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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

古いSF――ジュール・ヴェルヌ

 『海底二万海里』を読み始めました。

 福音館書店の本は『アーサー王』など小学校の時によく図書館で読みましたが、装丁がよいです。

 

海底二万海里 (福音館古典童話シリーズ)

海底二万海里 (福音館古典童話シリーズ)

 

 

『トマスによる福音書』荒井献 ――教義が固定化する前のキリスト教

 ◆メモ

 ナグ・ハマディ写本の中に収蔵されるトマス福音書を解説する。福音書成立の背景は、細かい本文批評に基づくもので素人には覚えにくい。

 本書の特長は、グノーシス主義の特徴を明確に示し、福音書の言葉を逐次註解していく点にある。

 カトリック成立の過程で異端とされ、追放された思想には、現代においてはより受け入れやすい要素(男女の平等、内的自己の探求を重視)も多い。

 

 

  ***

 1部 トマス福音書の背景

 1

 ナグ・ハマディ写本は1945年、エジプトの農夫に発見されたが、この文書群が広く学者に公開されるようになるまで、40年を要した。

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 トマス福音書成立時代の教父たちは、これを偽書マニ教が採用した書として非難していた。

 しかし、実際にはマニ教徒による偽作ではない。最終編集者はおそらくグノーシス主義者だったとされる。

 3

 トマス福音書の起源は、20世紀初頭にエジプト中部で発見されたオクシリンコス・パピルス(OP)を参考にたどることができる。

 トマス福音書の起源は、その大本はエデッサのシリア語トマス福音書であり、これが分岐してそれぞれOP、コプト語トマス福音書すなわちナグ・ハマディ文書になった。

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 外典との関係について。

 トマス福音書は、シリアのエデッサ教会(正統派のアンティオキアと対照的な地)、ユダヤキリスト教的要素(禁欲主義、肉体軽視)等との関連がみられる。

 

 ……トマス福音書所収のかなり多くのイエス語録は、その1つ1つをとれば、「グノーシス」的にしか解釈できないものでは決してない。それらは「ユダヤキリスト教」的にも、「正統」的にも、あるいはさらにユダヤ教的にも解釈可能なのである。

 

 また、トマス福音書グノーシスのいずれの宗派に属するとも特定されていない。

 

 主な神話論の痕跡は以下のとおり。

・天地は消え去る。

・至高者「父」と真実の「母」が命の根拠

・神(創造神)への消極的評価、否定の対象

・イエスは父から出た者であり、すべての上にある光

・人間は光の子だが、現実には肉体のなかにあり、光・魂・本来的自己を認識していない

・事故を認識した者にとって「父の国」は現臨している。

・はじめあるところにおわりがある

 

 父と神は別物であり、人は父から生まれたが、神(創造神)のつくった天地と肉体の中で支配されている。

 トマス福音書はナハシュ派等の異端、外典にも広範な影響を与えている。

 

 5

 福音書聖典との関係。

 

 前提:マタイとルカは、イエスの行動についてはマルコ福音書を、言葉についてはQ(イエスの言葉資料、現存せず)を参考に編纂された。

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 トマス福音書は、Qだけでなく、Q以外の伝承も取り入れている。

 

 各福音書の語句とトマス福音書の語句とを参照した結果、トマス福音書は、共観福音書ヨハネを除く正典福音書。共通の内容が多いため共観表がつくられた)に対して2次的ではない。

 すなわち、共観福音書から生まれたものではなく別系統から来たものということがわかる。

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 著者はトマス福音書が、シリア語あるいはギリシア語のユダヤキリスト教出自伝承を採用したものだと想定する。

 

 トマス福音書の編集者はおそらくヨハネ福音書を知らなかったとおもわれるが、両者の言葉は様々な点で類似している。両者とも、キリスト教外部からだけでなく内部でも孤立していたためだろう。

 

 

 その結果、かれらは、「この世」を否定的に超えて、「内面への旅」に出立する。

 

 

 ただし、ヨハネのイエスは言葉を守る者が救われるとしたのに対し、トマスのイエスは言葉を知ること・解釈することが救いなのだとしている。

 

 6

 グノーシス主義との関連について。

 歴史上「正統」が定められたのは、451年「カルケドン信条」が採択されてからである。この信条と「ニカイア公会議信条」が教義の基準となった。

・キリストにおける神性と人性の並存

・父・子・精霊の三位一体

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 グノーシス派が異端とされた論拠はこれらの信条ではなく、「使徒信条(世界教会信条)」である。

