うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『神は妄想である』ドーキンス その2

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 道徳の起源は宗教であるといわれるがドーキンスはこれを否定し、道徳は宗教に先行すると主張する。

 『利己的な遺伝子』の誤解から、ダーウィン主義は道徳と相容れないと考えられている。利己的なのは遺伝子であって、個体や種ではない。

 個人がお互いに利他的で、寛大で、道徳的である理由を、ダーウィン主義から説明する。

 1、遺伝的な血縁の場合。

 2、互恵性すなわち、お互いに恩恵を与える関係が確立している場合。

 3、気前よく親切であるとう評判を獲得することにより信用が生まれる。

 4、この信用により得られる利益がある。

 猿は血縁集団で生活するため、周りの人間と互恵的な関係を結び信用を築く。現代人がまったくの他人と生活していても、他人に対して哀れみを感じたり、手助けをしたくなるのは、この習性が残っているからではないかと本書は主張する。

 善人であるためには、または邪悪であるためには、神を必要としないという検証結果がある。

 アインシュタインの言葉。

 ――もし人びとが、罰を怖れ、褒美を期待するというだけの理由で善人であるならば、私たちはまったくじつに惨めなものではないか。

 メンケンの言葉。

 ――人は本当なら警官が必要だと言うべきときに、宗教が必要だという。

 善悪の基準は神と宗教しか示すことのできないものなのか。

 現代の倫理学では道徳を義務論と帰結主義に大別する。義務論とは規則に従うことからなるものであり、帰結主義とは、行為の結果から道徳性を推し量るべきという考えである。

 義務論の一種である道徳絶対論は、宗教または愛国心にのみ確認される。

 ――神と国家は無敵のチームだ。抑圧と虐殺のあらゆる記録が、かれらによって破られる(ルイス・ブニュエル)。

 

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 合衆国民の多くが、自分は聖書をよりどころとして善人であろうとしているというが、実際に聖書を読んでいないか理解していないかのどちらかである。

 聖書は無数の作者と編集者の文章を寄せ集めた支離滅裂で奇妙な本である。

 神は嫉妬深く、また非人道的で、女性を蔑視する。モーセは金の仔牛を崇めた人びとを皆殺しにした。ロトは娘2人と近親相姦した。

 現代における道徳は決して聖書を由来にしたものではない。現代の教徒が自分なりに善悪の基準を選り好みしているとすれば、絶対的な基準を持たないということになり、無神論者と変わるところはない。

 スティーヴン・ワインバーグの台詞。

――宗教は人間の尊厳に対する侮辱である。宗教があってもなくても、善いことをする善人はいるし、悪いことをする悪人もいるだろう。しかし、善人が悪事をなすには宗教が必要である。

 『新約聖書』は野蛮と粗暴こそなくなってはいるが、この部で説かれる贖罪や原罪の教義は「悪質で、サドマゾヒズム的で、不快なものである」。

 隣人愛について、マイモニデスは次のように指摘する。汝、隣人を愛せよ、汝、殺すなかれとは同胞のイスラエル人に対して言っているのであって、異教徒には適用されない。これはイエスのいる時代からの正しい意味である。

 道徳観念は時代精神とともに移り変わり、それはいかなる宗教の影響も受けない。20世紀初頭までは女性の政治参加は考えられなかったし、19世紀、18世紀の啓蒙主義者たちは奴隷制を肯定していた。

 

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 宗教をなぜこのように非難するのか。宗教は人を思考停止に陥れ、非人道的な行為、非道徳的な行為も正当化するからである。

 アメリカは原理主義者が強い力を持った国であり、かれらの排他的、過激な言行は「アメリカのタリバン」といったサイトにまとめられている。

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 イタリアでは近代に至るまで異教徒の子供を誘拐しカトリックに改宗させ、両親から引き離すという行為が行われていた。聖職者たちはこれを貴い行為であると考えていた。

 判断能力のつかない子供に特定の宗教を信じ込ませることは児童虐待である。キリスト教の親や聖職者は子供に地獄の観念を植えつけ、かれらが自由に考える権利を奪う。

 また、宗教文化を保存するために、子供たちを洗脳する。

 ――「多様性」という祭壇に、宗教的伝統の多様性を保存するという名目で誰かを、とくに子供を生贄に捧げることについては、なにかしらがく然とするほどに尊大であると同時に、非人間的なものがある。

 一方で、文学的教養の一環として宗教文献を学んだり、比較宗教学を学んだりすることは有用である。

 英文学の大部分は聖書の語句からヒントを得ている。また、ギリシア神話北欧神話は、それを信じていなくとも理解することができ、古典やワーグナーの音楽を楽しむのに役立つ。

 

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 宗教の効能とされてきた慰めや霊感(インスピレーション)についても、神がいなくとも得ることはできるとドーキンスは考える。 

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別