うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『だから、国連はなにもできない』リンダ・ポルマン ――国連=加盟国の総意

 ◆所感

 国連の平和維持活動の実態について報告する本。

 理想とかけはなれた現実や、悲惨な事例を、実体験、報道記事を交えて紹介する。また、随所で紹介される細かい事実がおもしろい。

 国連は加盟国……つまり国際社会のリソースと意思決定によって成り立っている。国連に力がないということは、各国が、国連活動に協力する意思がないということである。

 

 日本は建前上、日米同盟と国連中心主義に基づき外交活動を行っている。

 日本国憲法には軍事行動・軍事同盟の法的根拠がない。そこで国連憲章集団的自衛権に関する規定を根拠とし、日米安保条約を締結した(『日本の外交は国民に何を隠しているのか』河辺一郎)。

 イラク開戦時には合衆国に追随して国連決議を無視する一方で、イラク特措法は国連決議に基づいている。

 建前では国連中心主義を謳いつつ、外では露骨な対米追従・国連軽視を実践しているのが特徴である。

 

 本書を読むと、国連の今の姿が、各国による振る舞いの結果であることがわかる。

 

  ***
・国連加盟国の191ヶ国のうち144ヶ国が貧困国に分類されている。

 NYの賃貸物件では「ペットと国連外交官お断り」の文言が散見される。

マダガスカルの新聞は、読者が少ないためビニール袋一束で全国分を賄える。

 

 ――世界各地に派遣されている国連平和維持軍に最も多くの兵士を送っている十か国のうち、九か国は貧困またはそれ以下と格付けされている。

 

 平和維持軍に白人がいないのは、ソマリアでの米軍兵士殺害や、スレブレニツァでの失敗(オランダ軍)、ルワンダ虐殺等に原因がある。

 

 ――「西側加盟国は第三世界が送ってきた兵士たちが最後の一兵になるまで、ここの反乱軍と戦うつもりだからな」

 

 1 ソマリア

 国連は加盟国の主権を神聖とし、内政干渉を否定する。このため、国連の青いヘルメットは、当事国の許可によってのみ存在する。

 国連は、加盟国が許可する行動しかとることができない。許可権限を持つのは常任理事国のみで、かれらでさえも加盟国に対する強制力は持たない。

 平和維持軍は「たとえ当事国の官憲が虐殺を始めても」、通常、自衛以外での発砲は許可されない。

 国連の失敗は加盟国の失敗である。国連は独自の組織ではなく、加盟国の意思の結果である。

 

 著者は国連最大の欠陥を「加盟国の主権尊重と内政不干渉の原則」と考えている。

 また、国連の運営は加盟国の分担金によって成り立つが、完全に支払っている国は本書の時点でわずか9ヶ国のみである。

 

 ――世界の平和と安全を維持するための機関は、いまやアメリカ人が毎年花屋に使う金額に相当する予算で、運営せざるをえなくなった。

 

 合衆国のソマリア撤退は次のように評される。

 

 ――この活動を提案し、実行する命令を出したアメリカは、まず船に穴をあけ、まだそれに乗っている者たちを、ノーと言えない役立たずだと非難し、次いで船を捨てた。

 

 1993年10月、モガディシュの戦いで18人の死者を出したクリントン大統領は、(アメリカ特殊作戦軍が作戦計画・実行を担ったことは棚に上げて)国連を非難した。ブトラス・ガリ事務総長はこれに反論した。

 

 ――「何事に対しても、ノーとかイエスと答えるのは国連ではない。ソマリアに平和維持軍を送ることに、イエスと言ったのは加盟国だ。国連の仕事は、そのために必要な兵士と費用をかき集めることだけだ」

 

・カナダ軍はソマリアの若者を拷問殺害し対立を悪化させていた。

イタリア軍は、平和維持軍の統制を離れ独自に活動した。

フランス外人部隊イタリア軍は、米軍の攻撃目標であるアイディード派に肩入れしていた。

・「第三世界の軍隊」は、装備を先進国から借りなければならない。兵士が死んだ場合の保証金は先進国と途上国とで差がある。

湾岸戦争以来、軍の後方業務を民間業者に委託する傾向が拡大した。

 

