うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

東の軍、西の軍

 

 米陸軍で勤務したコリン・パウエルと、その1世代後にソ連軍で勤務したスヴォーロフの自伝は非常に対称的である。

 もちろん、かれらの経験がその軍や国の性質をすべて網羅しているわけではないので、米軍が素晴らしいと言っているわけではない。

 

 

 ◆米軍

 ――フォート・ベニングでは、アメリカ軍人は自己犠牲の理由を知らされなければならないと教わった。わたしたちの兵隊は、召使や傭兵ではない。かれらは国の息子たち・娘たちであり、意味のある目的のためにのみその命を危険にさらす。もし兵隊の義務がその命を危険にさらすことであるなら、指導者の責任は、かれらの命をムダにしないことにある。

 

My American Journey

My American Journey

 

 

 

 ◆ソ連

 ――ソ連共産党社会主義社会ではなく牢獄に似たものを作り出してきた、としてしばしば非難されるが、これは正しくない。……万人が平等な真の社会主義とは、牢獄に似ているのではなく、牢獄そのものである。

 ――このような社会は、壁に囲まれ、監視塔と番犬に警備されなければ存在できない。なぜならば人びとは常にこのような体制から逃げ出したいと考えているからである。その点も牢獄と同じである。

 

Inside the Soviet Army

Inside the Soviet Army

 

 

 

 ◆文化を超えた体験

 ソ連軍の徴兵の様子が、あまりに日本の現代版士官学校に似ているので笑った。

 このような光景は古今東西の軍隊の一般的な姿ではないかと考える。

 

 軍隊に入ると、階級のない社会という共産主義の幻想が突然消失し、厳然たる階級社会が出現する。

 兵舎には、全部で4期(徴兵は年2回行われ、2年間服務する)の兵隊が生活している。新兵がやってきた晩、上級生たちはかれらを裸にして鞭で叩き、馬乗りになって暴れる。こうしてかれらは厳しいおきてを学ぶ。

 新兵が支給された新しい制服は上級生が奪い、かわりに新兵がボロボロのものを着る。

 神と奴隷に近い兵隊同士の関係は、部隊の指導者にとっても有益である。

 かれらが最上級兵(動員解除(Demobilization)まで半年の期)に何か命じれば、代わりに新入りたちが汗をかいて仕事をしてくれる。

 

 

  ◆地上最強の軍隊

 ソ連軍は食糧不足のためにどの師団も豚を飼育していた。著者らは強制寄付で集めた金で豚を殺して調理し、また豚を売った金でキャビアなどの食材を買い、検閲団(部隊の能力を点検する訓練検閲団)を宴会でもてなした。

 APC(装甲兵員輸送車)の操縦点検では、車内に潜んだ一人のベテランが、試験対象の10人に代わってすべて運転していた。

 射撃訓練では、草陰に隠れた狙撃手がこっそりと的を撃って点数を稼いだ。

 検閲担当者たちは、現実から遊離した作戦や戦略ばかりを練っている。

 かれらは兵隊たちに対し、軍紀やドクトリンについて口頭試問するが、聞かれた兵隊たちの大半がロシア語を覚え始めたばかりであることを知らないか、知ろうとしない。

 

 

『ウィキリークスの内幕』ダニエル・ドムシャイト-ベルク その2 ――ハッカーたちの内輪もめ

 10

 アイスランドでの法案成立は失敗した。

 ウィキリークスチームは、ホテルの部屋で共同生活をした結果、お互いに我慢がならなくなり仲違いし、著者も、無秩序とゴミ、悪臭に耐えられず帰国した。

 

 

 11

 アサンジの被害妄想が強まっていき、またチーム内で強権をふるうようになった。

 アサンジは著者を罵り、また役立たず、敵とみなすようになっていった。

 

 

 12

 イラク・米軍ヘリ民間人射殺ビデオの公開について。

en.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

 

 13

 ビデオを投稿したマニングは、エイドリアン・ラモというネット上の知人に事実を告白したことで通報され、身元を特定され逮捕された。

 しかし、この話には様々な裏があり、単純な仲間内の密告ではなく、米情報機関が関与している可能性がある。

 告発者保護は、ウィキリークスにとって大きな課題の1つとなった。

 学生組織の規則やマニュアルをめぐって、過去に情報提供者が露見したことがあった。

 著者は、内部告発や情報提供を行う場合、大マスコミはセキュリティ認識が甘いためお勧めしない、と警告する。

 

