体障害者や精神障碍者、遺伝病患者の断種(Sterilization)と、性的少数者の去勢(Castration)が始まっていた。

 

 ブラント博士とボウラー、また主任のSS大佐ヴィクトル・ブラック(Viktor Brack)、医師ハーバート・リンデン(Herbert Linden)、ウェルナー・ハイデ(Werner Heyde)、パウル・ニッチェ(Paul Nitsche)らが安楽死プログラムの中心だった。

 かれらはマルティン・ボルマンをプログラムから排除することで、ゲーリングヒムラー、内相フリックの支援を受けることができた。

 

 T4(Tiergarten Strasse 4)作戦の編成……

・予算と財政

安楽死(大量殺人)の実行

・患者の輸送

 

 T4作戦には忠誠心の高い職員が採用された。総統直属の秘密任務ということで、安楽死プログラムは魅力的な職場だった。

 医者たちは何度も会議に呼ばれ、T4作戦の説明を受けた。ほとんどの医者は特に反対もせずに従った。一部の医者は、参加を拒否し、自分の抱える患者を殺人プログラムから守ることもできた。この場合も、特に不利益を被ることはなかった。

 しかし、公然と反対の声を上げたものはごくわずかだった。

 この作戦は法律を無視しており、全ては総統の権限において行われ、医者や職員が責任を負うことはない点が強調された。

 1939年の命令後まもなく、各病院に、慢性病患者や遺伝病患者、障害者の情報を記入するフォームが送られた。ほとんどの医者は、陰で何が行われているのかを知ることになった。

 

 安楽死の対象……

分裂病統合失調症)Schizophrenia

てんかんEpilepsy

・老人性疾患Senile maladies

・麻痺、梅毒性麻痺Paralysis and other syphilitic disabilities

・知的障害Imbecility

脳炎Encephalitis

ハンチントン病(舞踏病)Huntington's Chorea

 

 士気を保つため、退役軍人や戦傷者に対する殺人処理は免除された。また、医者や職員の身内も対象から外れた。

 

 当初から、プログラムの目的には矛盾があった。

 「生きるに値しない命」を救済するための安楽死とうたいながら、犯罪歴のある障害者や中毒者が優先的に殺害された。また、民族を純化するためのプログラムでありながら、ユダヤ人やジプシーも対象になった

 

 患者情報の入力フォームは、症状の診断には不完全であり、だれが死ぬべきか生きるべきかは、医者たちが恣意的に決定することになった。

 

  ***

 2 T4作戦の起源

 T4作戦の直接の起源は社会ダーウィニズム(Social Darwinism)と、19世紀に勃興した優生学(Eugenics)である。

 19世紀は福祉政策の発展した時代でもあるが、優生学は福祉政策の過剰に警告を発した。なぜなら、遺伝的に劣った人種・民族・個体を生き延びさせることは、人類社会を劣化させることにつながるからである。

 当初、人類・人種を進歩させ、生存させるという思想は、産児制限政策として結実した。

 優生学は特にアメリカで発達し、ほぼ例外なくアングロサクソン系の優生学者たちが、劣等人種や犯罪者、遺伝的劣等者たちの隔離を唱えた。

 アメリカの優生学者は、進歩主義者とは異なり、自分たちのエリート人種社会を移民の波から保護しようとした。

 

 1920年以降、アメリカの各州で断種法が採用され、犯罪者、障害者、薬物中毒者らに対する断種と予防拘禁が行われた。アメリカを皮切りに、北欧諸国でも同じ政策が実施された。

 断種、拘禁、移民制限により、合衆国は人種的な純粋化を目指した。拘禁された障害者たちは労働力として使われたが、優生学政策推進者には刑務所の経営者や工場経営者が多数含まれていた。

 イギリスでは、断種と拘禁は議会で否決され実現しなかった。

 

 ドイツではアメリカ以上に優生学が支持を得た。19世紀以降では、ヘッケル(Haeckel)やその門下ツィーグラー(Ziegler)が優生学を主導し、遺伝患者・犯罪者らの断種と根絶を唱えた。

 もっとも影響を与えたのは、1920年、アルフレート・ホッフェ(Alfred Hoche)とカール・ビンディンク(Karl Binding)によって書かれた『生きるに値しない命を根絶する許可(The Permission to Destroy Life Unworthy of Life)』である。

 かれらの人種衛生学(Racial Hygiene)……障害者や知的障害者(The feeble-minded)を根絶すべきとする思想は、ヒトラーにも直接的な影響を与えた。

 ナチの人種衛生政策は当時の潮流を具体化したものに他ならない。その起源は、医学界、科学者の共同体、知識人たちにある。

 

 ※ 本の表題だけでは中身がわからない場合もあると考え、今回から、ブログタイトルに簡単な備考を追加することにしました。

 

 [つづく]

 

By Trust Betrayed: Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich

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【新装版】ナチスドイツと障害者「安楽死」計画

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「生きるに値しない命」とは誰のことか―ナチス安楽死思想の原典を読む

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