『四季農戒書』は、「地下人上下共身持之書(じげにんじょうげともみもちのしょ)」ともいわれ、百姓大名といわれた直江兼続が農民を指導するために書いたものとされる。ただし佐々木潤之介『大名と百姓』では、『四季農戒書』で描かれている家族形態が江戸初期と異なるため、後世(17世紀末から18世紀)の偽作ではないかと推測している。
当該書では、兼続のような領主が「期待する農民像」が描かれる。
身分制社会である以上、領主が領民に対し、自身を崇めるよう要請するのは自然だろうが、それ以外の生活指導的な部分が非常に気色悪く感じた。
国王を日月と心得よ、地頭(給人)代官は所之氏神と崇めよ、肝煎(庄屋)は実の親と思え。
直江兼続とされる領主は、夫婦の仲の良さを保持するための心がけを指導する。
四月、男は未明から日暮れまで「鍬のさきのめり入ほど」田をうなえ。女房・娘は三度のめしをつくり、頭に赤い手ぬぐいをかぶり、田の辺へ持ってゆき、老若ともに、よごれた男の前に飯をすえよ。赤い衣裳をきた女房をみて、男どもは、自分の身はよごれていても、心が勇み、心労を忘れるだろう。
日が暮れて男が帰ってきたらば、湯をとり足を洗わせ、娵・姑ともに、男のあかぎれ足を、女房の腹の上にのせてなでさすれ。一日の心労を忘れるだろう。
五月、吉日をえらんで田を植えよ。……女房は化粧をし、衣裳をあらため、笠をかぶり、尻をからげ、身は黒くとも白い脚絆をして、田におり早苗を植えよ。
芋や作物の出来不出来は、夫や妻の顔面や清潔さ、品行によって左右されるという。
……また芋がよくできても、あらさびが抜けない(芋が白くならない)のは、女房のたしなみがないからである。このような女房は陰し所(かくしどころ)の掃除もむさく、悪臭がぷんぷんしているのも知らずに男に向かうだろう。
年貢を言われた通り納められないものは、借金のかたとして妻を持っていかれ、どこかにやられてしまうという。そうならないためにはしっかり働けとの指導が行われる。
やせてもこえても給人を百姓の身分の者が軽んじてはならない。
※ 給人とは知行地を与えられた大名家臣のこと
よくよく分別してみるがよい。百姓とはいえ、荒い風にも当てたくないと思うほどの大切な女房を連れ去られ、若者に盗まれ、天道に見放され、運命もつきはて、百姓のなかまにもいやしまれ、口惜しいことであろう。前々からこのようないやなことを考えて、年貢米納入について油断しないことが大事である。
「It would be a shame if something happened to it(もし何か起きたらさぞ残念でしょうなあ)」というマフィア脅迫ミームを連想した。
最後のまとめは以下のとおり。
……百姓がもろもろの業をおこない、万物をよく作りだせば、人はみな、飢えに苦しむものもなく、貧乏になるものもない道理である。そのときは仏神の御心にもかない、現世では九族まで栄え、来世では一門眷属すべて蓮華の上にのぼる。
『大名と百姓』の著者佐々木氏は、階級闘争史観を各所で打ち出しているが、この『農戒書』においては、当時の農作業の風習や、作物の種類、家族形態の指摘をするにとどまっている。
ぱっと読んでセクハラ幹部の顔が思い浮かんだわたしのほうが、現代的な雑念にとらわれているのだろう。