うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『個人と国家』樋口陽一

 人権主体としての個人と、主権の担い手としての国家とを考える本。

 個人の自由に対する保障をより強化していこうという考えが貫かれている。

 個別の事例にあれこれコメントする形式をとっており、漫談に近い。しかし、憲法とは何か、立憲主義とは何か、国家の役割とは何かについて考えるきっかけになる。

 また、そうした問題は簡単に答えがでない。

 

  ***

 1

 戦前と戦後で、全体的に生活は向上した。しかし、例えば女性の権利はいまだに改善されていない。

 中絶、少年法同性婚に対する自由化の遅れに著者は不満がある。

 

 2

 近年の国家のあり方に疑問を投げかける。

 

 ――……ホッブズの言う国家は、あくまで個人の安全の確保という目的のために結ばれた契約の産物なのです。だからこそ、リヴァイアサンは、永久でも万能でもなく、「死すことあるべき神」と呼ばれたのです。

 

 本来国家は、人の私的領域に踏み込むことを制限し、物質的、経済的な水準の保持には責任を持つものだったはずだ。それが、近年では逆になり、人の精神や信念に国家が介入し、一方物質的、経済的な生活水準については自己責任として突き放す傾向にある。

 

 3

 日本人にとって、法とは悪いことをしないこと、協調することという印象が強い。裁判所は、利害を調停する場というよりは、悪人を裁く場所である。

 しかし、戦国時代の都市の自治や、自由民権運動に示されるように、法と権利を積極的に活用するという運動もなかったわけではない。

 「和を以て貴しとなす」では法律はいらなくなってしまう。それでは国家の体をなさない。

 

 4

 民主主義は民衆の支配を意味し、立憲主義憲法による権力の制限を意味する。民主主義を無制限に認めた結果、20世紀には民主の名において「とんでもない物」が出てきた。

 ドイツやソ連の教訓を経て、立憲主義が再び取り上げられるようになった。

 過去においては君主の権力を制限するものだったが、現在は民主主義の権力を制限するものとなっている。具体的には、議会に対し裁判所が違憲審査によって規制を加える形をとる。

 司法権の独立と裁判(官)の独立について。

 

 5

 ヨーロッパの人権意識に比べて、アジアの人権意識は希薄であり、また地域での共通性も少ない。アジアには共通の宗教や文化がない。

 どこまでが普遍的な権利で、どこまでが文化だろうか。女性を抑圧すること、人喰いの習慣、拷問は、文化として尊重できるのだろうか。

 

 6

 日本国憲法成立過程を擁護する。

 政教分離の状況は西洋とは異なる。西洋では、強すぎる教会権力に世俗権力が対抗する過程で政教分離原則が生じた。一方、明治政府は統治機構の1つとして国家神道を採用した。

 もともと、日本では政治が宗教を世俗目的に利用してきた。これを禁じなければいけないはずである。

 大抵の憲法は敗戦や国家の転覆から生まれている。合衆国憲法は独立によって生まれたが、そこには人種差別のうしろめたい記載が残っている。

 戦争について……自分が加害者であったという点は忘れがちである。天皇主権の下でも、選挙権者が大陸進出を後押しした点は忘れてはならない。

 

 7

 改憲派は、お互いに自分たちの主張を掲げて戦うべきだと著者は書く。大東亜戦争を正当化し、国民に道徳を教え込もうという改憲派と、人道的介入を可能にしようという改憲派とは、お互いにまったく論理が異なるはずである。

 日本国憲法の重要点は「個人の尊重」である。

 

 8

 9条の役割について……米国または中ソに引きずられずに済んだという点で評価されがちだが、もっと重要なのは戦前の軍事最優先の価値を逆転したことにある、と著者は考える。

 著者は憲法改正すべきでないとする立場をとる。 

個人と国家―今なぜ立憲主義か (集英社新書)

個人と国家―今なぜ立憲主義か (集英社新書)