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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

コンゴの自然史 ~レオポルド王の幽霊~

 

King Leopold's Ghost: A Story of Greed, Terror, and Heroism in Colonial Africa (English Edition)

King Leopold's Ghost: A Story of Greed, Terror, and Heroism in Colonial Africa (English Edition)

 

 

  長いこと積んでいた『King Leopold's Ghost』を読んでいるが、大変面白い本である。

 ベルギー国王レオポルド2世の私領だったコンゴ自由国(1885~1908)の実態をテーマにしており、絵にかいたような非人道的な振る舞いが具体例とともに示される。そのひどさに非現実ではないかと錯覚するほどである。

 本書で描かれているのは、植民地支配の原風景とでもいうものである。

 

 レオポルド2世は小国ベルギーを偉大にするために、富国強兵を追求した。イギリス人探検家スタンレーをうまく利用し、キリスト教化・文明化・反奴隷制大義を掲げて未開のコンゴ川流域を確保した。

 しかしベルギーは立憲君主国であり、国王の領土欲とは反対に、内閣はアフリカ植民地獲得に無関心だった。

 レオポルド2世の私有地となったコンゴ自由国(正式には「コンゴ独立国」État indépendant du Congo)は、象牙・天然ゴム採取のための迫害・大量殺戮の場となった。本国における国王がほぼ政治的に無力だったのに対し、コンゴ自由国では絶対君主として権力を振るうことができた。

 

 コンゴ自由国政府による過酷な統治によって、コンゴの人口はほぼ半減し、諸説はあるが500万~1000万人が死亡した(最初の人口統計が1924年のため、正確な数字は確定不可とのこと)。


 コンゴ自由国には上述のような人道的な目的があり、アメリカや欧州各国も設立を支持していた。

 ところが現地から伝わってきたのは正反対の怒りの声だった。


・現地にはまともな行政が存在せず、司法は不公平である。白人は現地の女児を誘拐して愛人にしている。
・川沿いの軍事基地は兵隊たちの略奪拠点となっている。補給がなく、現地での収奪に頼っているためである。
・ベルギー人将校は女性を誘拐するために村人を射撃した。また賭けの一環としてアフリカ人を射殺している。
コンゴ自由国政府は、反奴隷制どころか、大規模な奴隷貿易と小売りシステムを確立した。

 

 ◆言葉のあや

 コンゴ自由国の経営、資源開発は強制労働から成り立っていた。

 1891年のある行政区では、300人のアフリカ人荷役が拠点づくりのため派遣され1人も生還しなかった。

 

 以下は黒人の「自由労働者」に関するベルギー人将校の報告である。

 

 ――2隻のボートが、鎖につながれた25人の「志願兵」を載せて、Engwettraから到着した。2人が逃亡を企てて溺死した。

 

 別の将校は、首が鎖で数珠つなぎになった「自由人」を移送しているときに、1人が細い橋から落ちるとみながひきずられて落下し溺死してしまう問題点を報告している。

 

 1887年、国王は、東コンゴ一帯を支配するアフロ・アラブ奴隷商人Tippu Tipを総督に任命した(後に決裂する)。国王はTippu Tipから7000人の奴隷を買い取り解放したが、それらは皆公安軍に徴用された。

 

 ◆コンゴ=手首

 国王の私的治安維持組織である公安軍は、原住民の集落を襲い女や子供、老人を人質にとり、男性にゴム採取労働をさせた。人質は劣悪な収容所に押込められ、いずれにせよ死んだ。こうした人質確保による強制労働はルーチン化され、政府の非公式手順書も存在した。公安軍だけでなく、貿易会社も「歩哨sentries」を雇い共同で活動した。

 強制労働への反乱が発生すると、兵隊達が鎮圧した。兵隊たちはその証拠に屍体の右手首を切断し収集しなければならなかった。

 ある公安軍将校は弾薬を動物ハンティングに使ってしまったため、その後生きている人間の手首を切って提出した。部隊には、証拠の手首を燻製処理する係が存在した。

 

 特に悪名高い公安軍将校Fievezは、物資徴発のために、みせしめとして100人を斬首した後こういった。

 

 ――わたしの目的は究極的には人道主義である。わたしは100人を殺したがそのおかげで500人の命が助かったのだから。

 

 他にもサディストたちが活性化し、残虐行為を働いた。コンゴの黒人の間では、白人は切った手首をひき肉にして食べているといううわさが広まった。

 

 ◆コンゴ人への大迷惑

 生涯コンゴを訪れなかった国王レオポルド2世にとって、コンゴとは理想郷だった。

 ベルギーで開かれた博覧会では、コンゴの文物とともに生きたコンゴ人200人超が動物園のように展示され、観客が殺到した。

 もらったキャンディでコンゴ人が腹を壊すと、「餌をやらないでください」と同種の、「黒人たちは組織委員会によって食べ物を与えられています」というプラカードが掲示された。

 見世物の黒人たちは公安軍の英雄を称える歌を合唱し、黒人傭兵の軍楽隊はレオポルド2世に敬意を捧げた。

 かれらが再びコンゴに帰還するとき、新聞は次のように書いた。

 

 ――ベルギー人の魂はかれらの後に続く、そしてジュピターの盾のように、かれらを守護る。我々が世界に対し、常に人間性の模範でありますように!

 

 

 ◆その他

 コンゴを含む欧州列強のアフリカ進出についてはパケナムの本が参考になった。

  ジョウゼフ・コンラッドが目撃したのはこうした不正の光景だった。

闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

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