うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『消去』トーマス・ベルンハルト その2

 

 遺書

 彼は葬儀に立ち会うためにヴォルフスエックにやってくるが、すぐには邸宅に行かず、弓形門の陰から棺の納められたオランジェリーに出入りする庭師たちを観察している。そこで再び彼の思い出しがはじまる。

 上の者(彼の家は村の上にある)にはぞっとしたが、庭師や村人、炭鉱夫には親しみを感じていた。

「要するに、間接的なものが私の性に合うのだ」。

 彼は生涯にわたって素朴な人間になることをめざしたがうまくいかなかった。

 ――私たちは自分は他人の仲間だと言明するとき、他人の存在を踏みにじっているのだが、それよりずっとひどい仕方で、自分自身を踏みにじっているのだ……私たちが自分自身でありつづけ「ながら」、他人といっしょにいることに完全に成功することはありえない。

 他人へのあこがれというのはすべてゲームであって、純朴な人はおもわれているほど純朴ではなく、複雑な人もそれほど複雑ではない。インテリはいつも孤立してしまう、インテリの時代は終わった。自然な人間と作為的な人間という考えもまた思い込みではないか、と彼は考える。

 親戚たちは彼曰く「彼らにあるのはぞっとする上っ面であり、とりわけ頭の中には約束された老後と車のことしかないのだ」。ツェツィーリアの新郎、ワインボトル用コルク栓製造業者。

「他の人間も発達するという錯覚の中で生きているが、それはあくまでも錯覚であって、たいていの者は立ち止まったまま、まったくどちらの方向にも発達しない。彼らは良くも悪くもならず、ただ年をとっただけのことで、誰の興味もひかない人間になってしまう」。

 結婚は首に枷をはめることだ。新しいものを憎みつづけ老化した社会、「古い社会が何百万も生み出すその複製の人生を送っているのだ」。兄は毎年「ジャガー」を新車に買い替えていたが、この「自動車崇拝が二人を破滅させた、と私は考えた」。

「個人が多数派より時代に合っていることもあるし、しばしば個人がもっとも時代に合っているのだ。多数派はいつも不幸ばかりもたらしてきた、と私は考えた」。

「時代に合った考えはいつも反時代的なのだ」。

 思考も行為も挫折に向かっている、ニーチェはその究極である。

 ツェツィーリアの夫であるワインボトル用コルク栓製造業者は彼を避けていた、彼によれば製造業者は「詐欺師や山師になるための抜け目のなさを欠いた、山ほどコンプレックスを抱え込んだただの実直な上昇志願者だ」。

 彼がなぜローマに住んでいるかといえば、イタリアがヨーロッパ、いや世界でもっともカオス的な国であり、予測不能性と不可能性を体現しているからだ。彼曰く、気楽に生きるとは世界を低俗なレベルに落として生きることである。

 両親と兄は自動車事故で即死したから、ヴォルフスエックの相続権は彼に受け継がれることになった。いままでつまはじきにされていた者が、絶対的な権力をもって妹や義弟らに臨むのだった。これはお家相続の話でもある。

 ――遺体は私には何の関係もないからだ。遺体を見て私は吐き気をもよおした。俗に言う感動はおろか、吐き気と嫌悪感以外のものを感じることはできなかった。私は生前の両親や兄には絆をもっていたが、悪臭を発する死体とは何の関係もない、と考えた。

 彼ははたして、帰ってきた独裁者になるのだろうか。

「新聞は、偽って書いても真実しか書かないし、偽って書けば書くほどより真実に近づく」。

 妹たちが事故の顛末を口々に叫ぶ。トラックに追突し母は荷台に積んであって横張りによって首をもがれたのだった。

 弔問には、戦後、両親が子供用ヴィラに匿っていたナチス大管区長官や、流血勲章の保持者が名を連ねていた。そのあとに国民社会主義カトリック的村民がつづく。

 彼は母親の死体を見たいという思考にとりつかれる。原型をとどめていないということだが、もしかしたら棺のなかには一部分しか入っていないかもしれない。

 炭鉱労働者シュマイアーは、学校時代の一番の親友に、スイスのラジオを聞いていると告発され、オランダの収容所に送られたのだった。帰ってきてからはびた一文の補償もなかった。一方、件の大管区長官は、莫大な年金をもらって、国内のもっとも美しい場所で余生を過ごしている。

「国民の沈黙は不気味だ、と言った。国民の沈黙にはぞっとさせられる。この沈黙には犯罪そのものよりもぞっとさせられる、と言った」。

 家長の権限をもって彼は妹と義弟を攻撃しはじめる。

「頭から外へ出る途中でその言葉はあらゆる説得力を喪失していたのだ」。

 ――あの糞ひり野郎が新聞の中で私たちに見せつける世界こそ本来の世界なのだ、と私は言った。そこに印刷されている世界が実際の世界だ、と私は言った。新聞に印刷された糞の世界が私たちの世界だ。私はまた次のようにも言った。印刷されたものが事実であり、事実とは、いまではもう事実と推定されうるもののことでしかないのだ。

 聞き手のガンベッティがいないせいか、思考はより極端になっている。

 ――ツェツィーリアもアマーリアも、いわゆる「かわいい子供たち」だったが、そのかわいい子供たちは、まさに民間伝承で語られているように、時とともにだんだん醜くなっていった。二日と見られたものではなかった。少なくとも私には。

 父は森で死にたいと言っていたが、それはかなわなかった。

「今日では日常的になっている死に方をした……まさに今日の現代人らしく、ほんの一瞬道路で集中を欠いたためにそういう死に方をしたのだ」。

 スパドリーニがガンベッティを彼に紹介した当時の思い出について。親類で唯一の友人、夢想家のアレクサンダー、彼はブリュッセルに住みながら、東欧諸国の政治難民を助けている。

