うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ロシアン・ダイアリー』アンナ・ポリトコフスカヤ その2 ――権威主義体制の国/服従したい・子供扱いされたい人びと

 2 2004.4~12

 大統領選が終わった後も、野党や反対派の動きは見られなかった。かれらはすべてをあきらめているように見えた。

 

 イングーシ、チェチェンでは、それぞれ国家元首クレムリンの傀儡に置き換えられた(イングーシ共和国のジャジコフ、チェチェンラムザン・カディロフ)。

 イングーシ共和国では、チェチェンに連動し、治安当局やならず者による無差別の誘拐・拷問・略奪行為が蔓延した。

 

 ――ロシアの伝統は、首尾一貫して反対するという骨の折れる仕事を計画し、実行する能力に欠けている。……今この場で実行できるものでなければならず、それで人生を変えようとする。ところが事はそううまく運ばないから、人生は変わらないのだ。

 

 ――イングーシのジャジコフは一から十までモスクワの親玉の猿まねをする。とりわけ、かれの物事に対する取り組みの姿勢に忠実だ。重要なのは問題の解決ではなくテレビ放送の統制、現実世界ではなく仮想世界、難しい問題の対処ではなく検閲だ。

 

 選挙不正・投票操作は中央、地方に関係なく蔓延しているという。

 

 2004年5月、チェチェンの親プーチン政権首領アフマト=ハジ・カディロフが爆殺された。

 その後、プーチンはアフマト=ハジのろくでなし息子であるラムザン・カディロフを傀儡として指名した。

 

 ――ラムザンはこれまで父親の私的護衛隊長を務めてきており、護衛隊はチェチェンのあらゆる犯罪者の受け皿になっていた。彼の手の者は何をしても起訴されないと約束されていたからだ。

 

 ――……一方、人びとはすぐにうつけ者の新首領に恭順の意を表した。やがてうつけのほうでも自分がいくらか偉いような気がしてきた。

 

 ラムザンへのインタビューの中での一節……

 

 ――でも学位をとった法律の分野は? 刑法? 民法

 

 ――「覚えてない。だれかが分野を紙に書いてくれたが、忘れてしまった。いろいろ忙しいからね」

 

 プーチンは演説において人権活動家を「西側の第五列」と非難し、活動家たちもデモで「第五列」のプラカードを掲げた。

 ネオナチやネオファシストによるヘイトクライムが頻発し、人権活動家やチェチェン人、外国人がスキンヘッドや政権の回し者に刺殺される。しかし、かれらが訴追されることは稀である。

 

 軍隊におけるいじめは健在であり、ある兵隊は背が高く足のサイズが大きいためにリンチを受けて殺害された。

 

 ――首には縄の跡らしいものがあり、左の手首に切り傷があって、ジェーニャは最初は静脈を切ろうとしたといわれました。体中に殴られた跡があり、頭はあざだらけ。触ると骨などないかのようにぶよぶよしているの。骨がみな折れていてね、後頭部には固いもので殴られたような跡がはっきりと残っていた。生殖器は腫れた上に潰れてて、大きな青いアザにしか見えませんでした。両脚は腫れて、引きずられたかのように傷だらけ。背中の皮フもやはり引きずられたように全部はがれていました。足には火傷の跡がありました。

 

 

 イングーシのガラシキにおいて、FSBはテロ容疑者掃討作戦の際、違う番地の家に押し入り一家の長を殺害した。その後間違いが発覚したが謝罪などはなかった。

 

 ノルド・オスト事件(2002年モスクワ劇場占拠事件)における、毒ガス投下・人質殺害の疑いは棄却され、作戦部隊にいっさいのミスはないことが確定された。

 

 ――一国の国民が人の生命について根本的にまったく異なる見解を持っているというのは恐ろしいことだ。これがボリシェヴィキの勝利、新たなるスターリンの誕生につながる。こうした邪悪な傾向が、私たちの生殺与奪の権を握る人びとのあいだに容赦なく戻ってきている。

 

 絶望にかられた若者たちは、民族ボリシェヴィキ党や、コーカサスであればバサーエフらの反乱軍など、過激な運動に走りがちである。

 

 傷痍軍人や遺族たちに対する特典・年金を廃止する連邦法案に対する反対が持ち上がった。

 

 ――私たちは戦火の中へ人を送り込み、華麗な式典で埋葬し、死後に勲章を与え……そして忘れてしまう。自分が作った借りの責任を取らないのがロシア式というものだ。

 