 

 14

 アフガン戦争機密文書公開に際して、アサンジは三紙と契約した。しかしメディアが主導権を握り、スクープの手柄をとり、また独占権を手にしてしまった。

 アサンジはチームに対し自身の動きをまったく伝えず、一方的に無理な指示を行った。

 アサンジは一部の仲間にシステムの権限を与え、セキュリティを危機にさらしていた。また、著者がアサンジを陥れようとしている、という讒言を真に受け、著者を遠ざけ、攻撃するようになった。

 

 ――……ジュリアンは、新しいお気に入りの文句を言うばかりだった。「危機の時はリーダーに挑むべからず」

 ――ずっと以前からジュリアンは、有能な人間のことを「資産」と表現していた。……こうした概念にジュリアンは、特に反感を感じていなかった。ウィキリークスのメンバーはかれにとって、弾丸のえじきにすぎなかったのかもしれない。

 

 情報提供を通じて、どの情報機関も一様に稚拙な文書を書いていることを著者は発見した。

 それは高校生の幼稚な論文のようだった。

 

 

 15

 アサンジがレイプ容疑でスウェーデン検察庁に訴追された件について。

 

 

 16

 アサンジは疑心暗鬼にかられ、また自分が各国の情報機関い追われているという被害妄想を抱くようになった。

 著者は、身勝手な行動を繰り返すアサンジをいさめた結果、敵認定され排除された。

 

 

 17

 アサンジのレイプ問題のための基金投入や、独善的な行動のために、チームからは次々と離反者が出始めた。

 著者と、最大の技術的貢献者であるアーキテクトは、お互いに新しい内部告発サイト「オープンリークス」を設立した。

 

 

 18

 イラク戦争日誌の公開時には、ビデオ制作をめぐって大マスコミとの契約・金銭トラブルが発生した。こうした権利問題がしばしばウィキリークスを悩ませた。マスコミと対等に交渉するのは困難だったようだ。

 アサンジは著者に対し、ウィキリークス内部のトラブルを漏洩するなと脅迫した。主要メンバーが抜けたため、システムは復旧しなかった。

 

 

 19

 外交公電事件について。

ja.wikipedia.org

 

・各紙との協力

・一躍、ヒーローとなったアサンジ

 

 しかし、著者の見解では、レイプ事件訴追は本人が言うようなペンタゴンの陰謀ではなく、アサンジ本人の行動が原因である。

 外交公電を無価値だと断ずる政治家などもいたが、著者はこれに反論する。

 

 ――……それなら人びとは、いったい何を重要だと考えるのか。……レバノンの国防大臣が、イスラムシーア派組織ヒズボラを一掃すべく、自国をイスラエルに爆撃させようとしたのは、興味深い話ではないのか? 世界の大国アメリカが国連を政治的にも社会的にもさらに弱体化させるだけでなく、そこから組織的に何かの情報を掘りだそうとしていることにも、興味をひかれないか? そしてヒラリー・クリントン国務長官が外交官たちを使って、国連の幹部級職員の情報をEメールのパスワードから生体学的な詳細やクレジットカードの番号に至るまで調べあげようとしているのは?

 

 人間や権力が汚いことくらい知っている、といって政治に無関心を決め込む人もいるが、それでは事態は変わらない。

 

 アサンジは反ユダヤ主義者たちと密接に協力するようになった。

 ウィキリークスが、特定の団体や報道に対し、有償で内部告発情報を引き渡しているとすれば、サイトの中立性が損なわれかねない。

 

 

 20

 著者と「アーキテクト」が新たに設立したオープンリークスの理念について。

・格情報に応じた公開先の選択

・組織内部における権力の分散

・NGO等との連携

 

 ※ オープンリークスプロジェクトは中断し、現在著者は、内部告発サイトのスタートアップ支援を行っているという。

 

ウィキリークスの内幕

ウィキリークスの内幕

 

 

『ウィキリークスの内幕』ダニエル・ドムシャイト-ベルグ その1 ――ハッカーたちの内輪もめ

 ウィキリークスは、オーストラリア人ジュリアン・アサンジが創設した、匿名により機密情報を公開するウェブサイトである。

 