 ソマリアの国連基地の横には、請負業者たちが村を築いていた。そうした業者の社員は、ほとんどが元軍人だった。

 

 ――平均的な元軍人がつける仕事はきわめて少ないし、給料も悪い。銃器の扱いに慣れた、殺すために訓練された彼らがありつけるのは、せいぜいよくてもデパートや銀行の現金輸送車の護衛くらいなものだ。おまけに彼らが戦った戦争が間違ったものだったということになれば、社会的にも孤立する。

 

 ――「とにかく撃つ。質問はそれからだ」

 

 ソマリアから米軍が撤退すると、請負会社も他の紛争地域、「稼げる場所」に移動した。

 

 2 ハイチ、ルワンダボスニアソマリアその他

 アメリカはハイチへの軍事介入によって当時の軍事政権を転覆させた後、安保理において、国連に平和維持業務を引き継がせることにした。

 1991年、ハイチでの(米軍介入による)クーデタ以降、難民がフロリダに流れ込み問題となっていた。

 

 ――クリントンが国連にノーと言うべきだと助言した二日後、アメリカはハイチを包囲するため、国連艦隊の出動を要請した。

 

 ハイチは経済制裁のために国民の大半が飢餓状態にあり、10%の貴族たちは民主主義の導入に反対していた。

 アメリカ、ロシアは、ルワンダはリスクが大きいとしてフランスの増派要請を却下し、かわりにハイチに途上国の青いヘルメット部隊を差し向けるよう勧めた。

 

 3 ハイチ

 以下、ハイチに軍事介入しつつ後処理を国連に押し付ける合衆国の行動が説明される。

 米軍は極貧のハイチに上陸し、クーデタの首謀者である軍人3名を追放した。ハイチ住民は、民主主義を導入しに来た米軍を歓迎し、ハイチ兵を殺害し屍体を米兵に差し出した。

 アリスティード大統領が帰還したが、大統領官邸には水道、電気、いっさいの家具がなく、便器も盗まれている状態だった。

 クリントン大統領は、民主主義導入業務を国連に引き継ごうとしたが、ブトラス・ガリ事務総長は治安の問題を理由に平和維持軍派遣を渋った。

 

 アメリカが民主主義をハイチに植え付けたかどうかは非常に疑わしかった。

 

 ――「ここには民主主義のかけらもない。どこにもないよ。電気もないから、ブトラス・ガリにファックスで伝えることもできない」

 ――人口の75パーセントが住む残りの町村に向かったのは、特殊部隊のわずか100人だけだ。ひとにぎりのエリート兵士がそこに民主主義の種を植えたか、ましてやそれを復活させたかどうかは大いに疑わしいところだが、アメリカ人はそうしたと主張している。

 ――「いいか、わたしは言った。わたしはここに民主主義を復活させるために来た。協力しないものは撃ち殺す。われわれは特殊部隊だ。逆らうな。逆、ら、う、な! 決して!」

 ――「二十五歳以上で健康? 警察官になろう」このオープンな誘いはたちまち何万人という失業者をひきつけ、アメリカ軍は彼らを催涙ガスで採用オフィスから追い払うはめになった。

 

 4 ルワンダ 

 フランスが軍事介入し、ルワンダ愛国戦線が勝利した後の混沌状態について。

 民族浄化による虐殺を被ったツチ族の政府軍が、一転して、今度はフツ族難民を迫害していたが、国連のザンビア軍は手出しをせずにただ監督しているだけだった。

 ルワンダは、マウンテン・ゴリラを見学する観光地として有名だったが、内戦によってほとんどの自然公園職員が殺害され、戻ってきたツチ族は、ルワンダに初めて足を踏み入れる者も多かった。

 国境なき医師団(MSF)も難民キャンプでの活動を行っていたが、治安が悪く、できることは限られていた。

 1996年、ルワンダキガリからの平和維持軍の撤退が、ロイター通信によって報じられた。

 

 ――「家に帰れ! 二度と戻るな!」という叫び声に追われるように、インド兵、ガーナ兵、マラウイ兵からなるルワンダの平和維持軍は国連旗を下ろした。

 

だから、国連はなにもできない

だから、国連はなにもできない