 

 2004年9月1日、ベスラン人質事件:

 

 ――ロシアに生まれつつあるのは安定した中流階級ではなく、子供をテロで亡くした親たちという新しい階層だ。

 

 人質の子供たちと教員は、拘束されているあいだ、雑草や自分たちの尿を飲んで飢えと渇きをしのいだ。

 

 

 民主派、民主主義没落の経緯:

 

 ――ロシアでは司法、立法、行政の三権が大統領の手に渡ってしまいました。我が国はもはや民主国家、いえ、共和国ですらありません。

 

 ――憎悪をロシアの下院選や政治闘争のための原動力に使うというのは建設的ではない。民主派は憎悪を掲げて選挙運動を戦うわけにはいかない。

 

 ポジティブな理念はいくらでも転がっている……長寿など。

 

 ――反体制派も民主派もあのエリツィンが真の民主派などとあまりに長いあいだ人びとを偽ってきた。……エリツィンを「民主派」と呼んでしまったことで「民主派」という言葉自体の信用を著しく落としてしまった。……「民主派」という言葉が、罵り言葉として使われるようになったのだ。

 

 

 クレムリンが地方に送り込む政治家について。

 

 ――この騒ぎはプーチンの人的資源政策のさらなる失敗例だ。クレムリンに管理された地方指導者は指導できないし、責任をとるということをまるで知らない。ほんの少しでも身の危険を感じると、命惜しさにほうほうの体で逃げていく。一方で、ロシア当局は暴徒に反応する。

 

 民族ボリシェヴィキ党、兵士の母の会の活動について。

 

 

  ***

 

 3 2005.1~8

チェチェン帰還兵たちは社会から嫌われ、アル中、泥棒、ごろつきなどになり、高確率で刑務所に送られる。仕事を得られた帰還兵は警備員になるか、コントラクトニキ(契約志願兵)としてチェチェンに戻る。

 

 ――この国は不思議な国だ。国民を出口のない袋小路に追い詰めようとする。……問題はそんな国家がどのような国民を望んでいるのかということだ。

 

 社会保障得点廃止の決議に対する反対が、チェチェン遺族の家族を中心に沸き起こった。

 

 ――これは当然といえば当然だ。多くの場合、国は貧しい家の子息をチェチェン戦争に送り込む。父親がいない家庭も珍しくない。いくらかでもコネのある裕福な人びとは徴兵から師弟を守るし、間違えてもチェチェンになど送らせない。

 

 安月給の民警もデモに同情するそぶりを見せたため、政権は危機感を覚えたようだ。

 

・政権はムスリム指導者であるムフティらを逮捕・拘束し、ムスリムの迫害を行った。

 

 ――圧力が強くなればなるほど、統制下にないイスラムへの信仰は深まるばかりだ。

 

チェチェン・イチケリア共和国2代大統領マスハドフはロシアとの停戦を呼びかけていたが軍により殺害された。こうしてチェチェンの解決策はなくなり、過激派バサーエフが残ることになった。

 

汚職の処理方法……

 

 ――……ロシアで役人の忠誠を確保するテクニックがある。まず、役人の悪行の証拠を押さえる。その上で、彼らが先を争って統一ロシアに入党するのをじっくりと待つ、というわけだ。

 

 ――プーチンロシア連邦議会で行った年次教書演説は素晴らしくもあり、同時に滑稽でもあった。自由主義の宣言ではあったが、その前にも後にも、彼は現実に自由主義的なことをしたためしがない。

 

 ――政府はそれほど選挙が怖いのだろうか。最近のように管理された選挙でも?

 

 メドヴェージェフ(当時大統領府長官)は、選挙がロシアの安定にとって脅威だ、とコメントした。

 

スターリン復権

・ホドルコフスキーへの抑圧

カスパロフ民主化運動への弾圧

・「英雄」たちのハンスト

 「ロシアの英雄」たち――「ロシア英雄」「ソ連の英雄」「社会主義労働英雄」の称号授与者――たちが、特典削減法案に反対し、モスクワでハンストを開始した。

 

 ――英雄たちは堪忍袋の緒が切れたのだ。

 

 ――信じられぬほど腐りはてた国家は、政府高官にやはり信じられぬほどの富をもたらす一方で、特典の予算を切り詰めている。

 