 実際には、正統派確立の動きは2世紀から始まっていたが、こうした古カトリシズム時代の、最古最大の異端がグノーシス派である。

 

グノーシス派は聖文書(正典)を無制限に拡大したため、正統派はこれを抑制しなければならなかった。

グノーシス主義キリスト教以前にも様々な地域で存在した。この思想枠組をキリスト教に適合させたものがキリスト教グノーシス派である。

 

・その本質は以下のとおり示される。

 

 それは、端的にいえば、人間の本来的自己と、宇宙を否定的に超えた究極的存在(至高者)とが、本質的に同一であるという「認識」(グノーシス)である。
 よって、人間の現存在……この世や肉体を生んだ宇宙の形成者(デミウルゴス、創造神)は否定される。

 

 これが「反宇宙的・本来的自己の認識」と呼ばれる主題である。

 

グノーシス派の背景にある神話論は次のとおり。はじめ至高者(父、霊)があった。かれは女性的属性(思い、知恵、魂)と対をなし、かれらの子とともに三位一体をなしていた。やがて女性的属性は中間世界で「支配者たち(またはアルコンテス)」を生んだ。その長デミウルゴスは自らを万物の主と誇示し中間界と下界を支配した。人間はこのため自己の本質を忘れ無知の虜となっている。そこで至高者は「子」を啓示者としてつかわし、人間を目覚めさせた。

 

グノーシス派の教えは、正統派教会と対立した:現世権威(教会)の否定、女性的要素の重視、だれでも解釈ができ無限に宗派が増大

 

グノーシス派の旧約に対する解釈は次のとおり。

 創世記:デミウルゴスの行為として否定的評価

 律法:デミウルゴスの決め事として否定する派と肯定する派あり

 予言者:デミウルゴスの力とする派がある。デミウルゴス自身も、自らの上にいる至高者を知らぬ傲慢な存在とされる。

 しかし、全体としては旧約に対する評価は一様でない。

 

 

  ***
 2部 イエス語録

 トマス福音書においては、相対立するユダヤキリスト教グノーシス主義とが並立している。ユダヤ教は創造神(デミウルゴス)と律法を絶対視するがグノーシスはそうではない。しかし、両者とも禁欲主義を重んじる。

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 以下、福音書に書かれたイエスの言葉が逐次解説される。

・ディディス・ユダ・トマス……ディディス、トマスともに(イエスの)双子の意味。

ユダヤ教では生後8日目に割礼するため、それ以前の新生児は人間以下である。福音書では老人が生後7日目の赤子に学ぶ。

ユダヤ教の三大善行である断食・祈り・施しは黙殺され、倫理規範……「嘘をついてはならない」、「自身が憎むことをしてはならない」が説かれる。

・語録の多くは他の福音書と重複するが、グノーシス主義的な編集をされている。他の文献には見られない文言を「アグラファ」という。

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グノーシス派において人間の原初の形は男女両性であり、また子供の状態を言う。

 

・より純粋にグノーシス的思想を伝える、アグラファの抜粋……

 

 イエスが言った、「単独なる者、選ばれた者は幸いである。なぜなら、あなたがたは御国を見出すであろうから。なぜなら、あなたがそこにから来ているのなら、再びそこに行くであろうから」

 

 イエスが言った、「この世を知った者は、屍を見出した。そして、屍を見出した者に、この世はふさわしくない」

 

 イエスが言った、「すべてを知っていて、自己に欠けている者は、すべてのところに欠けている」

 

 彼が言った、「主よ、泉のまわりには多くの人びとがおりますが、泉の中にはだれもおりません」

 

 イエスが言った、「私に近い者は火に近い。そして、私から遠い者は御国から遠い」

 

 イエスが言った、「1つの身体によりかかっている身体はみじめである。そして、この両方によりかかっている魂はみじめである」

 

 イエスが言った、「父と母を知るであろう者は、娼婦の子と呼ばれるであろう」

 

 イエスが言った、「私の口から飲む者は私のようになるであろう。そして、私もまたその者になるであろう。そして、隠されていたものがその者に現れるであろう」

 

 イエスが言った、「この世を見出し、裕福になった者は、この世を棄てるように」

 

 イエスが言った、「天は巻き上げられるであろう。そして地もまた、あなたがたの前で。そして、生ける者から生きる者は死を見ないであろう」。――イエスは言っていないか、「自己自身を見出す者に、この世はふさわしくない」と。

