うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『社会変動の中の福祉国家』富永健一

 本書の主張……

福祉国家の新しい定義は、解体しつつある家族を国家が支える制度、というものである。

・かつて福祉の中心的な担い手であった家族も地域社会も、それができなくなったため国家が引き受けなければならなくなった。

 本書の焦点は、高齢化=介護の不足をどう解決するかにある。

 

 ◆感想

 家族の機能縮小の1要因である女性の社会進出を停止した場合どうなるのか。

ナチスドイツのように、女性を家に待機させておくことは全体の経済活動の低下に結びつく。

・性別によって差別されないとする憲法理念に反する。

 また、人口に占める高齢者の割合を減らすにはどうすればいいのか。これも現実的な選択肢は限られてくる。

 

  ***
 1

 福祉国家概念は近代産業社会を基盤として戦後成立した概念である。

 近代産業社会は次の要素からなる。

 

・家族……愛情、育児、介護機能

・組織……官庁、企業、病院、学校

・市場……消費、労働、金融

・地域社会

国民国家

・社会階層……階級、身分は、不平等の構造化、結果である。

 

 著者は、こうした要素は相互に交流しているが、福祉の担い手となる核は家族と国家であると考える。

 

 2

 政府により策定されたゴールド・プラン、新ゴールド・プラン、介護保険は、これまで家族が担ってきた高齢者介護が、もはや成り立たなくなったことを国が認めた点で革新的だった。

 福祉国家とは、医療・年金・福祉という社会保障制度を通して、国家が家族の中に入っていく制度である。

 核家族化が進むにつれて、親世代をその子供が扶養することは当然ではなくなった。その理由は次の3つである。

 

・高齢者の増加

核家族、単身世帯の増加

・女性の就労増加

 

 社会学者や、保守派のなかには、日本はイエ制度を持つ特殊な国であり、家制度により社会保障は解決できると主張する者もいるが、それは誤りである。

 近代産業社会の発展に伴い……子供の数は少なく、高齢者の数は多く、その寿命は長く、家族は小さく、単身者は多く、専業主婦は少なく、女性の発言力は大きくなった。

 家族の機能縮小……「家族の失敗」により、国家が福祉の範囲を増大させた。

 では、新保守主義にみられる「小さな政府」志向は、どう評価すればいいのか。

 

 ――……介護サービスを市場メカニズムにゆだねることは、ごく少数の高所得家族を除いて、一般の人びとの介護サービスへのアクセスを不可能にする。医療サービスや年金サービスにおけると同様、介護サービスに国家・自治体が乗り出さざるを得なくなった理由は、ここにある。これが、介護の分野に社会保険が登場するにいたった事情である。

 

 3

 福祉国家形成の歴史……独、英、米

 ドイツ:史上初の福祉国家政策を実行した国であり、ビスマルクは、労働者がマルクス主義に吸収されるのを防ぐため、各種保険制度を整備した。

 戦後の西ドイツは、アルマックが「社会的市場経済」を唱え、社会的に制御された市場経済の中に福祉を位置づけた。

 イギリス:1911ロイド・ジョージの時代に国民保険法を成立させ、戦後、ケインズ経済学を基盤として福祉制度が整備された。これは「ケインズ―べヴァリッジ主義的福祉国家」と呼ばれる。

 マーシャルはシチズンシップを市民権(市民としての権利と自由)、政治権(政治参加の権利)、社会権(最低限の所得保障の権利)とに分けた。

 社会権を達成するための政策(社会保障、保健医療、住居教育等)が、社会政策である。

 アメリカ:個人責任主義が根強く、福祉国家ではない。しかし、研究は行われていた。80年代からは、福祉国家の危機が叫ばれるようになった。

 

 4

 70年代に入り、経済成長の鈍化とスタグフレーションが起こり、ケインズ経済学は影響力を失った。代わって、ハイエクフリードマンらの新自由主義が登場した。

 福祉国家の危機に対し、論者たちはどのように対応したか。

 

・ミュルダール:ノルウェーの経済学者であり、福祉国家思想の提唱者。

・コーポラティズム福祉国家:墺、スウェーデン

エスピン―アンデルセンの研究:福祉国家の型は各国の歴史により異なる。

 リベラル型(アメリカ)、保守主義型(ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア)、社会民主主義型(北欧)

 北欧福祉国家の理論家ミュルダールと、エスピン―アンデルセンによる研究について。

 

 5

 日本の産業化は西欧より遅れてやってきたが、福祉については、必ずしも遅れをとったとはいえない。

 戦前には、官民それぞれの健康保険、年金保険、農民の健康保険の制度枠組みが成立していた。

 1961年に国民皆保険、国民皆年金が施行された。

 1973年「福祉元年」、給付額や制度の大幅拡大。

 1982年、石油危機以降のスタグフレーションと不況に対応できず、福祉見直しが始まった。

 日本は、リベラル型、コーポラティズム型、社会民主主義型のいずれにもあてはまらない。著者は、これを主体性や長期的な目標の欠如と考え、日本が各国に影響を受けながら行き当たりばったりの福祉政策を続けてきた結果とみる。

 よって、現状を再認識し、どのような福祉国家制度をつくるか考えなければならないと著者は書く。ここでは、具体的にどのような方策をやれという提案はない。

 ただし、変質した家族形態を補完できるのは(市場や地域社会、自助努力ではなく)国家しかないというのが著者の考えである。