うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Totalitarian and authoritarian regimes』Juan J. Linz

 すこし考えれば当たり前のことだが、ファシズムという現象が自然科学の法則のように確固として存在するわけではない。全体主義ファシズム権威主義、ポスト全体主義と、政治体制をとらえる言葉はたくさんあるが、どう分類するかという問題である。

 冒頭の追加部分を読むだけで本書の内容はおぼろげながらわかってくる。

 権威主義の類型の章は、もともと茫漠とした幅広い政治体制を一般化しようという試みのためか、定義が細かくてわかりにくい。完全に把握するには相当のメモが必要になるだろう。

 非民主主義体制についての知識を深めるのに役立った。

  ***

 Further Reflections

 冷戦がおわり、共産主義が歴史となった現在こそ中立的な体制比較が可能になる。全体主義ファシズムは同一ではない。また権威主義全体主義も同一ではない。権威主義と、古くからある伝統的な非民主的政治体制とも、同一ではない。

 全体主義の起源を、著者のリンスやフランソワ・フュレなどは第一次大戦に求める。第一次大戦の衝撃が、イデオロギーや哲学に大きく作用したのである。全体主義は、20世紀初頭のデモクラシーとは比較にならぬほど人びとを魅了した。それでも全体主義は歴史の必然ではない。

 国民性と全体主義を結びつけるのは適切ではない。これは台湾と中国、北朝鮮と韓国の対比を考えればわかる。また、大衆社会mass societyは全体主義の起源ではない。ナチズムに賛同したのは、孤独な状態におかれた群衆、個人ではなく、市民社会civil societyに属する人びとだった。市民社会がそのままナチズムにむかったのである。これはハンナ・アレントの議論への反対である。

 ファシズム共産主義、つまり全体主義が、より民主的democraticな政治を目指していたことを忘れてはならない。全体主義の主要な特徴のひとつが、イデオロギーを中心に据えていることである。ソ連崩壊や、スターリン批判にともなう危機の原因は、中心となるイデオロギーが揺らいだ点にある。

 宗教の根絶は全体主義にとって不可欠だった。宗教性を帯びるのも全体主義の特徴である。

 全体主義下にあって、特別弾圧対象でない国民は、自分たちが不自由のなかにいることに気づかないという。

 経済が発展すれば、民主化への移行がおこるわけではない。政治体制の変動にはほかの要因が絡む。民主化が進むかどうかをあまり楽観的に考えることはできない。新しいナショナリズムの時代においては、権威主義が生ずる機会も多く、また統治機構が存在しないカオスの支配Chaocracyになだれこむこともある(ソマリアリベリアシエラレオネアフガニスタンなど)。

 全体主義が必ずしも大量殺人に結びつくわけではない。たとえば、党独裁がどのくらい軍隊警察に浸透しているか、など、個別の統治制度に大きく依存する。

  ***

 1 Introduction

 まず、民主主義democracyでない政治体制を分類していくことで、民主主義とはなにかを定義する。民主主義と全体主義のあいだには、そのどちらにも属さない非民主主義的体制が存在する。これを権威主義体制とよぶ。さらに、近代以前からつづく非民主主義体制をスルタン主義体制Sulutanistic regimeとよぶ。また、旧共産圏の体制は独特の共通点をもっているため、ポスト全体主義体制とよぶ。

 権威主義体制を、政治的多元性と、政治的無気力・不参加の度合いの次元からとらえると、以下のように細分化される……官僚軍事的権威主義、民主主義以後の動員的権威主義ファシスト・イタリアなど)、独立後の動員的権威主義、そしてポスト全体主義権威主義

 独裁dictatorshipということばは、ローマ帝国時代に生まれたもので、本来は危機の際の臨時政府をさす。独裁者は6ヶ月を期限に国家を指揮することができ、危機が去ると権限を委譲した。多くの軍人や君主が、国家の危機を口実に独裁を振るい、そのまま権威主義体制と化している現状から、独裁とは事後になってはじめて判断が可能になることばである。よって考察の際むやみに用いるべきでない。

  ***

 2 Totalitarian Systems

 全体主義は、以下のような特徴をもつ……1.権力の中心があり、単一の政党や独裁者に指揮される。内部で政治闘争があっても、これは既存の社会構造を反映したものではない。2.全体主義イデオロギーが大きな位置を占める。3.市民の参加、動員が重視され、不参加・逃避は認められない。

 民主主義と全体主義には共通点がある。政治参加を認める点、また知識人や知識、教育などを重視する点は民主主義に通じる。ただし、全体主義のそれは中心的イデオロギーに奉仕するものである。

 権力の中心は、軍事警察を従えていなければならない。歴史上、全体主義が軍事力によって転覆させられた例はほとんどない。イデオロギーは、全体主義体制における正統性legitimacyの源である。

