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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Love Thy Neighbor』Peter Maass その1 ――隣人たちが殺し合うボスニアの様子

 ボスニア戦争の初期に取材した報道記者による報告。

 現場で見聞きしたエピソードを通して、戦争によって現れる人間の本性を探る。有名な残虐行為や、後に実際に訴追された戦犯の話題もある。

 

 ◆所見

 この現地報告は、サラエボボスニア各地またクロアチアの難民キャンプ、セルビア等を取材し書かれたものである。

 著者は、セルビア人勢力が攻撃側(Aggresser)であり、ミロシェヴィッチが背後で操作している、という立場をとる。

 また、合衆国と五大国=国連は、もっと早くに武力介入するべきだったと主張する。

 戦争が続く過程で、ボスニア人勢力が戦争犯罪民族浄化に加担したことも事実であり、若干名は国際刑事裁判所で訴追されている。

 

 しかし、わたしがこれまで読んだ複数の本では、暴力によるユーゴ解体を主導したのはミロシェヴィッチとトゥジマン、それに各国の分離主義政治家たちであるというのが事実のようだ。

 ボスニアでは、非人道行為の規模はセルビア側が圧倒している。

 

 外交的・平和的解決の問題点……

 いま、まさにジェノサイドや戦争犯罪が行われているときに、これを止められるのはだれなのか。

 小国における戦争犯罪やジェノサイドを、大国は武力介入により制止する義務があるのだろうか。その判断基準はだれが決めるのだろうか。なぜなら、国連は中立の機関ではなくて、実際は、五大国の見解がすなわち国連の見解だからである。

 ボスニアのような小国であれば、合衆国による介入が成り立つこともある。

 では、ロシアや中国、フランスが非人道行為を働いていた場合、どのように不介入の理由付けをするのだろうか。

 

・一切の武力介入を否定する立場……ある地域で虐殺が行われている場合、その推移はその地域に任せるしかないのだろうか。

 この立場を保持してきたが、ついに躓いたというのが、ボスニア紛争における西側諸国の教訓である。

 

・では、ユーゴ崩壊の兆候が察知できた時点で、ロシアや合衆国が大規模地上軍を動員し、各共和国の機能を停止させることが可能だろうか。そんなことは起こりそうにない。

 

  ***

 1

・難民キャンプは、すさまじい動物の悪臭がたちこめている。ある母子は、車で数時間の道のりを、数か月かけて、山の中を歩いて逃げ出してきた。

 レイプと殺害について。

・ヴィシェグラードの虐殺……セルビア民兵ムスリムを橋に集め射殺あるいは喉をかき切って殺害した。屍体には、頭蓋を切り開かれているもの、4つの指を切断されているものもあった。

 生存者による虐殺の描写は、著者に『ドリナの橋』を思い起こさせた。

・まともな軍人による検問は、かれらが頭のおかしい人間の指揮下にはいないということを証明してくれる。一方、だらしない格好に、猟銃やその他の武器を持った者たちの検問は、そうではない。無秩序な民兵たちの中には、第2次世界大戦の軍服を着ている者もいた。

・なぜボスニアの人びとは、それまで生活してきた隣人に対し残虐行為を行えたのか? ボスニア人は野蛮人ではない。善きドイツ人や、アメリカ人も、きっかけを与えられれば容易に他人を迫害することができる。

スルプスカ共和国第2の都市ビイェリナBijeljinaでは、アルカンと彼の私兵である虎軍団が町を包囲し、ムスリムの指導者や名士たちを処刑した。

・それぞれの民族にそれぞれの歴史がある。内戦の指導者たちはいずれも、第2次大戦時の民族対立(ウスタシャ、チェトニク)で家族を失っている。ミロシェヴィッチの両親はどちらも自殺している。

