――およそ百篇の物語をつらねて、仏教のアウトラインを描き出そうとするのが、この本の企画である。
100話は仏陀の生涯を分割したもので、5つに区分けされる。
1 生涯の前半……出家~
2 教説:実践的なもの
3 教説:思想的原理
4 生涯の後半から死まで
5 その他の有名な物語
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1
舞台……サーヴァッティ郊外のジェータ林の精舎とは、祇園精舎のことである。また、仏陀が正覚した場所はウルヴェーラー村の、ネーランジャラー河のほとりである。
仏陀は、比丘(出家者)たちに説教し、道を教える。
コーサラ国の釈迦(サーキヤ)族、太陽の裔が、仏陀の出身である。
仏陀は出家し、悟りを開いた(正覚)。それは、縁起の法である。
縁起の法とは存在の法則である。生があるから老死がある。
仏陀の課題は、老死と苦だった。それらは生から生じる(苦は縁生なり)。
過去の正覚者がたどった正しい道、八正道を実践すること。
仏陀は悟りを開き、伝道に努めた。
仏教は内観すなわち自己探求の教えである。
悪魔(マーラ)は自分の内側におり、誘惑をする。
仏陀とは、全能の救済者ではなく、導師である。かれはただ道を教えるだけである。
2
仏陀の教説のなかには、アスラやインドラ、パジャパティといったヒンドゥー教の神々も登場する。
――僧伽(そうぎゃ)すなわち仏教教団においては、すべての者が、相たずさえておなじ聖なる道をたどる仲間であり、友達である。……僧伽が、三宝の1つとして、仏陀や、その教法とともに、仏教との最高の尊敬と帰依をいたすべき対象とせられる所以は、その他ではないのである。この「善き友」のつどいなくしては、この聖なる道の実践は成り得ないからである。
不放逸が根本の道である。不放逸とは、集中と持続に焦点を置いた努力・精進をいう。
政治にかかわろうとする意志は、誘惑として退けられる。
――かれは、ただちに、真理と理想に向かって通ずる聖者の道が、貪欲と汚濁のなかをゆく王者の道と、まったく異質のものであることを看破することを得たのである。
3
貪、じん、痴(とんじんち)とは、むさぼり、いかり、おろかさの三毒である。
――いかりは、ひとたびその炎にやかれるとき、一挙にしてその人を台無しにしてしまうからである。
慈悲の心をもつことは生易しいものではない。
解脱して涅槃にいたるとは、死んで昇天するものとはまったく違う。この世にあって煩悩の炎に焼かれている状態から、煩悩の根本を断ち切り、清らかにして安らかな人生がおとずれること、理想の境地をいう。
無常を知ること。
――志の至らざることは、無常を思わざる故なり。
正見とは、物事をありのままに、曇りのない心で観ることをいう。
・不害、不殺生(アヒンサー)
4
デーヴァダッタ(提婆達多)は、仏陀のいとこであり高弟だったが、教団を受け継いで指導者になりたいという野望を抱くに至った(名利は自己を滅ぼす)。
かれは破僧となり、仏陀暗殺を何度も試みた。
仏陀の死は般涅槃(はつねはん)と呼ばれる。
――この世のことはすべて壊法である。放逸なることなくして精進するがよい。これが、わたしの最後のことばである。
仏陀は荼毘に付せられ、遺骨は分配され、舎利塔が建てられた(仏骨八分)。
5
・闇と光……卑しい家に生まれるとは闇であり、罪業によるものである。
・群盲の象を撫でるがごとし。
・凶暴な盗賊アングリマーラが改心し、比丘となった話。
・六波羅蜜
・鬼子母……人の子をさらって殺すハーリティが改心する。
・一夜賢者の偈。
――過去、そはすでに捨てられたり。未来、そはいまだ到らざるなり。……ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ。
・中道
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出典……「パーリ五部」