うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦艦武蔵』吉村昭

 戦艦武蔵の建造から撃沈までを題材にした記録文学。取材を基につくられてはいるがあくまで文芸作品のようだ。

 特に建造過程が詳細に説明されており、秘密保全や、軍と会社のやり取り等、現代にも受け継がれている要素がありおもしろい。

 

・秘密保全……武蔵の外観が見えないように、造船所に棕櫚の幕を垂らす。丘の上に住宅街を憲兵保全隊員が巡視し、怪しい者を片っ端から捕まえて厳しい尋問を行う。領事館から目視できないよう、途中に市の倉庫を建設し戦艦を隠す等。設計図についても、流出しないよう厳重な対策を行った。

・軍と民間の関係……当時はまだ海軍に技術者がおり、造船将校が設計図等にも関わった。海軍から受け取った図面等に基づき三菱の技術員が建造をおこなった。会社には主席監督官以下、会社の作業を監督する軍人がおり、進捗を管理した。

 

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 大和と武蔵は、存在自体が秘密とされていた。

 大和は国営の呉海軍工廠で、武蔵は三菱の長崎造船所でそれぞれ建造されたが、この計画は当時の大蔵省や政府に対しても秘匿されていた。

 予算要求の際は、大型戦艦ではなく雑多な装備品に項目を偽装したという。

 無事完成した大型戦艦だが、既に艦隊決戦の時代が終わりつつあり、目ぼしい活躍をすることなく沈没した。武蔵は重油の消費が激しく、また敵の主力にぶつけるためになかなか実戦に用いられず、他の舟からは「御殿」と揶揄された。武蔵乗組員は穴掘りや施設作業に使われた。

 沈没した武蔵の乗組員は存在を隠され、生き残った者は軟禁されるか、または決死隊として使い捨てられた。特攻から生還した搭乗員の末路を連想した。

 

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 巨大な戦艦を秘匿するために、長崎市内の中国人を訊問したり、窓の方向を見るな、と各戸に通達したりと、だいぶ強引な保全対策をやっていたようだが、米軍の話では大和、武蔵の諸元は戦後までわからなかったという。

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 造船担当者や技師たち、また乗組員たちは与えられた作業に必死で取り組んだ。司令塔である軍や政府がなぜ適切な指示を出せなかったのかが問題である。

 

戦艦武蔵 (新潮文庫)

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