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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『検証アメリカ500年の物語』猿谷要 その1

 大航海時代から現在までのアメリカの歴史をたどる。アメリカ合衆国の大きな流れを理解するために役に立つ。

 おそらく合衆国では常識であろう事実(建国の経緯など)を覚えることも重要である。

 

 合衆国は自由や平等、民主主義といった理念に基づいて建国された。しかし、かれらが敵や劣等分子とみなす対象――先住民、黒人、マイノリティ、中南米共産主義勢力、ムスリム――に対する行動は冷酷である。

 南アフリカアパルトヘイトイスラエルを連想させる、人間を取り扱う際の二重基準を認識することが重要であると感じる。

 

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 1 有史前から初代大統領就任(1789年)まで

 アメリカ大陸は、先住民黄色人種、白人、アフリカの黒人が出合い、異質の文化が融合してできた文明を持つ。

・北米東南部の先住民……マウンドmoundと呼ばれる祭祀場

・新大陸への進出の経緯……オスマン帝国によるイスタンブール占領、イベリアにおけるレコンキスタ(国土回復運動)、科学技術の進歩

・15世紀、ポルトガルエンリケ航海王子による航路開拓振興

・1492年、スペインのコロンブスインディオ接触し、好意的な印象を持ったが、それは主従関係に基づく感情だった。

 その後、ピサロ、コルテスらが先住民王朝を征服した。

 

 ――しかし北米には、中南米のように強大な先住民の帝国が築かれてはいなかった。そしてスペインのように征服を目的として軍隊が派遣されてきたわけではなかった。ごく少数の植民者たちが、そこに自分たちが定住する植民地を築こうとして入ってきたのである。

 

・「黒い象牙奴隷貿易……アフリカ西海岸、ヨーロッパ、北米

・労働力確保のため、1641年マサチューセッツを皮切りに、奴隷制の法制化が始まった。

・オランダ領ニューアムステルダムは、オランダ本国が英国との戦争に敗れたため英領ニューヨークとなた。

・スペインは北米西南部、太平洋沿いにミッション(砦・伝道所・交易所をかねたもの)を建設した……サンフランシスコ、ロスアンゼルスなど。

・フランス……ケベックミシシッピ川流域(ルイジアナ

・イギリスの13植民地……ヴァージニア、ニューハンプシャーマサチューセッツロードアイランドコネティカット、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴァニア、デラウェア、メリーランド、ノースカロライナサウスカロライナジョージア

・1754年から始まったフレンチ=インディアン戦争の結果、イギリスはフランス植民地を取得した。しかし、それは先住民の頭越しに行われた。

・イギリス各植民地は独立していた。北部は造船業・漁業・貿易業、中部は農業、南部はプランテーションが主流となった。

・17世紀からの大学設立……ハーヴァード、イェール、プリンストン、コロンビア、ブラウン、ラトガーズ

・現地の議員は、本国から派遣される議員よりも優位にあった。また、北部や西部では直接民主政のタウンミーティングが行われた。

・1763年以降、イギリスは植民地に対し統制を強める9つの条例を課した(印紙条例や駐屯条例など)。

・「代表なくして課税なし」、「自由か死か」

・1770年 ボストン虐殺事件

 1773年 ボストン茶会事件Boston Tea Party

・独立の理由……自治、経済的独立

・1776年出版されたトマス・ペイン『コモン・センス』は、独立革命派(愛国派)の支持向上に貢献した。

・1774年 大陸会議:ワシントンを植民地軍司令官とする

・独立宣言の起草……ベンジャミン・フランクリンジョン・アダムズ、トマス・ジェファソン(奴隷所有者)ら

 

 ――すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって一定の奪いがたい権利を与えられ、そのなかには生命、自由、および幸福の追求が含まれていることを、われわれは自明の真理であると信じる。

 

・合衆国では独立戦争を革命戦争Revolutionary Warと呼ぶ。

・1781年、イギリスが敗退し、南部を中心に王党派は追放された。

 

・建国当初の苦闘

 1785年 公有地法令:土地取得・測量のための法整備

 1786年 北西部法令:成人男子5千人以上で準州(Territory)、自由市民6万人以上で州(State)へ昇格

 オハイオ川以北では、奴隷制度を認めないとの取り決め

 1787年 合衆国憲法草案:「連邦主義、三権分立、民主主義」……三権分立(行政の肥大化を警戒)、上院(各州2名)と下院(人口比)

 下院議員の人口換算……奴隷は5分の3としてカウント

 

・草案をめぐる二大党派

 フェデラリスト……草案、中央集権に賛成(ワシントン、フランクリン、ハミルトン)

 リパブリカン……草案に反対、地方自治主義(トマス・ジェファソン)

 

  ***

 2 南北戦争終結(1865年)まで

・主流としてのWASP(白人・アングロサクソンプロテスタント)の成立

・大統領官邸は1812年の戦争(米英)で焼失したため、ホワイトハウスとして再建された。

・イギリスは機械工業により経済発展を遂げたが、海外流出を禁止していた機械が合衆国に密輸され、工業が始まった。

 綿工業、蒸気船、蒸気機関車など

市場経済の勃興とともに、19世紀前半には景気循環が定期的に社会を恐慌に陥れた。

・西部に向けての開拓と、先住民に対する征服・追放・虐殺が続けられた。

・1803年 3代大統領ジェファソンは、モンローを派遣しフランスからルイジアナを購入した。

・1834年 モンロー宣言 新大陸と欧州の相互不介入

・7代大統領 アンドリュー・ジャクソンは、民主主義を推進する一方、先住民を強制移住させた。

・テキサス取得……1836年、スペイン領テキサスにおいて、アメリカ政府の支援を受けたサム・ヒューストンが反乱を起こした。アラモ砦の全滅などを受け、反乱軍はメキシコ軍を破りテキサス共和国を建国(Lone Star)、1845年に合衆国が併合した。

 

 ――……自国の国民が隣国に入って反乱を起こし、政府がひそかにその反乱を応援して独立させ、何年か後に併合するという経過は、あまりフェアとはいえないだろう。やがてカリフォルニアでも、それから太平洋上のハワイでも、アメリカは同じような方法をとろうとするのである。

 

・1820年 ミズーリ協定 北緯36度30分以北では奴隷制度を認めない

・1848年 カリフォルニアへのゴールドラッシュ

・1848年 エリザベス・スタントンの女性参政権運動

・南北対立……北部は資本主義社会、南部は奴隷制度を基礎とする綿花王国、西部は自営開拓農民

・「アボリショニスト」、クエーカー教徒による奴隷制廃止運動、『アンクル・トムの小屋』

・北部:保護貿易国立銀行、中央集権、共和党

 南部:自由貿易、州立銀行、各州自治民主党

・1860年 リンカン大統領就任とともに、南部諸州が連邦を脱退し、CSA(南部同盟政府The Confederation States of America)を樹立(大統領ジェファソン・デーヴィス)

南北戦争 1861.4~1865.4

 戦死者60万人

 サムター要塞の攻撃から開始

・長期化の理由……南部は軍人比率が高く、普段から馬を乗りこなす住民が多かった。南部は優秀な将校を多く抱えていた。

  ***

 [つづく]

 

検証アメリカ500年の物語 (平凡社ライブラリー―offシリーズ)

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