マルローの略歴→新作『アルテンブルクのくるみの木』→文化形態学について→ドイツの芸術研究・文化研究とマルローのつながり→マルロー『芸術哲学』の大要→芸術への問いかけ。
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ヴェーバー『職業としての学問』評。
若い研究者志望は霊感を得るため人格と体験を重視するがこれは偶像である。「学問上の偉人は、芸術の場合と同じく、ひたすら事柄(問題)に仕えることしかしなかったのだ」。
人生は断じて芸術にはならない。
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一九三二年に書かれた。社会学主義との対決、および一九三〇年代における社会学主義の趨勢。
ドイツは、生みの親フランスとは異なり、社会学の根付いた国である。社会学が若いながら重要な認識を数多く生み出してきたために、社会学主義なる弊害もまたおこった。社会学主義を分析することはドイツにとって欠かせぬことである。
正しい意味での社会学が「社会的結合の諸現象」を分析するものだ。一方、社会学主義とは「人類の発展史ならびに理想とする目標についての一般科学」である。おそらく規範社会学のことを指しているのだろう。
――社会学主義とは、社会学の理論的衣裳をまとったユートピア的イデオロギーである。
カール・シュミット『政治的なるものの概念』によれば、国家と社会が浸透しあうにつれて、これまで中立的だったすべての問題は国家的つまり政治的になる。芸術、文化、教養、経済などあらゆるものは政治性を帯びはじめる。
――これがまさに今日のドイツにおける事態である。それゆえ、われわれのナショナリズムについての考察も、大学についての考察も、教養の問題性の政治的側面を強調せざるをえなかったのである。
クルティウスがここでマンハイムの労作に注目するのは、「それが社会学主義の諸要求をまことに純粋に善意をもって、それどころか一種の宗教的信仰性をもって述べているからである」。
マンハイムの問いかけは、人間の世界観の決断に向けられている。あらゆる世界観がユートピアまたはイデオロギーであり、錯覚であるとわかった今日、どうしてなお考え、生きなければならないのか? しかしこれは太古から綿々とつづくニヒリズム、ニーチェのことばの変奏にすぎない。
――(西洋の)全歴史はこうした黙示録的瞬間の連鎖として描き出すことができる。
一時的な時代の雰囲気(「神経過敏の時代」)、個人的な生活感覚から距離をおくことこそ、科学的分析の使命であるはずだ。
社会学的分析において重要なのは危機や激変を察知するレーダーではなく、「持続」「恒常性」の概念である。クルティウスは「静」を攻撃すること、信仰や帰依をたたくことに反対する(とくに一九二九年の知識社会学において)。
「社会学的研究においては、別の考え方をする人には利己的な動機をなすりつけるという方法が用いられる」。
マンハイムはあらゆる価値の無意味さを熱弁する。もちろんクルティウスが批判しているのは、このニヒリズムの社会学主義である。ニヒリズムのイデオロギーは究極的に撤去・解体を目指す。破壊がなされたあとには強力な反動がおこるだろう。
どんな社会学をもつかはどんな人間かによってかわる(フィヒテが哲学について同じことを言った)。
「社会学主義の無際限な諸要求に直面して、人は社会学にその心理的条件に関し自己吟味をすることを求めてもさしつかえないであろう」。
哲学、社会学、文学がそれぞれ自分の領分を守ること。
NSDAPが政権をとる前に、すでにニヒリズムからはじまる問題点を指摘しているのはおどろきである。ニヒリズムは、これ自身も強烈なイデオロギーだが、極端な革命主義と反動を呼び寄せる。ベン、ユンガー、ハイデガーがニヒリズムと向き合ったのに対し、クルティウスはまずニヒリズム自体に批判の目を向けた。