 ウィキリークス内部でジュリアン・アサンジとともに働いた著者は、アサンジと不和になりチームを追い出され、この暴露本を書いた。

 

 

 ◆メモ

 ウィキリークス内部分裂の原因は、他の組織にも共通するもので、決して独自のものではない。

 リーダーの人望がなかったり、独善的だったりするとすぐに仲間割れが始まる。

 本書でも、ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジはほぼ人格破綻者として描かれている。喧嘩を深刻化させているのは、チャットでの罵り合いや、同部屋での集団生活、お金の配分をめぐるトラブル、手柄や功績の取り合い等である。

 

 しかし、報道の自由化、情報の自由化が人びとの権利の向上に資するはずという理念は皆同じであり、わたしもこれに同意する。

 また、権力を持つ者の不正に物理的な力以外で対抗できるのは、現在ではコンピュータ技術であると確信している。

 

 一方、合衆国大統領選におけるロシアの介入を調査した『Russian Roulette』によれば、合衆国では、アサンジはロシア情報機関と強いつながりがある人物として扱われている。

 

 

 全体的にみて、西側諸国に関するリークが目立つこと、ロシア側が西側諸国に反論する際、西側諸国による言論弾圧の例としてアサンジを挙げること、大統領選の際民主党側をリーク対象にしたことが理由である。

 こうした情報工作は大国であればどこもやっているので、現時点で判断することはわたしには不可能である。

 


  ***
 1

 著者はドイツ人で、セキュリティ会社の技術者として働いていた。かれは2007年にジュリアン・アサンジと出会ったときの印象を語る。

 アサンジは変人・偏屈で、著者の知人や、ベルリンのハッカーコミュニティ運営者ともめごとをおこしていた。

 かれは何日も服を着替えず、プレスルームで寝泊まりし、入場料の支払いを頑なに拒否した。

 しかし、二人はウィキリークスの理念……情報の自由化に関して意気投合した。

 

 

 2

 スイスのジュリアス・ベア銀行の取引データをアップロードし、銀行や脱税者たちから脅しを受け撃退した経緯について。

 初期はアサンジと著者くらいしかメンバーがおらず、またサーバーも旧式1台だったが、大規模組織とネットワークを装い対抗した。

 著者は、世の中の悪党と戦っているという満足感を得た。

ja.wikipedia.org

 

 

 3

 「信者に荒唐無稽なうそを教え、金を搾取し、脱会者を脅迫する」という危険なカルト宗教サイエントロジー内部告発について。

ja.wikipedia.org

 

 

 4

 情報を公開するにあたりオールド・メディア(雑誌や新聞、テレビ)と接触することがあったが、重要なニュースが必ずしも取り上げられるわけではなかった。

 

 ドイツの情報機関であるBND(ドイツ連邦情報局)は、ウィキリークス宛に機密文書削除のメールを送ってきたことで、その真実性を自ら証明してしまった。

 またBNDはネットサーフィン用のIPアドレスでウィキペディア核兵器、軍用機、BNDのページなどを書き換えていた。

 

 ――さらに面白かったのが、ゲーテ・インスティトゥート(ドイツ文化センター)に関する書き換えだった。以前、この項目の説明文には「世界各地にあるゲーテ・インスティトゥートの多くは、BNDの非公式のコンタクトポイントとしても使われている」という一文があった。これが、「世界各地にあるゲーテ・インスティトゥート支部は、BNDの非公式の駐在所として使われてはいない」という正反対の一文に変えられてしまっていた。

 

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

 

 5

 ジュリアン・アサンジ人間性……変人、奇行。

 他人を、自分にとって利益があるかどうかという観点からしか見ない。

 著者を、都合のいい使用人だと考えていたふしがある。

 

 

 6

 寄付金の用途をめぐる対立、助成金応募をめぐるけんかについて。

 

 ――両親は私を責任感のある人間に育て上げた。こういうことはそう簡単に忘れられるものではない。

 

 会社の仕事でモスクワのデータセンター建設現場に向かい、いい加減な工事、ひどい扱いの外国人労働者、警察権力ぐるみの不正を目の当たりにした。

 かれは会社をやめ、ウィキリークスに専念する。

 

 

 7

 各国が行うネット検閲に対する抗議活動について。

 政治的社会参加の方法……

・不正の告発

・現在進行形のプロセスに対する申し立て

 

