うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『物語の作り方』ガルシア=マルケス

 リョサの「若き小説家に宛てた手紙」とは異なる方法で、物語の創作について考える。

 

 お話をどう語るか

 「わたしにとって何より大切なことは、創作のプロセスなんだ」、人に語って聞かせたいという情熱は大きな力をもつが、よくよく考えると何の役にも立たないものである。

 彼はシナリオ教室を開いており、また映画業界の育成のために基金を設立している。また彼はTVや映画の脚本も手がけている。

 

 マルケスは、昭和天皇崩御の記事の写真から、皇后のさしていた雨傘に着目し、ここにインスピレーションを生み出す何かがあるとうったえる。

 

「あるシーンがうまくいかなかったり、失敗したりした時は、別のを捜せばいいんだ。妙な話だけど、その方がかえっていいシーンが見つかるものなんだ」。

「とにかく、捨てることを学ばなければならない」

 捨てた原稿の数が大切だという。

「捨てることが、作家になるための王道だよ」

「とにかく理想を高く掲げて、一歩でもそれに近づこうとすることだ。それと、しっかりした考え方を持つこと」。

「いい本を書くには数え切れないほどの原稿をボツにしてくずかごに捨てることだ。ヘミングウェイの言う「忌々しい発見者(shit detecter)」、つまり自己批判のセンスと呼びうるものがないとだめだ」。

 

 それぞれの物語には適切な語り口が必要だ。細部を詰めていくと、どうしてもストーリーの欠点があらわれてくる。小説家はプランを立てて書くが途中で進まなくなることがある。

 作品の全体構成が崩れては、まともな物語は書けない。物語のトーンが決まっていなければ構成は意味がなく、一貫性のある文体がなければトーンの意味はない。

 

 台本についてのさまざまな議論がはじまる。これをたたき台に骨格をしあげていく。

「短いストーリーを引き延ばすというのがいちばんよくない」。

「こういうストーリー(マジックリアリズム)は、現実というのはどの程度までたわめ、歪めることができるのか、本当らしく見える限界というのはどのあたりにあるのかといったことを知ることができるので、わたしは大好きなんだ。本当らしさの限界というのは、われわれが考えているよりも広がりのあるものなんだ」。

 

 提起された問題に対して起承転結のある物語が組み立てられる。

 作者はエリッドの、「展開のない物語」についてこう言う

 ――自分の生活の中にもっと素直に語れるような出来事があるはずだから、それを掘り起こすことからはじめたらどうだい。そこからはじめるべきだよ。実体験に基づいた物語をたくさん書いたうえで、この手のストーリーを書くのはかまわない。つまり、創作の源泉ともいえる自分の生活体験を全て書き尽したと感じたのなら、別の方向を模索するのもいいだろう。だけど、最初からこういう方向に向かうというのは、順序が逆のような気がするんだ。

 物語を意味もなくただ長く引き延ばすというのは一番悪いやり方だ。

 自分の一生は間違いだったと言って、すべての人間をののしるという状況。

「あまりにも寓意的だよ」。

 すべてを原因と結果の連鎖でつなぐ必要はない、気まぐれでもよい。

 

 続いて、守護聖人をもとにした物語がつくられる。物語は、議論の過程で大きく変わる。ここでもキリスト教社会における聖人の要素が出てくる。

「マルコス、君が言ってるのはストーリーじゃなくてアイデアだ」。

「わたしは、人物がどういう行動をとるかまずはっきりさせておいて、ついでそれを冷静にいくつかのパラグラフに要約し、そこから物語を進めながら分析していくというやり方が、いちばんいいと思うけどね」。

 運命が彼を死へと導く、死神がまだ死ぬのは早いと追い返す、運命が……

「どういう種類の作品を作るかは最初から決めておかなくてはいけない。最初はドラマを作るつもりでいたのに、できあがってみるとコメディーになっているというような、そのつもりもないのに生まれてきたコメディーというのが最低、最悪なんだ」。

 

 アルゼンチン人がカリブのバカンスにいった話を、延々と組み立てていく。

「あるストーリーができあがっていくプロセスに検討を加えることなんだ。その意味で、大事なのは探求することだ。ストーリーを追いつづけていけば、必ず方法が見つかるはずだよ」

「探求のメカニズムを探求する」。

 

 ――問いかけは探求の一部だから、当然そうすべきだ。創造的な仕事をするのであれば、問いかけは絶対に必要だ。恥ずかしくない試合をするためには、ウェルター級でもヘビー級で戦うと同じように最上のコンディションにもっていかなければならない。

 しかし、最初のアイデアが今ひとつ納得がいかないようなら、つまり、そのアイデアでは生涯の作品といえるような映画が作れないようなら……。

 

 マルケスは処女作である落葉を友人に見せたとき、「とてもいい作品だけど、優れた小説とはいえないね」と言った。

「いや、誰が書いても、処女作にすぐれた作品というのはないんだよ」と付け加えた。<わたしはひどい絶望感に襲われて、「もうおしまいだ。自分にはあれ以上のものはとても書けやしない」と考えたよ。目の前が真っ暗になったように感じ、何度もこう繰り返した。

「もうおしまいだ、もうおしまいだ……」とね>。

「小説を書くという仕事はどこまでも個人的なものだ」。

 独創的なアイデアを思いつくことが必要だ。また、そういうアイデアを思いついたときに、「これは完璧なアイデアだ、誰にも言わず、人と話し合ったりしないで、かくしておこう」と考えたとたんに、そのアイデアは死んでいく。

 

「いくら隠そうとしても、程度の差こそあれ、主人公はつねにストーリーを考えた人間と重なり合うものなんだ」

物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室

物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室