・なぜミロシェヴィッチはなぜボスニアムスリムを敵視したのだろうか。ボスニアムスリムは、著者によれば、「世界でもっとも悪い」ムスリムでもある。

 かれらは酒を飲み、豚肉を食べ、モスクよりもオーストリアのショッピングモールによく行く。

 ミロシェヴィッチらは、ムスリムの脅威を口実に、セルビアの領土を拡大しようとした。共産党官僚(Apparatchiki)であるミロシェヴィッチにとって、民主主義体制に自分の未来はなかった。かれは民族主義を利用し権力を維持しなければならなかった。

・カナダ軍のマッケンジー将軍は、サラエボ空港の警備を担当したが、中立を保ったためボスニア人から嫌われた。武器禁輸は、ボスニア人を不利な立場に陥れた。

 サラエボは、両勢力が比較的拮抗していた異例の戦場だった。実際には、地方において一方的な殺戮と追放が進められていた。

 マッケンジーは、サラエボの経験だけを元に「どっちもどっち」論を唱えたために世論から反発を受け引退に追い込まれた。さらに、マッケンジーを支援していた団体の中に親セルビア団体が含まれていたことも発覚した。

 

 

 2

・悪をなすのは、ハンナ・アレントの描いた「平凡な悪人」と、もう1つ、狂った、凶暴な悪人である。

 ボスニアの各自治体を、復讐心に燃えるボスや、マフィアが牛耳った。

 

・著者ら報道記者はオマルスカ等の悪名高い収容所を取材するが、真実を知るのは困難である。インタビューを受けた囚人は後でどうなるかわからない。

・看守や民兵は、楽しみながら拷問を行った。かれらは、昔のいざこざ……金を貸してくれなかった、雇ってくれなかった、恋人をとられた、等の仕返しをするのだった。

 父親に、娘をレイプするよう命じる

 バイクと睾丸をひもで結び付けてひきちぎる

 囚人同士で睾丸をかみちぎるよう命じる

 囚人同士で死ぬまで格闘をさせる

 

・残虐行為は、先進国の人間にも無縁ではない……ジェームズ・バルガー事件、ベトナム戦争での犯罪行為、国連カナダ軍のソマリア事件、フォークランド紛争での英軍による捕虜殺害等。

 合衆国はボスニア内戦不介入方針を固めていたため、現地の外交官からの報告(虐殺や民族浄化)は握りつぶされた。一部の国務省職員は、政府の偽善に反対し辞職した。

 

 

 3

 スルプスカ共和国の首都バニャ・ルカに住み続けるムスリム男性の話。家を追われ難民となった人びとの話。

 軍隊が立ち去った後に、民兵がやってきて略奪を行った。最後に、農民たちがやってきて家具や日用品をトラックに載せて持ち帰った。

 バニャ・ルカには元々多くのムスリムクロアチア人、ユダヤ人、ジプシーが入り混じって生活していた。セルビア人は、地方のように、追放と虐殺で追い出すことはせず、自主的追放と職場追放、嫌がらせによる民族浄化を進めた。

 

セルビア人指導者は、著者にプロパガンダ用の残虐ビデオを視聴させた。トルコ人の暴虐とされた映像のほとんどはでっちあげだった。

セルビア人は、14世紀のオスマン帝国支配以降、常にトルコ、オーストリアハンガリー、ドイツによる圧政と弾圧にさらされてきた。コソヴォの戦いで敗北したラザルは、セルビア人の英雄となった。

・著者は、ジャーナリストの心に潜む虚栄心を指摘する。いわく、わたしたちは、死ぬ確率のある戦場を生き延びることで自信を手に入れ、他人に触れ回る傾向がある。

・すべてのセルビア人が、積極的に戦争犯罪に加担したわけではない。ごく一部の者が非人道行為に手を染めた。残りの大多数は、徴兵されてただ他の選択肢もなく参加した。大多数は、善良ではあったが黙って従った。

 

 エドマンド・バークの言葉……「邪悪が勝利するために唯一必要なのは、善人が何もしないことである」

 

 

  [つづく]

Love Thy Neighbor: A Story of War

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