うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『世界の名著 モンテスキュー』 その1 ――民主主義体制の起源

 ◆メモと感想

 政治や社会に関するモンテスキューの意見は、現代にも受け継がれている。一方、いまの基準では偏見や間違いととらえられる文言もある。

 

モンテスキューは政治体制を専制君主制、共和制に分類する。共和制は、さらに貴族制と民主制に細分化される。3つの政治体制の統治原理は、それぞれ恐怖、名誉、徳性である。

 民主制が成り立つには、各市民が徳性を有している必要がある。徳性のない民主制は、ときに暴政を招き、専制にいたる。

三権分立……立法権、行政権、司法権のうち、とくに立法行政と司法との分離が重要であると考える。

 三権が分離していなければ、共和制であっても政治的自由はない。

・一般精神……社会や政府を形成するのは、土地、気候、風土、民族の慣習といった根本的な要素である、というのがモンテスキューの考え方である。こうした要素のいくつかは生来備わったものであり変化しない。

 よって、ある地方の民族は生まれつき怠惰であり、奴隷制も致し方ない、という結論が生じる。

・宗教と政治の分離、宗教に基づいた刑罰や体刑の廃止を唱える。

啓蒙主義……奴隷制廃止、異端審問への非難。

 モンテスキューは、奴隷制の一因は他民族への偏見に基づくと考えている。黒人奴隷制についても、こうした偏見が一因である。

 宣教者の精神も、奴隷制の維持に加担している。

・女性は本質上、男性に従属的であり、特に南国の女性は老化が早いために市民として不完全であるとされる。また、女性は奢侈の象徴である。

・征服権……他民族を征服したとしても、かれらを奴隷にせず、また殺戮しない限りは、征服もまた正当な権利として認められるとする。この見方は、あまりに楽観的である。

・商業……商業は平和を導く一方で、必ずしも徳性とは一致しないことを指摘する。

 

  ***
 「ペルシア人の手紙」

 フランスを旅行するペルシア人皇子からの手紙という形式を使ったフィクション。フランス社会について批判する一方、ペルシア人もまた東洋の慣習にとらわれているという設定である。

 イスファハンのユズベクは、知識欲にかられて旅行に出る。

 トログロディトの伝説……万人が利己心のみに基づき行動し、自滅していく。やがて生き残った徳のある家族が、民族を再生させる。

 

 ――……個々人の利益は共同の利益のうちにあり、それから離脱しようとするのは身を亡ぼそうとするのと同じであること、徳行はけっしてわれわれに高くつくはずのものではなく、……他人に対する正義は自分に対する施しだ、ということだった。

 

 卑劣な異民族に対し、トログロディトは団結し防御を固めていた。かれらは異民族の侵入を阻止した。

 国王を立てて統治させることは、自分たちが自らに課した徳の重荷から逃げることである。

ペルシア人の社会規範……男尊女卑

・フランスの状況

 官職売買

 国王による精神支配……インフレ促進、貨幣改鋳

 法王による精神支配と、手下の司教たちによる法の作成と免除

 

 ――スペインとポルトガルには冗談を解さぬある種の坊主(デルヴィ)どもがいて、人間を藁のように燃やしてしまうんだそうだ。

 

・東洋風専制国家……トルコ、ペルシア、インド

・フランス社会の低俗な人物たち……徴税請負人、教導僧、詩人、老軍人、艶福家(遊び人)

・決疑僧と免罪符ビジネス

 

 ――ユスベク君、原子、つまり宇宙の一点にすぎない地球の上をはいずりまわっている人間が、われこそは神の似姿なりとまともに名乗り出るのを見るとき、これほどの向こう見ずと、これほどの矮小さをどう調和したらよいのか、ぼくにはわからないのだ。

 

・スペイン人、ポルトガル人の気質……謹厳、情熱、異端審問

・東洋型の残酷な刑罰が、治安と秩序に貢献するとは考えられない。

・廃兵院(アンヴァリッド)を評価

ペルシア人は、宗教的多様性は国家に有用であると主張する。

・統治原理……

 東洋的専制:恐怖

 フランス王制:名誉

 共和制:徳行

ペルシア人の公法概念……人と人同士の民法と、民族同士の民法は同等である。

 正しい戦争とは、自衛戦争と、同盟国救援の戦争である。

 ただし、同盟は正しいものでなければならない。第三国を圧倒するための同盟、暴君との同盟は違法である。

 