 全体主義政党……一党制が必ずしも全体主義であるとはいえない。全体主義政党は、一般に人民、国民の前衛vanguardと目されており、加入には資格を要し、また党員は人口の5パーセントから多くとも25パーセントにとどまる。党はさまざまな下部組織や軍事力、警察、行政を支配するが、実際の官僚機構と党とは、一線を画していることがある。ナチ党の幹部は行政の要職につかずに、要求を伝えることができた。

 党員としての地位と、専門職としての地位との摩擦は、全体主義政党のどこにも見られる現象である。革命期や戦時を戦った古参党員が、必ずしも平時の行政処理能力に秀でているわけではない。また、全体主義教育によって育てられた専門職expertが、必ずしも党においても高い地位をもつわけではない。中国の文化大革命では、専門職としての能力よりも党における地位、党への忠誠がポスト獲得において優先されたため、社会は混乱をきたした。

 党の機能……まず、大衆の政治化である。全体主義では大衆の動員、政治参加が重視されるため、党による国民の統合機能は不可欠である。次に、党は人間を教育し、未来のリーダーをつくるリクルートの機能をもつ。また党は、独立した非政治的な権力になりかねない様々な専門職をコントロールする。たとえば軍隊には党から政治委員(commissar)を送り、掌握しようとする。また、党はさまざまな組織を代表する。

 党と国家の関係……党は国家のポストを掌握しなければならない。そうでない体制、官僚が党と拮抗していたり、党に優越していたりする体制は全体主義体制ではない。毛沢東いわく、党は国家と社会主義社会との矛盾を解決する道具である。

 マルクス主義においても、ヒトラーの『わが闘争』においても、国家とは最終的に消滅する存在である。全体主義政党にとって必要なのは党である。

 実際には、党の支配は限定的なものだった。地方組織や下部組織では党の意向が通じないこともあった。

 共産主義ファシズムの違いに、党の出自がある。ナチスは合法政党のなかで他を蹴散らすために私兵組織をつくった。ここには、「狂信的理想主義者、傭兵、サディスト」が集った。やがて党が政権をとると国防軍や親衛隊と軋轢をおこし、処分されてしまう。一方、はじめから非合法政党だったボリシェビキは、軍隊や警察機構を一から創設し、党による掌握を成功させた。

 テロルは全体主義に顕著だが、全体主義の条件ではない。全体主義体制に特有のテロルは、極端な自己正当化、恣意性にある。「ユダヤ人問題にかんする最終的解決」など、イデオロギーに支えられた非人道行為を指揮しているのが、しばしば平凡な人間であるのは、このイデオロギーの力のためである。

 全体主義化のテロルはしばしば自己正当化の特徴をもつ。共産主義化においては、犠牲者に改心や告白を迫るのが慣習となった。また、全体主義テロルは以下の特徴をもつ……家族の連座が多い。市民の自発的な参加、密告などを推奨する。エリートや軍事力にたいしても容赦なくテロルがおこなわれる。実際の行動のみならず、当人の態度や思考もテロルの理由になる。

 全体主義体制の、実際の政治過程は、イデオロギーに大きく依存する。共産主義にはマルクスという確固たる哲学があるため、他者による解釈や改善の余地があった。共産主義がときに分裂し、また異なる体制を見せるのは、このイデオロギーの幅のためである。一方、哲学的基盤に乏しく、非合理的な人種主義をかかげたナチズムには、ヒトラーの統治以外に進展することはなかっただろうとおもわれる。

 全体主義の右翼と左翼、つまりナチズム共産主義のあいだの差は、われわれが考える以上に複雑である。エリートの構成が、既存の社会構造を踏襲しているか、そうでないか、それとも階級にこだわっているか、など、細かい違いは見られる。

 表面的には、共産主義は国際主義的であり、ファシズムは狂信的な民族主義であるといわれる。ところが、ソ連や中国の対立はあきらかにナショナリズムのあらわれであり、またドイツとイタリアはファシズムという共通点において国際主義的だった。

 興味深い指摘はナチズムの政治体制である。ソ連とは異なり、ナチスヒトラーの下に親衛隊、突撃隊、国防軍といくつもの対立する組織が存在した。これら組織間の対立は、ソ連のような官僚制構造よりはむしろ封建主義の特徴に一致する。

 支配集団の性質とリーダーの役割が、全体主義体制を比較する際に重要である。もちろん、歴史上の事実を扱うのだから、純粋な一般化は不可能である。

  ***

 2 Traditional Authority and Personal Rulership

 現代における政治体制の代表的な3つ、民主主義、全体主義権威主義のどれにもあてはまらないものが、数は少ないが存在する。伝統的、前近代的なこれらの支配形態を伝統的支配とよぶ。

