◆リッチモンドを出る
ホロコースト博物館を出発し、市内を走行し、宿泊地のアーリントンに向かった。
古い家やビルが残っており、ヴァージニア・コモンウェルス大学(VCU)の施設が広がる地区は学生でにぎわっていた。
中央通りには銅像があり、ロバート・E・リーやストーンウォール・ジャクソンも健在だった。
リッチモンドの犯罪率は全米平均より高いが、2000年代前半よりは改善しているという。
私が回った市の中心部は観光地や博物館・美術館などが整備されており、風情のある赤レンガが印象に残った。
◆アーリントンへ
アーリントンはワシントンD.C.に接するヴァージニア州の郡である。ワシントンD.C.のホテルはどこも高額だったので、アーリントンのモーテルを予約した。
運転中、国防総省を見かけた。ペンタゴンの所在地もアーリントン郡である。
昔々、話す機会のあった米軍将校たちは皆ペンタゴンにはいきたくないと言っていた。残業と休日出勤が多く、ストレスのためか喫煙者が異様に多いという。
◆中華料理注文バトル
モーテルの部屋に、中華料理デリバリー案内があった。ようやく南部系料理から解放され、アジア料理が食べられるということで電話をかけた。
電話に出たデリバリーの店員がすさまじい中国語訛りで、聴き取るのが大変だった。何を言っているかよくわからないので聴き返すうちに相手が興奮状態になった。
向こうはほぼ絶叫しており、「おまえは中国人か? アメリカ人か?」、「英語が話せないのか?」と挑発してくるので、こちらも大声でがなり立て、「お前の英語が聞き取れない」と文句をいい、商品名を叫んだ。
店員は特に怒っているわけでもなく、無事カード払いに成功し15分ほどで料理が届いた。パンダ・エクスプレス風の箱入り中華料理を久々に食べて満足した。
◆フレデリックスバーグ国立公園
1862年12月、リー将軍率いる南軍の防御陣地に北軍が攻撃したが、北軍は甚大な被害を出して撤退した。
フレデリックスバーグの戦場は現在、国立公園として保存されている。
上の画像は、北軍か南軍かで使われていたズアーブ義勇兵の制服である。
ズアーブ(Zouave)は元々、仏領北アフリカ(アルジェリア、チュニジア)の植民地人からなる歩兵を意味し、フランス軍の下で編成された精鋭部隊だった。
南北戦争では、ズアーブ兵の特徴的な軍装や教練を取り入れた義勇軍が双方で設立され、戦争に参加した。
アーリントンから車で30分程度進んだ場所に、クアンティコ海兵隊基地(Marine Corps Base Quantico(MCBQ))があり、基地に隣接して海兵隊国立博物館がある。
施設はらせん状に展示を進む構造であり、海兵隊の創設から19世紀、20世紀の戦争を経て、徐々に時代を下りながらその歴史を学ぶことができる。
海兵隊は独立戦争時に創設され、ペリー提督が黒船で来日した際にも海兵隊部隊が同行している。
海兵隊を象徴するのは今でも日本軍との戦いである。
展示を見ていけば明らかだが、海兵隊の参加した戦争のうち、歴史的に肯定的な評価を受け、なおかつ勝利した戦争は非常に少ない。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争はどれも大勝利には程遠い。
海兵隊の組織としての存在意義を確立した「正しい」戦争として、太平洋戦争は今でも大きな位置を占めている。
極寒の朝鮮戦争や、高温高湿度のベトナムを再現したエリアも整備されている。
見学していたところ博物館のガイドに声をかけられ、日本人だと言った。このガイドは元海兵隊員で、横須賀や沖縄でも勤務したことがあるということだった。
この人物は非常に友好的で、「栗林忠道を誇りに思え」と言い、我々にお土産コインをくれた。
◆海兵隊を訪問して
武器は人を殺すのではなく人を守るためにある云々……。
これはわたしが兵隊風公務員をやっていたときによく言わされた定型句で、大嫌いな文言だった。
海兵隊の仕事は殺人である。これは反軍の立場から非難しているのではなく、かれら自身が自らを殺し屋だと規定している。
2001年から常時戦争中の米軍は、自分たちの本来任務が殺人と破壊であることを認識している。最も重要なのは「Killer(殺し屋)」を増やすことである。すなわち、戦闘員、戦闘機、爆撃機、軍艦等である。そのために補給や調達、輸送、通信といった後方支援が存在する。
この前提を「国を守る」や「人を守る」といったあいまいな言葉でごまかすものは嘘つきであると考える。
軍は銃その他の武器を使って、殺人と破壊によって目的を達成する。
軍の本質をごまかし、ふわふわとした定義をもって徴兵制の採用を唱えている人物を見ると虫唾が走る。
いわく、徴兵制を導入すれば国民が公平にコストを背負うことになるので戦争に歯止めがかかるという。
わたしはこの人物の金儲けに貢献したくないのでネット上の記事だけを読んでいる。
当該人物は、75歳までの国民が1年に1回防災訓練を行うような類の制度を徴兵制と称している。
しかしそのような制度は防災訓練であって徴兵制ではない。
おそらく「徴兵制を通じて、皆が戦闘部隊に配置されるのであれば嫌がって戦争をしなくなるだろう」という観念をそのまましゃべっているのだろう。
いったい、どれだけの税金を投入してその制度を維持するのか、この社会で果たして公平性が確保されるのか、65歳を超える人たちを一体どんな風に編成・動員するのか等々……。
この人物の唱える徴兵制平和論は、わたしには「戦争を終わらせるための戦争」と同じような妄想にしか思えない。
ではわたしは徴兵制を何だと思っているのだろうか。徴兵制は大規模戦争遂行のために人員を確保する手段である。