11 国家構造との関係において政治的自由を構成する法
国家における政治的自由とは、法の許すすべてをなしえる権利である。
専制には自由は存在せず、穏和政体にのみ存在する。
国家には立法権、万民法執行権、私法執行権の三権が存在する。これを言い換えると、立法権、執行権、裁判権である。
三権が一体化していれば、共和国であっても政治的自由はない。
裁判権の行使者は、常に一時的であるべきである(陪審制の示唆)。
立法権を担う団体は、各都市から代表を出すことで構成するべきである。生まれや身分で抜きんでた人間は、人民一般よりも優位に置かれ、代議員として参加すべきである。
裁判権は、立法権および執行権と分離していなければならない。また、立法権と執行権も独立しているべきである。
軍隊は立法権に従属してはならない。それは、法の軍事化か、軍隊の弱体化を招くからである。
12 市民との関係において政治的自由を形成する法
市民の自由は刑法の質に左右される。
宗教の罪については、宗教活動を害するものは、平穏を乱す罪として取り扱うべきである。神を傷つける行為については、不完全である人間が神に対して仇を討つことはできない。神の冒涜に対する刑罰は、教会からの追放等であるべきである(異端審問や宗教的罪に由来する死刑の否定)。
13 貢租の徴集と公収入の大きさ
税金は人民にとって必要分のみ収められるべきである。
――一国の豊かさの効果は、万人の心に大望を抱かせることにある。貧しさの効果は、そこに絶望を生ぜしめる。大望は労働によりかき立てられ、絶望は怠惰により慰められる。
――……もし恣意的な権力が自然の報酬を取り去るならば、人びとはふたたび労働をいやがり、無活動が唯一の善と思われるようになる。
軍拡競争は増税につながり、国を破滅させる。
14 風土と法
寒い国のほうが人間の徳があり、戦闘にも向いている。暑い国は快楽と恋愛に依存する。
15 市民的奴隷制と風土
1奴隷制は人間の本性に反しており、君主制、共和制では絶対に持つべきではない。
各市民の自由は公共の自由の一部であり、民主国家においては主権の一部である。
奴隷制は、多民族への偏見にも由来している。
――知識は人間をおだやかにする。理性は人類愛に導く。それを捨てさせるのは偏見のみである。
一部の国は、キリスト教に改宗しない者を奴隷とする法律を制定した。
――なぜなら、絶対に強盗であって、同時にキリスト教徒でありたいと思っていたこの強盗どもは、きわめて信心深かったからである。
ネットで孫引きされる黒人奴隷に関する文言は、全体が反語として表現されている。モンテスキューは、「もし黒人奴隷制の権利を支持しなければならないとすれば、こう言うだろう」と書く。以下の文言は、すべて奴隷制擁護のばかげた例として挙げられているものである。
――かれらに同情することなど、ほとんど不可能なほどである。
――きわめて賢明な存在である神が、魂を、とくに善良な魂を、まっくろな肉体に宿らしめたもうたなどということは考えられない。
――これらの連中が人間であると想像することは不可能である。なぜなら、もしわれわれが彼らを人間と考えるならば、人びとはわれわれのことをキリスト教徒ではないと考えだすであろうから。
人間は平等に生まれるため、奴隷制は、自然に反している。ただし、一部地域は除くという。
16 家内奴隷制と風土
女性はその本質上、男性に従属する。南部では、女性の老化が早いため、この傾向が強い。
17 政治的奴隷制と風土
ヨーロッパは自由人としての征服、アジアは奴隷としての征服がおこなわれた。アジアは広い平原を持つため大帝国が成立した。
奴隷状態が極端でなければ、帝国には分裂が生じるからである。
18 土地の性質と法
豊かな土地は絶えず侵略にさらされる。このため、貧しい土地に住む民族が発展していく。島は大帝国の征服を免れやすいため、自由を好み、法を整備していく(イギリス)。
貨幣のない民族は暴力を用いるが平等は維持される。
19 国民の一般精神等
民族は風土、宗教、法律、習俗、生活様式、格率に支配される。それらから、国民の一般精神が導かれる。
法律は、一般精神を妨げないよう努めなければならない。
犯罪は刑罰によって、生活様式は模範によって矯正させるべきである。
20 商業と法
商業は穏和な体制のもとで発展する。商業の効果は、平和へと向かう。しかし、商業は道徳を追求するわけではない。
一方、商業を完全に奪えば、強盗行為を生み出す。しかし、強盗行為の精神は、ある種の道徳と対立するものではない。
この時代、フランスでは、貴族は商業を禁じられていた。著者は、この慣習を擁護する。
21 商業と法
22 貨幣と法
23 人口、貧困と法
国土が荒廃し人口が減ったとき、土地の配分を行うべきである。
――国家は全市民に確実な生活の糧、食糧、快適な衣服、健康にけっして反することのない生活の仕方を保障する義務を負っている。
救貧院は不慮の災害や事故に備えて必要である。ただし、一時的なものでなければ、怠惰を生むだろう。
24 宗教と法
穏和政体はキリスト教に、専制はイスラム教に適している。カトリックは君主制に、プロテスタントは共和制に適している。
宗教的な戒律は、法律ではなく、掟や助言であるべきである。
ストア派は有徳の市民をつくる点で重要だった。
過度の瞑想は、宿命や無関心の態度を助長する。そして、「政体の過酷さや土地所有権に関する法律が無常の精神を与えるならば、すべては失われてしまう」。
25 宗教的規律と法
――寺院の富、聖職者の富は、われわれの心をおおいに動かすものである。そこで、民衆の貧困自体が、貧困をひきおこした人びとが口実として用いたその宗教に、民衆を結び付ける動機となるのである。
宗教的寛容は、法律によって保障されるべきである。抑圧されていた宗教は、自ら抑圧するようになる。
布教に熱心な宗教は、ほとんどが不寛容な宗教である。
改宗に関しては、刑法ではなく勧誘を用いるべきである。
モンテスキューはスペイン・ポルトガルの異端審問を厳しく非難している。
――……はっきり申して、諸賢は度し難く、いかなる啓蒙や教育もなすことは不可能だといわざるを得ない。そして、諸賢のごとき人物に権威を与えておる国民は、まことに不幸である。
――もし、後世になって、このわれわれの生きておる世紀のヨーロッパの諸民族は開化されていたなどと言い出す者があれば、人びとは、諸賢を例にひき、いや、野蛮だったよと証明するであろう。そして、後世の人びとの諸賢についてもつ観念は、諸賢の世紀の名をけがすほどのものであり、そして、諸賢に対する嫌悪は、諸賢の同時代人のすべてに及ぶであろう。
26 事物の秩序と法
宗教の法と人間の法(法律)は分離されるべきである。これは、政教分離の主張だろうか。
注釈によれば、宗教裁判所を批判する本章は、ローマ法王庁から強硬に削除を要求されたという。
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以下の章では、フランスにおける民法の展開をたどる。
28 フランスにおける市民法
29 法の作成の方法
30 フランク族の封建法
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