うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦争論』ロジェ・カイヨワ その1

 副題「われわれの内にひそむ女神ベローナ」。第二部「戦争の眩暈」は、戦争が人間の心と精神をいかにひきつけるかを、フランスを中心に研究したものである。

 ――国家と軍隊を一体化しようとする傾向は、国民戦争を生む一方、平等で全体主義的な国民を生む結果となった。……(一方)古代中国に見られるように、文明が軍隊と国民とを分離しようと努力しこれに成功した場合(もある)。

 彼の考えるジレンマとは、人間の社会的不平等が法制化されると、戦争は遊戯あるいは儀式のようなものとなる。人間が権利上平等である場合、戦争は無制限で仮借なき大量殺戮戦に変わっていく。

 

 第1部 戦争と国家の発達

 第一章 戦争の原型態と小規模戦争

 戦争とは第一に組織行動であり、「破壊のための組織的企て」である。戦争の方法は、そのときの文明の状態と密接に関係している。戦争は文明とともに成長し、ときに文明を生みだす。社会の状態によって、戦争は社会の状態にしたがい、階級差のあまりない部族の戦争、封建社会の戦争、帝国の戦争、さいごに国民戦争に分けられる。

 原始的な戦争は、狩猟に近い。封建社会では、貴族がおもに戦闘を担当し、そこでは実際の勝利より、象徴的な勝利が重視される。帝国の戦争は、物量を備えたものによる行政に近い。国民戦争の場合は、「過度ということ、野蛮ということを知らない」。相手が降伏するのなら、どんなことでもするのだ。

 ――すなわち、戦争を苛烈なものにするのは、勇猛さでも、敢闘精神でも、残酷さでもないということだ。それは、国家というものの、機械化の度合いである。国家の持つ統制力と強制力であり、国家というものの持っている数多くの構造とそのきびしさである。

 原始社会における頂点は祭りであり、戦争は平時に近い。また組織的な軍隊をもたない。動機はさまざまで、狩猟と変わらぬ場合もある。一般に山地住民や遊牧民は好戦的で、殺人することによって成人する部族もあった。たいてい、戦闘はだまし討ちのかたちをとる。この原始社会は、「法的規律の介入と正規軍の召集」により、国家へと進化していく。

 戦争には統制が必要だから首長が出現する。国家の形成にはまず組織の固定化が前提となる。血族関係を超えた、領土関係が強化されねばならない。まず、武士狩猟民と農民、そして祭司階級に分裂する。分裂の原因は、征服であったり、連合であったり、たんなる分業であったりするが、正確に決めることはできない。居住地の固定と、階級の誕生は、国民国家の領土防衛と拡大をうながす。

 平時には鋤をとり、有事には剣をとるという形式は、動員の技術が必要なのでもっと後代に生れたという。それまでは、戦闘を職能とする階級が必要だった。

 ――帝国戦争あるいは植民地戦争は、圧倒的に多量なあらゆる種類の戦争手段を用いて行われる、国外遠征である……科学と工業と制度とか組み合わされてできたこの戦力の有効性を減殺することができるものは、距離だけしかない。

 植民地戦争は、帝国戦争の近年におけるかたちである。ローマ、イスラム、モンゴル、アステカ、インカ、これらどの場合も「規律が蛮勇に勝ち、厳密な経済が無秩序な濫費に」勝っていた。「この種の戦争の特徴は、本質的な不均等性にある」。警察に近い。

 帝国は恐怖と羨望を使い、小集団を併合していく。「帝国戦争は、平和と文明をもたらす」。地理的障害や別の帝国に出会うまで帝国は拡張をつづける。

 植民地主義はやがて終わった。等質的な世界では帝国戦争がおこらない。

 「工業、軍備、軍事技術、工業技術、制度、精神的価値といったものほど、輸出しやすく、借用しやすく、伝わりやすいものはない」。

 よって、もとの発明者にも牙をむける。

 貴族戦争においては、戦争はスポーツや武芸試合の性質を多く持っていた。目的はあいてを殺すことではなく降伏させることである。宣戦布告、名誉、戦場を整備し、たたかいの段取りを決める。これは要するに武士道、騎士道の世界だ。

 ヘンリー一世がルイ六世をやぶったプレミュールの戦いでは、捕虜一四〇名、死者三名だった。戦いは賃貸借であり、傭兵にはやる気がなかった。

 「合計二万の軍勢が四時間にわたって戦いながら、わずか一人の戦死者しか出なかったという例を、マキャヴェリは引いている。しかもそれは、落馬したためだったという」。

 捕虜をとって身代金をとり傭兵を雇うほうが効率がよかったのだ。

 「戦争と遊戯を区別するものは、ただ死のみである」。

 ところが、階級の低い兵士は、殺されたり片輪にされた。また、侵入先の国土での、農民の殺戮や略奪は常時のことだった。貴族は民衆を軽蔑していた。

 ――異なった階級の同国人に対してよりも、同じカーストに属する敵に対して、かえって連帯感が見出された。

 中国でも、貴族戦争の一方で、民衆や異民族にたいする殲滅戦がおこなわれた。やがて、貴族の戦争はおわり、国民同士の戦争がはじまる。だが、カイヨワ曰く古代中国において「武力抗争の凶暴さをやわらげるためにおこなわれた試みは、人類が知る限りでの、最も忍耐強い、最も組織的な試みであった」。

 第二章 古代中国の戦争法

 孫子呉子、司馬らが春秋戦国時代に書いた論文によると……第一に戦争は災厄である。戦争は国民の荒廃をもたらす。司馬曰く戦争が許されるのは、暗君から民を解放するあらゆる方策が尽きたときのみである。古代においては戦争を行おうとも憎しみはもたなかった。戦わざるは戦うに勝る。

