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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『The Ghost of Freedom』Charles King その3

 イマーム(Imam)と総督(Viceroy)

 アヴァール人の王族、ガジ・ムハンマドの子孫であるシャミール(Shamil)は、ダゲスタン・チェチェンにおいて、ロシアに対し長期の抵抗戦を行った。

 シャミールはイマームを名乗り、スーフィー教団を基盤として、蜂起した。しかし、かれの影響力は限定的である。敵対する部族や、シーア派、ロシアに帰順する人びとは、シャミールには従わなかった。

 

 1820年代、ノヴォロシア(New Russia, 黒海沿岸部)の総督(Governer-General)を務めたヴォロンツォフ(Vorontsov)将軍が、1844年、コーカサス副王(Viceroy)に任命された。

 かれは組織的なシャミール軍鎮圧作戦を行った。ティフリスを基盤に、対反乱作戦(Counter Insurgency)を行うとともに、コーカサスのインフラ整備、文明化を行った。諸部族をうまく懐柔し、シャミールの切り崩しを狙った。

・シャミールはオスマン帝国に支援を求めたが成果はなかった。

・1854年、クリミア戦争(Crimean War)が始まり、ヴォロンツォフの戦力は縮減された。オスマン帝国の弱体ぶりが目につき、コーカサスの反乱には寄与しなかった。

・シャミールは1859年に降伏し、モスクワで余生を送った。かれはコーカサスの英雄として伝説となったが、以後も、山岳部族の抵抗が終わったわけではなかった。

 

 残る部族

・北西部のチェルケス人たちは独立心が強く、オスマン帝国からロシアに領土が移譲された後も、支配者に対し抵抗を続けた。

・イギリスはグレート・ゲームの一環からチェルケス人たちの支援を目論んだ。

 ロシアによるチェルケス人の強制移住により、多数の山岳部族が黒海沿岸、東アナトリア(Anatolia)に移った。その過程で大量死や、虐殺が発生した。

・戦争相ミリューチン(Milyutin)、コーカサス総督バリアチンスキー(Baryatinsky)。

 

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 3 想像のコーカサス

 コーカサスがロシアや欧州諸国に与えた文化的影響について言及する章。

 

 高地人(the Highlander)の創出

・18世紀、サンクトペテルブルクを出発した2人のドイツ人……ギュルテンシュタット(Guldenstadt)とクラップロート(Klaproth)はコーカサスの研究を出版した。ギュルテンシュタットの研究は、チェチェン、ダゲスタン、カバルダ等の地名と領域を後世に残した。

・ロシア人ブロネフスキ(Bronevskii)は、1823年、様々な研究をまとめ、ロシア人向けの地理学誌を出版した。その著作はコーカサスのイメージに影響を与えた。

 囚人、余計者(Superfluous Men)、陰気者(Mopingers)

・19世紀になり、ロシア、西欧から多くの旅行者がコーカサス地方を訪れた。ピャチゴルスク(Pyatigorsk)は温泉として人気を集めた。

プーシキン(Pushikin)の「コーカサスのとりこ」について。

レールモントフトルストイの描くコーカサス

 ティフリスへの護送(Convoy)

 1820年には、ピャチゴルスク北コーカサスの一部は温泉として栄え、またティフリスへ向かうグルジア軍道(Georgian military highway)沿いには、友好的なオセチア人らが住まわされ、危険が除去された。

・テレク川(Terek River)沿いのモズドク(Mozdok)要塞……現在の北オセチア(North Ossetia)北部にある。

 

 戦争が行われる一方、コーカサスの一部は観光地、安全な道路に変貌した。

 19世紀末には鉄道が敷かれ、野蛮な部族の跋扈する危険な地帯というイメージは徐々に失われたものとなった。

 

 「高地から得られるものがある」

 コーカサスの山々……エルブルス(Elbrus)、ウシュバ(Ushba)、シハラ(Shkhara)、カズベキ(Kazbek)と、登山家について。

 イギリスの登山クラブによる山の踏破と、遭難事故について(Victorian Alpine Club)。

 

 エロスとチェルケス人

 特にチェルケス人は、性的なイメージの象徴として扱われることが多かった。

 「アラビアのロレンス」でロレンスをレイプするトルコ人は、かれに「チェルケス人か」と尋ねている。

 19世紀後半には、コーカサス地方の研究や理解が深まり、「高地人」というくくりは消滅した。

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 4 国家と革命

 バザール(Bazaar)と新興都市(Boomtown)

 コーカサスは3つの帝国の緩衝地帯にあり、地形により分断されていたため、大都市が生まれなかった。

 今日の都市のほとんどは、ロシア帝国の前哨基地である(ウラジカフカス、グロズヌイ等)。

 例外的に古くから発展した都市が、ティフリス、バクー(Baku)である。ティフリスはロシア帝国の行政の中心として、バクーは油井開発によって急成長した。

 ティフリスにはロシア帝国領から様々な民族が移住し、人口は激増した。特に、人口比では3位のアルメニア人が経済的な覇権を握った。

 

 [つづく]

 

The Ghost of Freedom: A History of the Caucasus

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