『寒い国から帰ってきたスパイ』と共通の世界が舞台のようで、スマイリーやリーマスといった名前も出てくる。リーマスは死んだ、と言及されているので『寒い国~』以後の話らしい。
イギリス諜報部(サーカス)は外務省傘下の機関だが、この本で描かれるのは彼らではなくイギリス空軍所属の特殊部隊である。彼らは戦時に特殊任務をこなした少年兵たちを起源とし、ルクラークを部長として現在も活動していた。ところが冷戦が続くうちに閑職となり、かつてのメンバーも離れていった。
彼らに再始動の役割を与えたのが東ドイツのミサイル設備疑惑である。外務省諜報部に頼らず自分たちで情報戦を行おうと考えたルクラークらは、かつての戦友を連れ戻すことになる。
特定の人物ではなく、この部署そのものが主題のようだ。スパイの道を選んだエリートたちは、常に自分の職業に一抹の疑問を抱いている。
奇人ホールデンはいう、「スパイになるのに、なんで理由が必要なんだ? おれたちだって、そんなものをもってはおらんぞ」、「承諾し、拒絶し、真実を述べ、嘘をつく。そのどれが、これという根拠をもっているといえるのだ? あの男にかぎったことじゃない。おれたちみんな、おなじことだ」。
作戦上の理由で味方に抹殺されたリーマスと同じく、彼らも家族を犠牲にし、ときには命を捧げることになる。彼らのなかにあるブラックボックスが愛国心である。愛国心に根拠などを求めてはならないし、まして証拠の提出、科学的検証などありえない。ただ自分のなかにあれば従うほかないのである。
ライザーはイギリス人になりたがっている典型的なポーランド人である、と役所の幹部ホールデンは評する。人懐っこく、女好きというのがその傾向らしい。しかし彼が堅気の仕事を捨ててなぜ危険な任務についたのか、エイヴリーには疑問だった。
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またしてもスパイは国家の保身のために切り捨てられる。エイヴリーは嘆くが、ホールデンはこのような事態こそおまえの望んでいた「規範」だという。規範は人間中心ではないのだ。
スパイ養成のための訓練の模様や、外務省諜報部に対抗意識を燃やす陸軍省情報部(MI)の功名心など、外交の裏の世界が精緻に描かれている。とはいえ「寒い国~」よりは若干ゆるんだ構成のように感じた。ライザーが東独に潜入してからミスをして通信を傍受されるまでの過程が結部に集中しており、追い詰められる感覚が前作よりも希薄なためそういう印象をもった。