うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『苦海浄土』石牟礼道子 ――水俣病を題材に書かれたフィクション


 水俣病を題材に、作者が想像力を駆使して書いた文芸作品。作者自身が水俣市近傍の出身であり、水俣病に係る社会運動に参加している。

 このため、ノンフィクションであるかのように考えてしまうが、そうではなくあくまでフィクションだとのことである。

 患者の声や独白は、インタビューをそのまま収録したものではなく、著者の想像による箇所も多いという。

 

 水俣病によって、海沿いに住む人びとの人生が破壊されていく。

 のどかな海と浜辺の風景に、工場の排水と毒魚が闖入し、人びとは重度の身体・精神障害者になってしまう。

 かれらの健康は徐々にむしばまれ、廃人になり、死に至る。また、漁獲量も激減し、家族や集落の生活は崩れていく。

 原因が特定される前から、魚に毒が入っていることは皆勘づいていた。

 

 ――「排水口ば、こっち持ってくるけんね、こっちの海もあぶなか。もう海にゃいくな。会社の試験でも、猫は、ごろごろ死によるぞ」

 

 チッソによる公害の様子が、強いなまりのある住民の声を通して描かれる。だいぶなまっているので、読んでも理解できない台詞があった。

 

 ――なんばいうか。水俣病のなんの。そげんした病気は先祖代々きいたこともなか。俺が体は、今どきの軍隊のごつ、ゴミもクズもと兵隊にとるときとちごうた頃に、えらばれていくさに行って、善行行賞もろうてきた体ぞ。医者どんのなんの見苦しゅうてかからるるか。

 

 ――網の目にベットリとついてくるドベは、青みがかった暗褐色で、鼻を刺す特有の、強い異臭を放った。臭いは百間の工場排水口に近づくほどひどく、それは海の底からもにおい、海面をおおっていて……

 

 

  ***

 

 良心の欠落した会社の対応や、行政の怠慢に焦点があてられる。しかし、さらに悲惨なのは、住民同士の仲間割れである。

 新興財閥の1つである日窒コンツェルンチッソの前身)を黎明期から育ててきたことを、水俣市民は誇りに思ってきた。

 

 かれらは、チッソがあるから水俣市がやっていけると考えていた。かれらにとって、チッソに楯突く水俣病患者は害悪でしかない。

 

 患者の多くは、貧しい漁民たちだった。

 チッソを応援する市民の会は、水俣病患者を、会社と市の発展に対する阻害要因としてとらえる。

 正式に公害病と認定されてからも、患者に対する差別は続いた。

 

 ――「ほかの身体障害で入った者が、見舞人に水俣病と間違えられるときはおかしかったない。名誉傷つけられるちゅうて、水俣病の部屋とはなるべく離れておらんば迷惑じゃと、見舞人の来れば、こっちよこっちちゅうて、そっちの方は水俣病の衆じゃと、自分たちはさも上等の病気で、水俣病は下段の病気のごといいよらす」

 

 ――「水俣病がそのようにまで羨ましかいなぁあんたたちは。今すぐ替わってよ。すぐなるばい、会社の廃液で。百トンあるちゅうよ、茶ワンで呑みやんすぐならるるよ。汲んできてやろうか、会社から。替わってよ、すぐ。うちはすぐいうぞ。なれなれみんな、水俣病に」

 

 水俣病患者にチッソ自治体が提示した契約書について……。

 

 ――水俣病患者およびその家族は、この14年間、まったく孤立し放置されている。……その責任は、学問的証明があるにもかかわらず、これを政治的に認めようとせぬ当該企業、地方自治体、日本国政府にあることはいうまでもない。

 

 ――『乙(患者互助会)は将来、水俣病が甲(工場)の工場排水に起因することがわかっても、新たな補償要求は一切行わないものとする』

 

 ――これは日本国昭和30年代の人権思想が背中に貼って歩いているねだんでもあるのである。

 

 

 ――「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順に、水銀母液ば飲んでもらおう。……上から順々に、42人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に69人、水俣病になってもらう。あと100人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

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