「いまこの場に偽善は似つかわしくない。すべて悲しみとは関係のない、たんなる芝居だ、と私は言った」。

 子供のころに読んだジャン・パウルの『ジーベンケース』を再び取り出す。

「ある者たちには文化があるが、他の者たちには文化がない、と言うのは馬鹿げている、と私は考えた。それは何も考えていない者の言い草だ」。

 彼、フランツ=ヨーゼフ・ムーラウは、『消去』というタイトルの小説を書こうとしている。曰く、その小説に描かれるすべてのものは消し去られる運命にある。おぼろげながら、こういう悪魔祓いの構想が頭の中にあったのだが、それはいつか実行されねばならないものなのだ。

 葬式は壮大な芝居だ、と彼は考える。スパドリーニとアレクサンダーはお互いに論争するが、親しくなったのだった。死人はなぜか善人に変身させられるが、彼はそれを否定し、生きているときに最低だった人間は死んでもその評価が変わることはない、と断言していた。顔のカーテンをおろす。精神的資本。エトナ山はシチリア島にある山。母を擁護するスパドリーニは「計算づくの」人間である。

 彼曰く、ゲーテは「哲学的小市民」、俗物である。マリアはゲーテを「ドイツのシュレーバー庭園に頭を突っ込んだだけの視野狭窄の男」とよばわる。「ドイツ人おかかえの幼稚な哲学的親指しゃぶり」。

 ――ドイツ人のために自明の理を本にまとめ、それを至高の精神財と称してコッタ書店を通じて売りに出し、上級教諭を通してドイツ人の耳の中に塗りたくらせ、ついには耳の穴をふさがせてしまった男ゲーテ

ゲーテとは実用的ドイツ人だ、と私はガンベッティに言った」。

 常識人、教訓的なゲーテと、ベルンハルトは対極にあるのだろうか。

 ――私たちは、善良で愛想のいい人間を悪辣で卑劣な人間に変えてしまうまでは落ち着かない。

 執務室においてあるライツのバインダーへの嫌悪、「ドイツ文学を相手にするということは、小市民的公務員文学を相手にすることにほかならない」。トーマス・マンムジールを読むと、「公務員が書いたものだと分かる」。トーマス・マンは「徹底して小市民的な文学を書いた……そういう文学を、小市民が悦に入って貪り食うのさ、ガンベッティ君、と私は言った」。

「実際はサラリーマンだったのに、公務員サラリーマン文学を書かなかった唯一の作家カフカを除けば」他はみな公務員の文学である。

 曰く、誇張することこそもっとも事実を伝える技法である。自分は誇張芸術家である。

「私たちは時として、自分には精神的仕事をする能力があると思いこむ瞬間があり、『消去』のようなものの執筆すら可能だと思えてくる。だがその後ではおどおどとしり込みを繰り返す。なぜなら私たちは、自分は多分その仕事に耐え抜くことができないだろうし、かなり先まで進んでも、急に挫折してしまい、総てを失ってしまうだろうということがよく分かっているからだ」。

 ――私たちは誰からも最高のもの、究極のものを要求するのに、自分では最低のものさえ完成できない。この挫折という恐るべき屈辱に身をさらしたくない私たちは、そういう精神の産物を書き上げようという考えをいつまでも先延ばししようとし、先延ばしに役立つとあれば、どんな手段、どんな口実、どんな下劣さを行使することもいとわないのだ。

 「書かない小説家」へのおそれはここでも出現する。デカルト曰く「どうやら人間は自分の存在の作者がわからないかぎり、確実な認識をすることが不可能なようだ」。

「私はいつも行列を憎んできたし、行進ほどいやなものはないが、伴奏付きの行進はもっとひどい。世界の不幸はすべてこういう行進やパレードとともに始まるのだ、と私は考えた」。

 ナチスの大管区長官二人と、大学時代のフランツ=ヨーゼフの友人アイゼンベルクが一緒に歩いている。アイゼンベルクは、ラビつまりユダヤ人である。

「この国家の下劣さ、低級さときたらヨーロッパだけでなく、世界にも例がないほどだ。何十年も下劣で落ちぶれた痴呆症の政府ばかりが支配し、国民はその下劣で落ちぶれた痴呆症の政府に見分けのつかなくなるほど切り刻まれ息絶えだえだ」。

 カトリックと、国民社会主義と、最後に擬似社会主義オーストリアを滅ぼした。そして写真映像と動画によって人類は白痴化を進行させ、ついには思考することをやめた、と彼は考える。

「この国は好きだが、この国家は嫌いだ」。

 ムーラウはヴォルフスエックをアイゼンベルクの所属する在ウィーン・イスラエル宗教文化財団に寄付する。

 ――私がいままた住み、『消去』を書き終え、これからも住みつづけるローマから、とムーラウ(一九三四年ヴォルフスエックに生まれ、一九八三年ローマで没す)は記している、私はアイゼンベルクに受諾への感謝の言葉を書き送った。

 いままでの、「と、私は言った」の延々とつづく文章もまた、手記を読む誰かによって語られていた。最初と最後にだけ、一番上の語り手がでてくる。

 

  ***

 

 ベルンハルトの自伝ではまったくないらしい。マリアのモデルは、インゲボルク・バッハマン。自伝五部作は、ヴォルフスエック城の城下町、貧しい村々を舞台にしていたという。彼が書くのはいつも「生に絶望し、世界を否定する人間である」。しかも、不毛な生活を送っている人間である。

 

 

消去 下

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