秀吉の死から家康の江戸開府、三代家光までの幕政建設を説明する本。
天下を統一するには、実力だけでなく正統性も必要だったということが詳しく書かれている。統一者は源氏と平氏が交互につくという信仰のようなものがあり、家康はこれに沿うように系図をつくらせた。
また、征夷大将軍という肩書きを得るため宮様と交渉したのも正統性を得るためである。
関が原の合戦によって、武断派が勝利し、三成ら分地派は排除された。
合戦の様子については、大人数のためにおもしろい出来事がいくつも発生している。西国から家康に与しようとした大名は前進することができず、足止めを食らった。また、裏切り者はわざと部隊を進めずに後続部隊を膠着させた。
関が原の後、家康は秀頼らをどう扱うかを重視した。著者によれば、家康ははじめから豊臣家を亡ぼすつもりではなかったという。家康が統一者であることを認め、服従すれば問題はない。しかし、豊臣家臣や、女たちがわがままで血気盛んなため、ついに亡ぼされた。
ほかにも、家康から秀忠、家光の治世までに多くの家がとりつぶされたり、厳封、転封にされた。これは幕府による統治の基盤を組み立てるために不可欠だった。
家康は法度をつくり対象者に厳守させた。法度は絶対であり、理、すなわち物の道理や合理性を超越する。たとえ理にかなっていなくとも法は守られなければならない。
最後に綱吉の代に起こった島原の乱に着目する。島原の乱はキリシタン弾圧に対する抵抗のあらわれだが、
また農民への過酷な負担、生計手段を失った浪人の処遇も原因である。寺社と幕府の関係、島原の乱についてさらに調べていく。