 

 8

 「報道の自由」が確保される場所、ジャーナリズムヘイブンを作るために、アサンジ一行はアイスランドに滞在し、政治家に働きかけた。

 

 

 9

 有能な技術者たち……アーキテクトやエンジニアについて。

 寄付や支援金などで資金が集まった。

 アサンジは、反乱者組織を目指していた。しかし、ウィキリークスを中立な報道機関と考える著者とは意見が異なった。

 間もなく、給与の支払いをめぐり、トラブルが発生した。

 

 

 [つづく]

 

ウィキリークスの内幕

ウィキリークスの内幕

 

 



『サムソン・オプション』セイモア・ハーシュ その2  ――容認された核開発

 10

・施設……テルノフ空軍基地核兵器貯蔵庫、ハイファ核兵器組み立て工場、再処理施設完成(1965)

ジェリコミサイル(仏支援)

イスラエル核武装と、エジプト(アラブ連合)のソ連からの核兵器供与の懸念

 

イスラエルIAEAによる査察を拒否し続けた。

 

 ――イスラエルはもちろん、アメリカ製の武器をさらに入手するためであれば、あらゆる手を使うつもりであった。しかし、自国の将来を守るうえでアメリカを「あてにする」つもりは毛頭なかった。

 

 「サムソン・オプション」とは……

 

 ――サムソンは旧約聖書土師記の英雄。血みどろの闘いの跡、遊女デリラにだまされてペリシテ人に捕えられ、眼をえぐりだされて、ガザのダゴン神殿で見世物にされた。しかし、最後にもう一度、怪力を取り戻させてくださいと神に祈った。そして「わたしの命はペリシテ人とともに絶えればよい」と叫ぶや、神殿の柱を押し倒した。神殿は崩れ、サムソンは数多くの敵を道連れに死んだ。核武装推進派にとっては、サムソン・オプションとはマサダの悲劇を「二度とふたたび繰り返さない」ことであった。

ja.wikipedia.org

 

 

 11

 CIAは、ユダヤ人、親イスラエル職員を警戒するようになった。

・各国大使館ゴミ収集業者のCIAによる買収

・米国のイスラエル情報分析ミス

 

 ――この分析には、驚くほどの欠陥がある。イスラエルが核戦力の獲得を公表するか、少なくとも公式のルートで知らせてくるだろいうという大前提である。

 

・ジョンソンと政府首脳は、イスラエル核開発を黙認した。

・官僚たちの監視は無視された……イスラエル南アフリカ、イエローケーキの輸入

 ※ 1967年6月 六日間戦争

 

 

 12

国務省を無視し、イスラエルと大統領を直接結ぶ大使

・ジョンソン政権、ニクソン政権の黙認

 

 

 13

イスラエルは、アメリカは信用ならずと判断した。

・ダヤン国防相の推進

モサドによるウラン鉱石購入(偽装会社を欧州で設立し、イスラエルに輸送する)

 

 

 14

 CIAが核武装情報を報告したところ、ジョンソン大統領は激怒し、もみ消しを支持した。

 正式に報告を受けてしまえば何らかの対策をとらなければならないからだ。

 さらに退陣間際、ジョンソンは攻撃機F4をイスラエルに売却した。

 ※ 当時F4は核攻撃用途で使われており、三沢基地のF4もミサイル投下→離脱の訓練を繰り返していた。

www.popularmechanics.com

 

 

 15

 地下再処理施設について……

 バヌヌ・リーク……モロッコ人技術者による核施設・核開発の全容リーク

 ※ ディモナは劣化ウラン加工施設も備えていた。

 

 

 16

 1969年、ニクソンキッシンジャーの登場……勢力均衡思想に基づく核拡散容認論

 政権・CIAは、核容認の方向へ忖度し、情報を握りつぶすようになった。

 

・1973年時点で、イスラエルは最低20発の核弾頭を保有し、搭載攻撃用F4はソ連核都市、アラブ各国都市に爆撃可能だった。

・訓練・保安体制の強化

 

・モシェ・ダヤンは軍・政府内での評価が低い……おしゃべり、女性関係、不正蓄財

ja.wikipedia.org

 

