うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『砂時計の書』エルンスト・ユンガー

 砂時計への執着を足がかりにした時間についての評論で、いろいろと勉強になった。時計の発達に合わせて人間の時間に対する認識が変わり、生活様式や考え方も変化していく。

 

 砂時計の情熱

 「どんなに小さな草花も、まさに無限のなかに多くの根をおろしているのであって、わたしたちの愛着こそがその根を発見してゆくのである。見かけの貧相は擬装にすぎない」。

 砂時計の、古さが着せたオパール色の艶。

 デューラーの二つの絵には砂時計が描かれているが、こうした観想的知性の思索部屋というのはいつでも知的活動や芸術に携わるものを思い起こさせるものだ。この部屋は時間によって成り立っている。

 ――わたしたちの思考は、自明のことをたいてい一番あとになって狩り出すものらしい。

 創造物は山も草も一緒だから一見したところ貧相でもそれは神の一部なのである。実生活とはなれたいときは時計や時計的なものがじゃまになる。

 「幸福な人に時計はうたない」。

 砂時計はしかし電話や時計とは異なり、「古い昔からのつつましい召使である」。はるかに人間的な時計だ。

 われわれは時代のなかにあればあるほどそこにとらわれる。トルストイ曰く偉人はもっとも自由のないものたちではなかったか。時間そのものが偏見のひとつだろう。彼は砂時計に興味をもち一斉調査をはじめた。

 「砂時計の時代には、時計にとりかこまれている今日よりも人びとはより多くの時間をもっていた」。

 いまは空間よりも時間にとらわれている。

 

 時計と時間

 かつて時計は祈祷時間をはかるものだった。またドイツではかつて水時計が用いられたが天文観測には精密機械時計が不可欠だった。子供の無邪気な遊びや時計がなかったころの畑仕事や猟には、計測された時間が存在しない。

 ――時計が行動を規定するのではなく、行動の種類・内容が時間を規定するのである……このような行動形式を「アド・ホックad hoc」な行動形式(具体的目的のための行動様式)と呼ぶことにしよう。

 昔の度量衡は行動様式の体系からつくられていた。時間を十二時間で分けるのも最近のことである。この時代の人びとが時間に遅れることは少なかったろう。授業時間や国会の会期、労働時間などは「計算盤の駒のようにずらすことができ、たがいをにらみあわせて設定することもできる」。

 孤立した巨大な建造物はすべて「グノモン」(日時計)として用いることができた。日時計はすでに五千年前の古代民族が発明していたが、やはり不正確であり「晴朗な時刻しか示さない」。太陽の運行にもとづく日時計はその古い起源にもかかわらずもっとも非人間的な時計のひとつである。

 「その影は、人間がいなくとも、生物がいなくとも、その死絶した世界を循環しつづけることだろう」。

 クレプシュドラつまり水時計も、砂時計と同じく重力を利用する「地球的な砂時計である」。ローマ帝国において広場にやられて水時計を確認させられるものを時間奴隷と呼んだ。水時計の華麗な装飾。

 「水時計は星辰による時間計測を可能にした最初の道具だった」。水の量でそれぞれの時点の星辰の位置を測定し、時間を定めたのである。

 不定時法(代替不可能な時間の規定方法)はいまのわれわれには不可解だが昔の人間はアド・ホックに生きていたのでこれもおかしくはない。水時計とおなじく歯車時計が「高度に洗練されたとき、たがいに無縁なものが、理想のなかで、時間を超越した完全性の鑑のなかで、類似の相貌を帯びるのである」。それぞれの時法はやがて完成する。

 ――他のすべての生物も、さらには生命のない物質さえも、星辰の昇降というこの巨大な時計のリズムにしたがっているのである。しかしまたわたしたちは、この巨大な時計は地球という文字盤が回転しているからこそ時間を示すのだということも忘れてはならない。

 星辰は地球をでればただの殺人光線にすぎない。水時計や砂時計や火時計は地球的要素によって時間を計る。一方日時計は宇宙的時間計測器である。地球的計測器は天空から遮断されていても機能する。地球の力とはたとえば重力である。それは「流れゆく、漏れゆく、滑りゆく運動であり、その意味において直線的である」。だからこれら時計はものさしを用いる。

 よって時間には前進するものと回帰するものとがある。回帰する時間は循環し、くりかえしもたらされる。前進する時間は一方均一であり内実より時間そのものが問題になる。ここでは重要なのは終着点である。楽園思想は回帰の時間では発端に位置し前進の時間では終端に位置する。

 唯物論ユートピア思想は前進する時間への信仰にもとづいている。ふたつの時間は並立しおたがいの権利を主張する。

 ――回帰的時間と前進的時間とは、それぞれの人間のふたつの基本的心性に、すなわち記憶と希望とに訴えかける……そしてこの二人の対立は、父親と息子との、保守的精神と変革的精神との対立にほかならない。

