1
詩は読むことにより現れる楽しみである。無味乾燥とした研究や死んだ状態の書物が詩なのではない。
2
隠喩は無数にあるがそのほとんどは少数のパタンに帰着させることができる。しかし、そのパタンから外れた隠喩も存在する。
3
叙事詩が書かれることは少なくなったが人びとは叙事詩を渇望している。ボルヘスによれば叙事詩をたくさん提供してきた場所の1つがハリウッドである。
小説は行き詰っている。しかし物語を聞く、語るということに人びとが飽きるとは思えない。
ジョイスの『ユリシーズ』を読んでも2人の登場人物のことはよくわからないが、ダンテやシェイクスピアの人物についてはごくわずかな文章でよくわかる。
4
翻訳は原典とは別のかたちの作品として楽しむことができる。また、逐語訳は原文の意味を正しく伝えないことが多いが、ときに新鮮な言葉を生みだす。
5
言葉はどれも唯一無二のものである。
6
ボルヘスは千一夜物語、マーク・トウェイン、ホイットマン、カーライル等から影響を受けた。また古英語の詩に楽しみを見いだした。
――人は、読みたいと思うものを読めるけれども、望むものを書けるわけではなく、書けるものしか書けないからです。
自由詩よりも定型詩のほうが書きやすいが、若者はまず自由詩に手を出す。
若者は「自分」を隠して書こうとし、虚栄心に充ちた文章を書く。
書くときに現代的であろうとする傾向がある。そもそもわれわれは現代人なので、現代人たろうと努める必要などない。「主題も、文体も関わりありません」。
書きはじめのときは精一杯文体にこったり、飾り付けたりする。
ボルヘスにとって作家であることは自分の想像力に忠実であることを意味する。かれは夢に忠実であろうと努力する。
また、自分の作品をいじるのはできるだけ少なくし、あれこれひねくりまわすのをやめるよう忠告している。
――何かを書いているとき、わたしはそれを理解しないように努めます。理性が作家の仕事に大いに関わりがあるとは思っていません。現代文学のいわば罪障の1つは、過剰な自意識であります。……これこれの地方に生まれ社会主義者の気味もある(例えば)カトリック教徒は、果たして何を書くべきだろうか? あるいは、第2次世界大戦を経た今日、われわれはいかなる書き方をすべきだろうか? わたしの考えでは、こういう迷いのなかで仕事をしている者は世界中に大勢いるのです。
かれは書くときは自分を忘れるように努めているという。
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物語を書くことについては、筋立てが大部分を占める短編が適切である。ボルヘスは自分の夢や想像を忠実に提示しようとしている。