みじめな奇蹟
メスカリン(ペヨトルサボテンに含まれる幻覚剤)服用時の記録。
幻覚作用が発生したときのメモ、印象などが書かれている。
漠然とした気分が連なっておりすべて読み通すのは難しい。
荒れ騒ぐ無限
前作と同じ、麻薬服用報告が8つ含まれる。麻薬を「彼女」と呼ぶ風習になじめないのでわたしは絶対にそのような言葉を使わない。
――わたしは何千体もの神々を見た。驚くべき贈り物を受け取った。……神々はそこにいた、何百体となく、互いに身を寄せ合って並んでいた(だが、ほとんど気づかれないほどの何千体もが、いや何千体よりもずっと多くの神々が、数限りない神々が、その後に続いていた)。彼らはそこにいた、いかにも自然に見える空中浮揚によって空中に吊り下がり、ごく軽やかに移動している、あるいはむしろその場で活発に動いている、そのおだやかで高貴な神体たちは。その神体たちとわたしとだけが現存していた。
砕け散るものの中の平和
薬物摂取時の落書き、詩を含む。
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アンリ・ミショー詩集
『襞の中の人生』
暴力を加えたり、加えられたりする。からだの改造、解体のテーマがよくあらわれる。
――わたしはいきなり解体工場へと運ばれた。生きたまま。全身がしびれている。彼らはすぐに、手足の腱を保管用倉庫の区分け工場へと送るため、わたしからそれを引き抜く作業にとりかかった。
――素朴な、だが血気にはやり、手におえない、素朴な気球どもの、ふくれあがった空気全体。
「何という工場!」は、短い文の寄せ集めだが、奇妙な生態や風景がつくられている。
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アジアにおける一野蛮人
インドの風土記では、インドの中に聖なる要素を見いだそうとしている。しかし、目に映るのは醜い、不潔な風景である。
中国、マレー、日本の民族や風土の印象を書いていく。
――人間と動物と植物だけが、世界を作っているのでは決してない。それには悪魔も必要なのだ。悪魔を彫ること、それは島の全人口に何かをつけ加えることである。
ミショーは日本を訪問したときに不快な思いを抱いたらしいが、その後、評価の見直しを行っている。
――日本人は、神や人びとの前でおのれを卑下するだけではんく、最もささやかな波の前でも、反り返った葦の葉の前でも、遠方にかろうじて見える竹の前でも、おのれを卑下して身をすぼめる。
――彼らが呪わしい警察を持っているのは、やはり彼らの責任である。だが、日本では、警察は彼らを悩ませてはいない。彼らは警察を愛している。日本人は何よりも秩序を愛する。……日本は掃除狂(マニア)なのである。
最後に添付された仏陀の言葉。
――これからは、お前たちが、お前たち自身の光に、お前たち自身の避難所になりなさい。他の避難所を求めてはいけない。お前たち自身の傍ら以外に、避難所を求めに行ってはいけない。……他人の物の考え方を気にしてはいけない。お前たち自身の島の中にしっかりと居を定めなさい。瞑想の中にとっぷり浸かって。