・1972年、ディモナ責任者アハロン・カツィールが、ロッド空港において日本赤軍により殺害される

イスラエル高官内のスパイによるKGBへの情報漏洩

イスラエルの驕り……主敵はソ連、アラブは恐れるに足らず

サダトソ連顧問団追放とイスラエル侵略準備

・1973年10月6日、ヨム・キプール戦争が始まった。シリア軍とエジプト軍がイスラエルを侵攻した。イスラエルゴルダ・メイア首相、ダヤン国防相)は窮地に陥り、核攻撃準備を行った。

 

 

 17

 ヨム・キプール戦争時、10月8日の首脳会議……軍再結集、核攻撃準備、米国への通告と介入要請

 

 キッシンジャーの戦略……

 

 ――イスラエルに勝たせること、ただし少しばかり血を流してもらうこと……

 

 中東核戦争の懸念から、米国は武器弾薬供与を決心した。

 米ソはイスラエルの核攻撃準備を知っていたため、双方が停戦に向かって働きかけた。

 その後、イスラエルの核は再び米国・イスラエル間でのタブーとなった。

 

 

 18

 濃縮ウラン回収企業NUMECのザルマン・シャピロに関する疑惑について。

 イスラエルに濃縮ウランを横流しした疑惑は70年代を通じて取りざたされたが、実情は異なっていた。

 

 ――……ウランのほとんどは埋め立て場に埋まっているのではなかった。コンクリートの床に吸収され、換気ダクトに付着し、プラントの他の排水とともに地元の川に流され、大気中にばらまかれていたのだ。

 

 シャピロは、水資源防衛と対テロ対策においてイスラエルに協力していた。水はイスラエルの弱点であり、常に水道テロの危険があった。

 NRC(原子力規制員会)の焦り……スパイ疑惑が否定されれば、ウランが核施設から拡散するという環境汚染の事実を世間に知られることになる。

 

 

 19

 1977年5月、リクード党のメナヘム・ベギンが総選挙で勝利し、より核武装に積極的な政権が誕生した。

ja.wikipedia.org

 

 ところが、核拡散防止に取り組むカーター政権は、ベギンの拡張策に気づかなかった。

 

 ――議会とホワイトハウスは要するに、イスラエルの核の問題を取り上げない理由について、軍縮担当者の口実をそのまま受け入れていた。つまり、イスラエルはもはや核拡散防止の対象にはならない、核がすでに拡散しているから……というわけだ。

 

 孤立するイスラエル南アフリカは、お互いに鉱石・武器売買・核実験で密接に協力した。

 1977年、南アフリカ核実験は米ソ圧力でいったん延期された。

 

 ――またしても、情報が断絶したことになる。アメリカの官僚機構は条件反射のように、大統領にはイスラエルの核の問題を知らせないようにし、この情報に基づいて大統領が行動を起こさざるをえなくなる事態を避けた。

 

 

 20

 1979年9月、イスラエル・南ア核実験を核探知衛星ヴェラが検知した。

 この事件は、核拡散防止を掲げてきた、選挙前のカーターにとって打撃となる可能性があった。

 官僚たちは、核実験を探知してしまった事実を、なかったことにした。

 一方、核探知衛星ヴェラの技術者たちはもみ消し行動に激怒した。

 政治的思惑(カーターの実績づくり)のために、核実験の事実は隠蔽された。

 

 

 21

 ポラード……イスラエルの核スパイ摘発事件

イスラエル軍参謀総長ラファエル・エイタンによるポラード雇用と大規模情報摂取

・ベギン首相とシャロン国防省による軍事同盟ブリーフィング……基地共同使用、画像衛星情報の共有

・1982年6月のレバノン侵攻

アメリカは、イスラエル核兵器情報分析を誤っていた。イスラエル核兵器は予想よりはるかに進んでいた。

イツハク・シャミルら親ソ派の台頭

 

 

 22

 米国内のイスラエル・スパイについて

 

 

  ***

 湾岸戦争では、イラクが発射したスカッドミサイルに化学兵器が搭載されていた場合、イスラエルは核報復する準備を行っていた。

 

 ――イスラエル核武装に対してアメリカ政府がとりつづけてきた態度は、本書でみてきたように、慇懃な無視の態度を超えている。現実を意図的に否定する方針をとりつづけてきたのだ。

 

 核は最後の手段であるサムソン・オプションから、手段の1つへと変貌した。核利用は簡単にエスカレートするだろう。