 ――「……子供たちはわたしが戦士かどうか知りたがる。たいていふたつの質問をします。わたしが何人殺したか、そしてそれでいくらもらえるか。わたしの実際の収入を知ると、もう英雄扱いはしなくなる。興味を失うのです。……今やエリートとは、われわれが住むような小さな地区の首長から大統領まで、金や権力を持つ者なのです」

 

 ハンストはロシアのなかで主要な抗議手段になりつつあった。

 

・司法制度の終焉……政敵抹殺、恩赦

 

 ――ソルジェニーツィンが昔からの習慣なのだとずっと以前に書いていたとおりの、嘘にまみれて生きるという習慣と、暖かな台所が奪われるまで椅子から腰を上げようとはしない怠惰――このふたつがないまぜになったのがロシア人の正体なのだ。

 

 政敵や異論派は不当逮捕・拘束され、一方、職業的犯罪者やマフィアはすぐに釈放され政権や当局の下で働く。

 

・利益目的の放火殺人……アストラハンでは、土地取得のために市長らが放火と住民殺害に関与したという。

 

 ――法は無力なのだ。なにしろ行政上の上層部全体が犯罪者の巣窟と化しているのだから手の打ちようがない。

 

・「ナーシ」とフーリガンと当局の関係……「ナーシ」はロシアの青年運動団体で、秘密裡にクレムリンの支援を受けているという。その構成員はモスクワCSKAとスパルタのフーリガンで、政権が標的とする民族ボリシェヴィキ党を次々に襲撃した。

 

・GRUのヴォストーク大隊長スリム・ヤマダエフと聖戦

・ベスラン遺族たちの裁判所立てこもり

 

 ――元凶はプーチンです。かれは大統領という権力を笠に着ている。私たちと面会もしない、謝罪もしないと決めたのです。こんな何に対しても責任を取らないような大統領の下で暮らすのは悲劇です。

 

 ――わが国の現在の当局はただ金儲けにしか興味がない。それにしかない。ほかのことは一切どうでもよいのだ。

 

  ***

 

 ◆ヴォルゴドンスク爆破事件、リャザン事件、ノルド・オスト事件に関する公開質問状とその回答の抜粋

 

 1 リャザニでアパート爆破の準備をしていたFSB職員が現場で取り押さえられている。このとき、当局はなぜ捜査を妨害したのか。

 2 ヴォルゴドンスクでアパート爆破事件が起きる三日前、下院議長が事件に関する声明を出している。これはなぜ?

 3 1999年の秋、リャザニにあるロシア軍基地で「砂糖」と書かれた袋入りの高性能爆薬「ヘキソゲン」が発見された。これについて捜査が行われなかったのはなぜか。

 4 ヘキソゲンはロシア軍倉庫からロシア高性能爆弾研究所を経て架空の会社に移された。……どうしてFSBの圧力で打ち切られたのか。

 

 (略)

 1 人質解放交渉の道筋がようやくついた瞬間、ガス攻撃が決定されたのはなぜか。

 (略)

 4 K・テルキバエフは劇場占拠にかかわったFSB職員だったが、その名が広く知れ渡った後、自動車事故で死亡した。当局は事件直後、なにゆえ彼の素性を隠蔽したのか。

 

  ***

 用語

 アンドレイ・サハロフ:「ソ連水爆の父」、政権批判者、平和運動

 ウラジスラフ・スルコフ:プーチン政権の重要イデオローグ、元大統領府副長官、元副首相、大統領補佐官

 イリーナ・ハカマダ:自由ロシア党党首。

 ミハイル・フラトコフ:ロシア首相

 ミハイル・フリードマン:アルファ・グループ創設者。

 ボリス・ベレゾフスキー:新興財閥、プーチンと対立しロンドンに移住。死亡。

 エドゥアルド・リモノフ:民族(国家)ボリシェヴィキ党設立。

 ウラジミール・ルィシコフ:ロシア共和党の主宰者

 OMON:民警特殊作戦部隊

 右派連合:反プーチン連合、自由市場改革実現、リベラル。

 統一ロシアプーチンのための政党。

 ヤブロコ:リベラル政党、反プーチン

 ロシア自由民主党ジリノフスキー率いる国家主義政党

 ロージナ党:民族主義社会主義的政党。党首ロゴジン。プーチン支持。

 キルギス共和国:2005年チューリップ革命後、混乱

 バシコルトスタン共和国ロシア連邦内共和国。