「しあわせな日々」は英文学の授業(落とした)で映像作品をすでに見ていた。おしゃべりで活発な老婆と、ほとんどあいづちをうつだけの老人の生活をテーマにしている。老婆はこれぞしあわせな日々といっているが、舞台設定(老婆は体の半分まで荒地に埋もれている)や夫の反応などを総合するととてもしあわせには見えない。
「芝居」も映像で見た。壺に入った三人のつぶやきは舞台か映像でないとおもしろみがわかりにくい。
ほかの短い戯曲もそうだが、「ゴドー」、「勝負の終わり」以外の戯曲は実験的で、設定やからくりに凝っていて、文章だけではよくわからない。「ゴドー」と「勝負の終わり」はまだ物語のかたちをとどめているので、噛み合わない台詞やユーモア、幻想的な世界を面白がることはできる。
本書の戯曲の大半を通して、題材になっているのは老人の生活や、姦通、傲慢な演出家と助手など、ありふれたものである。