 王、将軍は、流血をみることなく戦争を終わらせるよう努力せねばならない。古代の兵家は、人間性というものを重視した。旗、銅鑼、太鼓は、命令を伝えるため、また「敵に対して、永遠の恐怖を与えるため」に用いるべきとされた。国民総動員の大軍よりも少数の職業軍人をよしとした。華麗な装飾の兵車を用いること。陣形の訓練は舞踏に近かった。

 「暴力を忌む心と儀式的なものを好む心とがあいまって、戦争を人間的なもの、いいかえれば文明的なものとしていた」。

 もちろんこれは理想だったが、生まれつき人間が不平等である以上、最強の者になることより、儀式にのっとるほうが重視されたのだ。力はそれだけでは不十分なのである。実態が凄惨だった反動で、このような理想が生れたのかもしれない。

 武士貴族は、平時はたがいに知己であった。敵になっても、寛大さと中庸を失ってはならない。最大の脅威は復讐心と、追い詰められた敵の決死の反撃である。追い込んではならない。ヨーロッパでは中世からフランス革命のあいだ、比較的このような戦争がうまく実行されていた。

 古代中国においても、歩兵は兵士としては扱われなかった。彼らは従卒、馬丁、土工だった。やがて、貴族階級がなくなったことにより、こういった貴族の戦争は終わった。帝王の下にはただ平民しかいないのである。戦争は領地の併合か大量殺戮で終わるようになった。ヨーロッパでは国民が誕生するとこの現象がおこった。

 ――戦争は、真剣なものになっていったのである。

 第三章 鉄砲 歩兵 民主主義

 貴族の戦争の時代、武器とは剣術であり、弓や鉄砲は下衆のものだった。

 「刀剣が消え去り、貴族的戦争がなくなってゆく時代の推移は、歩兵の発達の歴史と一致している」。

 フーラー曰く「マスケット銃が歩兵を生み、歩兵が民主主義を生んだ」。

 16世紀、フランスが用いた大砲は、城塞を攻めるときに威力を発揮した。大砲を使う兵隊は、技師とみなされており、歩兵は従僕だった。

 ――部隊の数は、槍の数で数えられた。各隊には、原則として一人の戦闘員しかいなかった。それが、重装備をした騎士である……また、人びとは多数の平民を面白半分に虐殺し、彼らを不具にし、彼らがそれぞれの主のために働けないようにした。

 一三四六年クリシーの戦いにより、フランス騎士団はウェールズ人の用いる石弓(2mほど)により甚大な損害を受けた。石弓は狩猟や、山賊の用いるもので、これをカトリック教徒に打ってはならないと定められていた。石弓も火縄銃も、卑怯で不名誉な、臆病者の武器とされた。

 スイス連邦ユトレヒト同盟の二つのプロテスタント国は、市民的政治体制の繁栄した国である。

 「そのなかで歩兵が勝負を決める鍵となり、戦争というものの面目を一新し、武器を持った民衆が勝利を獲得したところの、ただ二つの国であった」。

 この起源はフス派の反乱であるとカイヨワは書く。

 スイスは徴兵制をとり、アルバルドとよばれる戟と槍を組み合わせた武器を用いた。

 「武器を携行することは、選挙権と表裏一体をなしていた」。いまでも直接民主制の国では、投票所での武器の携行が義務付けられる。

 スイス軍により、戦争は遊戯ではなくなり、土地のため、生きるため、信仰のための戦いになった。負傷者や捕虜が殺されるようになった。

 ハプスブルク皇帝マクシミリアンの傭兵隊は、マクシミリアンが率先して貴族の歩兵化を進めた例である。厳しい軍規や訓練が行われたが、やがて貴族がそれを嫌がり、古参兵だけが残った。傭兵気質、古参兵気質の、略奪部隊になってしまった。一方、ユトレヒト同盟の歩兵部隊、デンマークからの独立のためのスウェーデン民兵は、成功した例である。歩兵の誕生には、同質の国民が必要なのだ。

 上流社会の戦争では、一回の戦役に一度だけ会戦するか一度もしなかった。待ち伏せや追撃などは嫌われた。

 「兵士たちは逃亡することしか考えていなかったからである……散兵戦・遊撃隊・狙撃兵を用いることができなかったのは、この心配のなせるわざであった。将校の目にとどかぬ所にいってしまった兵士は、もういなくなってしまったも同様であった」。

 これらはすべて、熱意に欠けた将棋のようなもので、奪われた領地も一世代たつとめでたい結婚により復帰するのだった。モォリス・ド・サクス曰く「数ある名将のなかには、生涯戦争を行いながら戦闘を行ったことがないというような将もあってよい、とさえ信じている」。

 戦闘は極力ないほうがよかったのだ。

 「銃砲と歩兵を嫌悪した貴族階級は、本気の戦争は民主主義社会で行われるのだということを、予感していたようにおもわれる」。

 民主主義の発達と、戦争の凄惨さの加速する過程は一致している。

 ――軍隊は、服従と平等性とが組み合わされた最初の社会組織といえるだろう。
アンシャン・レジームのフランスでは、兵士は娼婦、犬、貧者とともに軽蔑されていた。将校はすべて貴族で占められていた。

 制服の誕生。ミシンが発明されたとき、興味をもったのは軍隊だけだった。量産体制を必要としていたのが軍隊だけだからだ。銃砲の口径の統一。兵営の設置。軍隊は「大規模な近代的複合社会集団」となった。

 イポリット・ギベールは、国民軍を創設した国がヨーロッパに覇をとなえるだろう、と予言した。

 

戦争論―われわれの内にひそむ女神ベローナ (りぶらりあ選書)

戦争論―われわれの内にひそむ女神ベローナ (りぶらりあ選書)