 

 

  ***

 3部 トマス福音書のイエス

 この福音書に示されるグノーシス主義のまとめ。

・神(創造神、デミウルゴス)は相対化される。

キリスト教の伝統と敬虔、またユダヤ教の慣習も批判の対象となる。

・子供はより原始の状態に近いものとして評価される。また女性はやがて男性と一体化する存在として平等の扱いを受ける。

・イエスの教えは、この世のものである富や肉体に酔いしれずに覚知すること、本来の事故を求めることにある。

・人間は本来、光すなわち至高者からやってきた光の子らである。またイエスと父のいる場所は光であると同時に命である。

トマス福音書では、天国、神の国とはいわず、父の国、御国という言葉を使う。意味も異なり、御国は客観的な、特定の領域ではなく、人間の自己の本質に内在するものである。

・単独者とは、性(恥)と肉体を脱出し、裸の状態にある原初的な者をいい、かれは両性具有者であり統合者である。単独者の出自と目標が御国である。

トマス福音書では、愛は兄弟(同胞)に対する者に限定されるが、宣教を否定するものではない。

 

トマスによる福音書 (講談社学術文庫)

トマスによる福音書 (講談社学術文庫)

  • 作者:荒井 献
  • 発売日: 1994/11/02
  • メディア: 文庫
 

 

 

 ◆参考

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

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トゥキディデス『歴史』がおもしろい

 

The History of the Peloponnesian War: Revised Edition (Penguin Classics)

The History of the Peloponnesian War: Revised Edition (Penguin Classics)

  • 作者:Thucydides
  • 発売日: 1954/09/01
  • メディア: ペーパーバック
 

 

 アテネ側とスパルタ側が30年超にわたって戦ったペロポネソス戦争を、正確性に着眼を置いて記述したトゥキディデスの本です。

 戦争の発端は、現代に通じるものがあります。

 ペルシア戦争の勝利で海軍大国として台頭したアテネに対し、脅威を感じたスパルタがこれをけん制しようとお互いに同盟を結成して対立に至ったというものです。

 戦争の発端は、同盟都市の支援をめぐる紛争です。

 

 はるか昔にヘロドトスの『歴史』を読んで、そちらはほとんど記憶していませんが、トゥキディデスの本書は、因果関係の説明が非常に明快で面白いです。

 

 もっと早くに読んでおけばよかったと思いました。

 ペンギンの英語版はとても読みやすいです。

 事前知識はウィキペディアを流し読みすれば十分でした。

 

 


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『初めて人を殺す』井上俊夫 ――ある日本兵の回想

 日中戦争従軍者によるエッセイ集。著者は大坂で詩人として活動してきたとのことである。

 内務班でのリンチ、現地人に対する略奪、捕虜の殺害等、多数の回想や公文書・記録に残された事象を実際に体験した人物の回想録。

 

 

 1

 今、靖国神社にやってくるのは「腹にいちもつある政治家や遺族会のボスども」だけである。一度奉じられた英霊は遺族の故郷に戻すことができない。

 

 

 2

 著者は自身の体験から、昭和天皇に対し批判的であり、反天皇的な詩も発表している。

 

 遺族会や保守派政治家は、侵略戦争という定義に反対するが、「……いかにも戦死者の尊厳を守り、名誉を重んじているかのように見えるが、その実これは、なにがなんでも日本の侵略を認めまいとする連中が、死者を利用して展開する、復古的な戦争観のキャンペーンにほかならないのだ」。

 

 著者は、死んだ友人たちの声を代弁する。

 

 「俺たちも『朕』のように長生きしたかった!」と。

 

・兵の大多数を占める上等兵二等兵にとっては、戦闘と同じくらい私的制裁やしごきが苦痛だった。

・戦友会の会合に参加した著者は、当時の小隊長(少尉)から、捕虜虐殺について話を聞いた。中国駐屯部隊に現地入隊した著者は、基礎訓練を受ける過程で、木に縛り付けた中国人捕虜を銃剣で刺殺した。少尉の言葉によれば、ほぼすべての部隊が捕虜を連隊本部から配分し、刺殺や斬首の訓練に使用していたという。

 また当時の中隊長は同性愛者で、自ら捕虜を斬首することで性的興奮を得ていた。

 

 「もともと中国人という人種はなにかにつけて程度が低く、かれらはその日その日をなんとか過ごすための粗末な食いもんと衣服と家さえあれば満足している民族やからな」

 

