第五部 民主主義の国の教育
――反知性主義をアメリカ的生活文化のひとつの特質として考えるとき、目を向けなければならない重要な事実は、この国全体が人民の教育に強烈な、ときには感動的とさえいえる信仰をもちつづけてきたことである。
しかし、著者は現在(一九六三年)の教育に問題があるという。
「この学長は、フットボールが自慢の大学に発展させたいと言ってのけた……アメリカでは多大な努力と費用をかけて、異常なほどの割合で若者が大学へ進む。だがその若者は、大学へ入っても読書をしようという気すらなさそうにみえる」。
そして、アメリカの教育は「つねに」欠けていた。
学校でほとんどなにも学ばないというのは古今東西同じようである。
アメリカの学校制度の目的は「読み書きを教え、共和制を機能させるのに必要最低限の市民的能力を付与すること」にあった。ヨーロッパとは異なり、実用的な学校をめざす。wisemanよりもgoodmanを。
反知性的な教科書に採用されたのはワーズワースやエマソンである。合言葉は「小説は読むな」だった。
「イタリア人は、すぐれた芸術と不健全な国民性とが表裏一体になっている例として広く取り上げられるようになった」。
芸術は国家に奉仕するか、また人格陶冶に役立つかの観点でのみ判断された。
教育における知性はなかなか認められなかった。仏独、北欧諸国では、中学校の教師は地元の名士である場合が多かった。教師は魅力的な職業とされている。
一方、アメリカでは教師とは低賃金の代名詞だった。
――たとえばミシガン市は教員に、ゴミ収集員より安い年間四〇〇ドルしか払っていないという記事。
教師は収入を補うために休暇中にバイトをやっていた。生徒は彼らに同情し、教師にはなるまいと考える。
「教師の存在は、図らずも知的生活がまったく魅力のないものであるかのような印象をあたえる結果になっている」。
一七七六年のベルファストとコークから来た船の広告……「学校の先生、牛肉、豚肉、じゃがいもなどの各種アイルランド製日用品」。教師がお尋ね者になり、不具者が採用された。
「不適格者のほうがずっと目立っていたため、教職に対する悪しきイメージが定着してしまった」。
「刑務所に入らない程度の道徳心をもった若者なら、楽々と教師の資格を得ることができる」。
「地域社会は教育とはならず者をひきつける商売であるという結論をくだしがち」だった。
その後の発展で大学全入に近い状況になり、「学校には疑い深く、やる気もなく、敵意すらもつ生徒が増えていった」。初等教育、中等教育は覚えの悪い者を基準にしてカリキュラムを形成した。
デューイの教育哲学は曲解された。知識教養よりも生活の知恵を教えようとする新教育者の風潮が主流となった。学校での競争は否定され、歓びと仲間と達成感だけを得られるようにはかられた。これは決して社会主義ではなく、民主主義の平等を目指しておこなわれたことである。
第六部 結論
長い間の不遇により、知識人は体制に順応するのをおそれるようになってしまった。
――私は生きてこなかった。生きることを夢みてきただけだ……私は世界をほとんど見ておらず、その希薄な大気から自分の物語を作りあげるしかない……
これはホーソンの言葉である。十九世紀の作家はヨーロッパにあるものがなにもないアメリカで、いかに自国の文学をつくろうかと腐心した。彼らの疎外感は、「他の価値を追求した結果」としてとらえられ、現代のように自意識が自分を苦しめていると考えることはなかった。
ソローは返品された七〇〇冊の自著が部屋に積んであるのを誇りにした。彼は長期間肉体労働で生計をたてていた。
ヴァン・ワイク・ブルックス曰く、人間の本性を軽蔑するピューリタニズム、開拓者精神、ビジネスが、文明と実利の断絶をもたらした。国外脱出組は、それまでの通念とは逆にヨーロッパこそ文明の地だと考えたが、この考えは破綻した。
「ヨーロッパ諸国でも、アメリカとまったく同様に機械化が進み、大衆社会が発展した」。
アメリカはその先取りにすぎなかった。
その後アメリカへの回帰、懐古が流行になる。アメリカは人材の流入する国になった。アメリカは知性の首都になり、また一九三九年の独ソ不可侵条約によりソ連とは決別した。
モダンの伝統……「新しさという伝統」によって、「昨日の前衛的試みが今日は流行の先端になり、明日にはありふれたものになってしまうのだ」。
――自分たちの生活様式や自己満足的な妥協をえぐりだされた作品を読んで、読者は「とてもおもしろい!」とか、「まったくそのとおり!」といった感想をもつのだ……真摯な思索を挑戦としてではなく、気晴らしや遊びとみなす風潮に、こうした作家は異議を唱える。
知識人はとにかく現状を否定することが義務のようになってしまった。これがすすむとと疎外論者に至る。ロマンティックな無政府主義者、ビート族に代表される未成熟な反抗や道徳的ニヒリズム(メイラーなど)。
ビートニクは隠語を生み出すという点でのみもっとも貢献した。彼らは社会からはみ出すことを標榜しながら、個人主義に欠けていた。「個人が集団から「大挙して」脱出しないかぎり、世界はけっして救われない」。
――彼らの代名詞にまでなったいちじるしい画一性も、こうした特徴のひとつだ。
疎外そのものに価値を置く考えは、ロマン主義的な個人主義、それとマルクス主義が源泉である。
「ある種の芸術的・政治的価値を主張すれば、必然的に疎外が生じる――この考え方をひとたび受け入れると、疎外自体に一種の価値があるという見方にたやすく移行する。このことは、天才がふつう「気難しい」からと、まず気難しい性格を育てることで天才をつくり出せると考えるのに似ている」。
知識人が公権力に順応していけないのなら、図書館も実験室も使えなくなる。
知識人たちは、政府に奉仕する技術屋と、孤立主義者とで分離しつつある。アメリカの文化を生んだ人間たちはあまりに多様である。
――いかなる作家も思想家も、自分のうちに創造的精神が隠されていることを意識する以前に、特定の環境のもとで生を受ける。彼らが先天的にもっている性格や気質は、ごく限られた部分しか変えることはできず、運命によってあたえられたこの範囲の枠内で、彼らは活動せざるをえない。
知識人には多様なタイプがいて、それらを認めるのは寛容の精神である。終末論的言辞は、あわれんでもらいたい者が発する。
***
アメリカに限らず、教育、高等教育を考えるきっかけとなった本である。知識とは何か、知識とそれを実際に運用することとの関係はどうなっているのか、常に考えなければいけない。
- 作者: リチャード・ホーフスタッター ,田村哲夫
- 出版社/メーカー: みすず書房
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