 ――征服はそれ自体ではなんの権利も与えない。征服後も、なお民族が存続していれば、征服は平和と損害賠償の保証になるが、民族が滅亡するか四散してしまえば、それは暴政の記念碑となる。

 

・ヨーロッパの国々のほとんどは君主制だが、それは専制または共和制に変質している。

モンテスキューと、ロック、ホッブズとの違い……社会契約論の否定

・英国人は、君主と人民との関係が感謝に基づくと考える。君主が、暴政をおこなえば服従の根拠は消滅する。

・技術と技芸について……技芸は人間を強靭にし、無為はすべての悪徳のなかでもっとも気力をくじくものである。

 

 ――君主が強大であるためには、その臣民がおもしろおかしく暮らさなければならない。

 

・ジョン・ローの経済政策に対する批判……

 

  ***
 「ローマ盛衰原因論

 ローマ帝国滅亡の原因を検討する。

 

・ローマ初期における拡大の原動力は、めぼしい産業がなく略奪が不可欠であったこと、貧しいために絶えず対外戦争を続けたことだった。

・ローマは多民族の長所を取り入れた。

・貧しいことがローマの力だった。ローマは、全会一致で戦争に臨んだ。

・ローマ人は他民族を服属させたが、自分たちの法や慣習を強制しなかった。

・王政から貴族政へ、貴族政から民衆政体へ

・ローマにおいては、国家組織は人民、元老院、行政官によってたえず権力の濫用を阻止してきた。

 イギリスもまた議会によって政治の検討と修正が行われた。

・ローマの共和政とその終焉……ポンペイウスは人民の人気をとり、やがてカエサルクラッススと同盟した。

カエサルの台頭と暗殺、その後の内乱と、オクタウィアヌスの勝利

 

 ――アウグストゥスは秩序、言い換えると永続的隷属体制を建設した。

 

 モンテスキューによればアウグストゥスは狡猾な暴君だった。

 共和政は継続戦争を方針としたが、帝政では平和維持を重視した。

 ティベリウスは大逆罪(ロワ・ド・マジェステ)を恣意的に運用し圧政を敷いた。

 カリグラ、ネロ、コンモドゥス、カラカラなどの暴君は、財産家から財産を没収し下層民に与えたため、人民からは支持された。

 その後の帝政時代から東西分裂へ。

 軍隊の規律は緩み、外人部隊が主な戦力となった。

 

 ――このようにしてローマ人はあらゆるものの支配者となった時代の習慣と正反対の習慣を打ち立ててしまった。しかもかつてその不動の政策というのは戦術を保存することであり、隣国の戦術を奪うことであったが、この当時、自分の戦術を解体してしまい、多民族の中にそれを確立させたのである。

 ――つまりローマ人は彼らの軍事的規律を失ってしまったのである。

 

 武力によって確立した帝国は武力で維持される必要があるが、ローマは軍隊を弱体化させた。

 東西分裂後、西ローマは滅亡し、東ローマだけが残った。

 

 ――ギリシア帝国の歴史も、反乱、暴動、裏切りの織り成す歴史にほかならなかった。臣民は君主にたいして当然いだくべき忠誠心がないのみでなく、帝位継承はよく中断される……。

 ――キリスト教は帝国内で支配的になったが、つぎつぎに多くの異端が起こるので、これを弾圧しなければならなかった。

 

 教会が国家権力と結びつき、腐敗していった。

 

 ――各民族には一般精神が存在し、権力さえそのうえに基礎をおいている。権力がこの精神に抵触すると、権力そのものが衝突し、必然的に停止してしまうのである。

 

  ***

 「法の精神」は、その2以降

 [つづく]

 

世界の名著〈28〉モンテスキュー (1972年)

世界の名著〈28〉モンテスキュー (1972年)