・元将校や兵隊の圧倒的多数は、戦中からまったく変わらない戦争観・中国人観を持っている。近年ではかれらは、そういった言説を歓迎する政治家や企業の空気を敏感に感じ取っている。

・著者は、歩兵部隊から航空部隊の気象小隊に転属したが、勤務内容は非常に事務的・技術的なものだった。

・占領した地域では、外出や町をふらつく余裕もあり、著者は武昌の売春宿に通い詰めた。

・兵士たちは、中国・朝鮮の女性に対する性的な憧れを抱いていた。それは、古今東西の侵略軍が抱くものと同様である。人はみな敵国に対し殺戮願望と姦淫願望を抱く。

 兵士たちにとって慰安婦は懐かしい思い出だが、当人たちの多くは、中国や朝鮮その他の国から、半ば強制的に・詐欺的に連れてこられたのだった。

 

・8月15日の靖国神社の光景……日本会議と「英霊にこたえる会」が主催する集会、コスプレ男たち、右翼団体

 

・「英霊にこたえる会」の末端にいた元兵士たちは平凡な市民が多く、国家主義的な言説に賛同するような雰囲気ではなかったという。遺族たちの大半も、純粋な気持ちで墓参りに来る未亡人や子供、孫たちである。

 

 

 3

 初年兵として中国に派遣されたときの生活を回想する。大部分は内務班での出来事からなる。

 中国江西省南昌近郊の駐屯地は、軍が中国人から接収した屋敷を利用していた。著者は中国伝統家屋を改造した内務班で生活した。内務班では、約23人の兵を2人の古参兵(兵長上等兵)が監視・監督していた。

 

 歩兵八書…『歩兵操典』『作戦要務令』『諸兵射撃教範』『軍隊内務書』『陸軍礼式令』『衛戌令・衛戍勤務令』『陸軍刑法』『陸軍懲罰令』

 

・戦地でも内務班の私的制裁は存在した。軍は私的制裁があまりにはびこっているのを問題視していたが、最後まで解決しなかった。

 

・幹部候補生試験の資格は中卒以上であり、ある程度の富裕層に限られた。また、合格のためには、上官へのごますりが必要だった。

 

・中隊長は同性愛者で、新兵の中から好みの若者を選び部屋番にし、性行為の対象にしていた。

・兵隊は選抜により上等兵兵長下士官になる道が開けているが、要領のよさと、上官のえこひいきが不可欠である。

・治安維持のために近隣の集落にいき、銃剣を構えて家屋を一斉検問した。

 

 いつも上官にいびられ、小さくなって暮らしている私たちであるが、中国人に接するときだけは、なんの遠慮会釈もいらなかった。私たち初年兵が威張れる相手は中国人だけしかいなかった。

 

 著者ら初年兵はある朝、非常呼集で起こされた。かれらは木に縛り付けられた中国人捕虜を銃剣で刺し殺すよう命じられた。これは部隊が必ず新兵にやらせている訓練である。

 

 

  ***
 あとがきから:

 著者は自分の従軍体験を内省するつもりで文章を書いており、反戦活動家として喧伝することを目指しているわけではないという。

 

 戦争には楽しい面…国家・組織と一体化する感覚、後輩しごき、異国の女を強姦する等があり、平和に慣れた若者でも簡単に適応してしまうだろう。

 戦争の反省が適切になされたとは言い難く、平和・反戦はダサくてかっこ悪いものになったと、80歳過ぎの元兵隊でさえ感じ取っている。

 日本兵の大半は善良な市民であり、狂っていたわけではない。だからほとんどの兵は反乱や不服従などの罪を犯さなかった。かれらは大日本帝国の命令に忠実に、敵兵、捕虜、民間人を殺害し、略奪、放火、強姦を行ったのである。

 

 すなわち、戦争を企て、独善的な大義名分でもって国民を説得し煽動して、戦争に駆り立てるのは、おのれ自身は絶対に危険な戦場に立つおそれがない大統領や首相と呼ばれる最高権力者であり、その傍ら近くにいる中高年の政府高官や高級軍人、それに与党の政治家たちである。そして、そうした連中の命令を受けて第一線でありがたく名誉の戦死をとげさせてもらえるのは、権力者を批判したり、それと戦ったりする術をもたない、素直で従順な若者たちと相場が決まっているのだ。

 

 おわり

 

初めて人を殺す―老日本兵の戦争論 (岩波現代文庫)