 地球にもとづく時間、そしてそれに基づく希望は現世的、世俗的である。この希望が一転して幻滅にかわりオーウェルやハクスリーが本を書いた。

 ただ砂時計を懐古するだけでは時代から遊離するロマン主義となってしまう。「昔は……」という書き出しによってわたしたちの時代を締め出すせいで「ロマン主義者は政治の領域においても文学の領域においても自己を実現しえないのだ」。いまわれわれを時代から締め出す象徴のひとつが歯車時計である。

 ――歯車時計は、地球的(テルリーシュ)時計でも宇宙的(コスミーシュ)時計でもない。それは第三の時計、知性の産物であって……それが表示するのは、抽象的時間、知性的時間である。

 なぜなら歯車時計の時間は天体の時間よりも正確つまり抽象的であり、歯車の機構は重力を間欠的に失効させることで動いているからだ。

 能力は支配する力であり動力は労働する力である。これは創造と模倣の違いである。時計の最初の発明者にしたがい動力が模倣によって歯車時計を大量生産している。発明者の意図と現在の功績や用途とは別のものである。

 「目的や利益が物の原型を生み出すのではないのだ……純粋な研究者たちは、目的や利益という考えに曇らされることなく視線を客体もしくは現象に向ける」。

 ペルペトゥーム・モービレ(永久機関)。学問・研究にはいまでも錬金術的特徴がそなわっている。

 「目標が達成されないことにその高貴さがうかがわれるような不思議な意志がひそんでいる」。

 ――わたしたちは、わたしたちの世界のことを初期王朝時代のエジプトや古バビロニアのことよりももっと知らないのだ……自分自身のことは象徴でしか語れない。

 歯車や車輪の回転にわれわれはなにを見出すのか。

 「人類は、重い荷を運ぶ必要が生ずるずっと以前から、回転運動を知っていたのではないだろうか」。

 碾臼の回転が宇宙をあらわすのだと古代人は考えた。

 鍛冶屋はかつて魔術師とみなされていた。おそらく時計職人は鍛冶屋から派生した錠前職人からさらに分派したのだろう。時計と製粉小屋(碾臼の活用)は工場の原点である。へパイストスが金属や車輪の鼎をつくったように時計職人は時間をつくりだした。

 古代に車と道路がつくりだされた。道路がくもの巣となって地球をおおってしまう。街道は人間の理性の実現と象徴であり国が滅びても道はのこっている。わたしたちはいまクルマの不可思議と嵐の中に生きているのでその神秘に気づかない。

 ――人間は、そしてこれこそ人間のしるしのひとつなのだが、むしろ地球の自然とのかかわりのそとで、知的きずなによって宇宙とそこに支配する理性とに結ばれているのである。

 「機械は本質に即していえば運転装置、連動装置、歯車装置であるだろう」。文明にとって限界とはその文明の様式をよくあらわす重要なものである。時間と歯車をむすびつけたのが歯車時計である。歯車時計は重力から「べつの時間」を搾取し、近代がはじまったのはこのときからである。

 拍子によって時間にくびきをかけた調速機の発明者こそわれわれの時計の発明者である。歯車時計は創造と生産をおこなうものである。

 

 砂時計

 砂時計glasshoursがおもに用いられたのは書斎、説教壇、遠洋航海の船舶である。

 ――当時は帆船が行きかう偉大な時代であり、「戦争と貿易と海上掠奪」が今日とはまったく異なる魅力をもっていた。船は、まだ大きな器具であり、巧妙に考案された堅牢な道具の集積であって、けっして機械ではなく、ましてわたしたちの意味での自動機械ではなかった……二十世紀に入ってもなお少年たちにとって「海へ行く」ことが脱出の典型的形態だった……蒸気機関がそのような生き方を滅ぼしてしまった。そして無線が発明されて以来、船はますます陸上の発信局によって監視され干渉さえる浮かぶ受信局に成り下がってしまった。

 海戦は観客のいないひとつの劇であり、肉眼で見渡すことができた。

 ――しかし「自然への回帰」には限界がある。なぜなら、わたしたちの世界にはわたしたちの世界の課題があり、それは供儀することによってしか果たされないからである。わたしたちの世界はけっしてサナトリウムではない。ロマン主義の政治、医学、神学などがなお可能とみなしていたような畏敬すべき立場をふたたびとることは、わたしたちには閉ざされている。

 ――わたしたちの人生はますます具体的なものに、同時にますます知性的・精神的なものになりつつあり、抽象的なものはその魔力をしだいに失いつつある……

 

砂時計の書 (講談社学術文庫)

砂時計の書 (講談社学術文庫)