 フランスの植民地主義によってよみがえったモロッコの伝統的権威や、アルジェリアでの工作を参照しつつ、ある政治体制を論じる際には歴史を考慮する必要のあることを強調する。

 スルタン主義体制……ある個人による支配と忠誠が、伝統に基づいておらず、また官僚組織も発達していない形態。幹部の登用は純粋に支配者の恣意にもとづく。このような体制は、ドミニカやハイチなど、農業国か産業化の未熟な国においておこる。経済状況の変化がないかぎり、スルタン主義体制の転覆はたいてい次のスルタンを招くか、似たような権威主義体制をつくる。スルタンの財産と国家の財産は一体であることが多い。

 軍事力の一元化されていない、また、アシエンダ(大農場)制の影響の残るラテンアメリカでは、地方の支配者(カウディーリョ)が私兵をつれて政治闘争をおこなうカウディリスモという政治体制が観察された。

  ***

 3 Authoritarian Regimes

 民主主義と全体主義とのあいだには幅広い権威主義体制が存在する。権威主義体制には、イデオロギー、つまり、複雑で洗練された思考の体系は存在せず、漠然とした、単純な心性(メンタリティ)のみが存在する。この緩やかなメンタリティは、多元的な社会を支配するために用いられる。確固たるイデオロギーの不在、国家目的の不在は、市民の政治的無気力、非政治化をうながす。

 権威主義体制は、支持を得るためにしばしばその時代のイデオロギーを剽窃する。たとえば、ファシズムの看板を借りた東欧がそれにあたる。

 著者は権威主義体制の分類の際に、メンタリティ―イデオロギーの軸、動員体制―非政治化の軸を設定し、ここに各国の政治体制をあてはめることで比較を試みる。

 官僚軍事権威主義体制……この定義にあてはまるような南米、戦間期ヨーロッパの体制についてほとんど知らないので、議論を追いかけるのが難しかった。

 軍人や技術官僚による権威主義体制の確立は、産業化、近代化にともなう都市と農村の格差の発生と関連がある。ブラジルやアルゼンチンのように、競争的民主主義だった体制が、技術官僚の自信によって権威主義体制に変化することもある。また、腐敗した政治家による政府を転覆させるため軍人がクーデターをおこす、本来の意味での独裁もこの定義にあてはまる。しかし、近年では単純なクーデターはおこりにくくなっているという。この体制では単一大衆政党は生まれず、しばしば政党なしか、政府の御用政党のみが用意される。

 正統性の確保が、官僚軍事権威主義体制の安定性にとって重大な問題である。

 組織的国家統制……これはコーポラティズムのことらしい。コーポラティズムは、ばらばらの個人が属する政党でなく、職場や職業などの、より原始的な単位に基づいて市民を組織し、民主主義を運営しようという思想である。コーポラティズムは、私利私欲の目立つ資本主義や、階級闘争を中心概念とする共産主義にたいする第三の道として注目を浴びたが、その実現は失敗におわった。原始的単位はどうしても身の回りのことにしか関心をもたないため、世俗と宗教、外交、国家目的などの大きな問題に対処することができない。また、原始的な単位では、活動するのは限られた人間であり、残りの大多数は無気力に支配されている。

 歴史上、政党のない民主主義は存在しなかった。組織的国家統制は必然的に技術官僚による権威主義体制となる。この体制をもっとも純粋に実現させたのは、ポルトガルサラザールである。

 動員的権威主義体制……ファシズムの説明がつづく。ナチズムファシズムは同一ではない。ファシスト動員権威主義体制は、軍事官僚的体制よりも一元的で、よりイデオロギーが強く、また参加的である。リベラルではないが民主主義に近く、個人主義と遠いが市民の政治参加の道は開かれている。強固な国内体制をつくことが可能なので、これまでファシズム体制を倒したのは外的な力のみである。

 独立後の権威主義体制……一党制でありながら多元的な政治参加を可能にした、タンザニアの珍しい体制について言及される。

 人種的民主主義……南アフリカのことを指している。しかし、白人のなかでの民主主義は必然的に反体制派、反アパルトヘイト派を抑圧し、権威主義体制に近づく。ほか、イスラエルの体制は「同意なき他民族民主主義」に該当する。

 民族自決ナショナリズムは、しばしば民主主義の理念と衝突してきた。民族、言語、文化的相違は、階級や利益、世俗か宗教かの対立よりも、解決が困難である。

 擬似全体主義体制とポスト全体主義体制……全体主義に移行する際の権威主義にも一定の共通項が見られる。また、ポスト全体主義体制については、体制内の政治的集団の発生の度合い、発言の自由度などに応じて、数種の分類がなされている。

 スターリニズム以降の共産主義体制には、ポピュリスト的傾向と、合理化・官僚化の傾向の二つの展開を観察できるという。

 

Totalitarian and Authoritarian Regimes

Totalitarian and Authoritarian Regimes