シチリア貴族のファブリツィオ氏の家での貴族的日常から小説ははじまる。家庭はひからびており次男は優雅な生活に息をつまらせてイギリスの炭鉱労働者になってしまった。甥のタンクレディは革命勢力と交際している。ファブリツィオ公爵はシチリア王と親しいが、この老朽化した王国がいずれ滅びるだろうことに気づいている。
自然および家具調度品、事物の名詞が印象に残る。
当時のシチリア王はブルボン家のもので、イタリア伝統の王ではなかったようだ。没落しつつあるサリーナ家だが当主がまず日没的な人物である。モルヒネの発明は「古代のストイシズムとキリスト教的あきらめにたいする」化学的代用品である。
「そしてけっきょくは、すべてが変わっても、なに一つ変わらないということになるのさ」。
ガリバルディのもと反乱に参加し名誉の軽傷を負ったタンクレディ、公爵の領地の村長の娘アンジェリカ。みな反乱を受け容れている、曰くイタリアは「妥協の国」だ。
没落しつつある公爵と対照的なのが、彼の領地の村長ドン・カロジェロである。タンクレディとアンジェリカの結婚の打ち合わせ。古典的な表現による貴族の日常がつづく。
ドン・ファブリツィオもピローネ神父も、ガリバルディによる革命はシチリア島にはなにももたらさないだろうと考える。公爵曰くシチリアの過酷な環境と住民の島国根性はいつまでも変わらないだろう。神父は言う、貴族が倒れても貴族に代わる別の階級が生まれるだろう。
この小説が書かれたのは五十八年前後だが、イタリアの情報をみてみると、この公爵らの予言はいまも効力をもっているようだ。
階級や身分は人間が滅ぶまで生きながらえるだろう。
――ナイフをしのばせてズボンの右ポケットをいつもふくらませているようすなどを見れば、彼が「名誉を重んじる男」、つまり、どんな残虐行為でもやってのける乱暴な馬鹿者であることはすぐにわかるのだった。
公爵は死に、サリーナ家は没落し有象無象の中流家庭のひとつとなる。