『薔薇色の十字架三部作』の一作目。
彼はマーラに「なぜ本を書かないのか」と言われる。
――大人は、おのれのまちがった生活によって鬱積した毒物をはき出すために書くのである……だが彼が(書くことによって)なしうるのは、せいぜい自己幻滅のヴィールスを世間にまきちらすことくらいなものだ……もし人間の創造しようとするものが真理と美と魔術の世界であるなら、なぜ彼は、おのれとその世界の現実とのあいだに何百万もの言葉を挿入しようとするのか?
書くことは現実の代替行為なのだろうか。作家が欲するのは権力であり、自分が傀儡的支配者となれる世界である。
「なまのままの荒々しい現実と接触することは考えるだけでも身の毛がよだつからである」。
「真に偉大な作家は、ものを書こうと欲しない」。
「言葉の魔術によって、世界を征服し奴隷にしてやる」という幻想。
「ぼくは神それ自体を尊敬しないのと同様に書くことそれ自体を尊敬していない」。
天才は平凡な魚の群れのなかで蛭のように養分を吸い取る。
「人が大いなる冒険に船出するときは、それまでのあらゆる絆を断ち切らねばならないというのが、どうやらこの世のさだめのようだ」。
「出発点においてぼくを挫折させ、ほとんど悲劇におわらせていたのは、人間としてにせよ作家としてにせよ、ぼくを盲目的に信じてくれる相手が一人もいなかったことだ」。
――せいぜい気違いになることですよ。筋だの性格だの、そんなものはもうたくさんだ。筋や性格では人生になりません。人生は頭のなかにあるのではない。人生は、いま、ここに、あなたがものをいういかなるときにも、閉まっているものを切り破るいかなるときにもあるんです。人生とは四百四十馬力の二気筒エンジンなんだ。……
シルヴィアなる令嬢に、おまえは死の危険にさらされたり捕まったことがあるかとたずねられる。あなたは庇護されている。主人公は、つねに自分が失敗者であるといううしろめたさにとらわれていた。
「あなたは、相手を支配することには興味をもってはいない……あなたは、つねに自分自身を支配しようとするでしょう……」
「せっぱつまった場合の最上の美徳は、やけくそになることである。最良の方法は異常な方法だ」。
彼はイエスの磔にされた三十三になっても、いまだ貧乏暮らしをしていた。金をよく借りて、また借金が貯まっていく。金を借りる人間は「潜在的な窃盗犯人」だと彼は考える。
シュールレアリスム風文章は、伝聞のとおり影を潜めている。ところどころに表現として使われているだけだ。ミラーの妻との別れ話、友人スタンレー、マクレガーらの長話がつづく。マクレガー曰く、ミラーは自分が芸術家だと言いながら原稿や本をまったく見せない。コンラッドよりメルヴィルのほうがすばらしいといいながら、メルヴィルは読んだことがなく、それでもたいした問題ではないと言う。
――ぼくの見方からすれば、世界は堕落しつつある。暮らしてゆくには、たいした知性など必要ではない。それが現状だ。実際、ろくろく知性なんてものをもっていなくても、楽に暮らしてゆける……一つのちょいとしたことを適当にやる手、それだけを心得ていれば十分なんだ……なまじ芸術癖などもっていたら、年がら年中、ばかくさい判で押したような日課をやりとおせるもんじゃない。芸術は人を落ちつかなくさせ、不満を感じさせる……そこで彼ら(わが国の産業組織)は、そいつらが人間であることを忘れさせるために、気なぐさめの、つまらぬ代用物を提供するんだ……これからは美術館や音楽会へいってもらうために日当を支払わなければならなくなるだろう。
セクサス―薔薇色の十字架刑〈1〉 (ヘンリー・ミラー・コレクション)
- 作者: ヘンリーミラー,Henry Miller,井上健
- 出版社/メーカー: 水声社
- 発売日: 2010/02
- メディア: 単行本
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