うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ハッカーズ』スティーブン・レビー

 コンピュータ黎明期の歴史と、「ハッカーズ」、プログラマーたちに焦点を当てた本。

 コンピュータやインターネット、ゲームの歴史を網羅しているのではなく、当時活躍したハッカーたちの倫理と、その倫理が組織化、商業化によって失われていく過程を描いている。

 

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 1 50年代、60年代:第1世代

 ピーター・サムソン、アラン・コウトクらはMIT(マサチューセッツ工科大学)において、大学のコンピュータや電話システムをいじって遊んだ。

 かれら学生たちは好奇心に基づいて技術を追求し、そこから「ハック」の文化が生まれた。ハックとは、革新的で、かっこよく、高度なテクニックを駆使していなければならなかった。

 当時、コンピュータは計算道具でしかなく、科学の対象とはみなされていなかった。

・TX‐0、IBM709

ジョン・マッカーシーマービン・ミンスキー

 

 ハッカーの倫理とは……

 ――コンピュータへのアクセス、加えて、何であれ、世界の機能の仕方について教えてくれるものへのアクセスは無制限かつ全面的でなければならない。実地体験の要求を決して拒んではならない!

 ――情報はすべて自由に利用できなければならない。

 ――権威を信用するな――反中央集権を進めよう。

 ――ハッカーは、成績、年齢、人種、地位のような、まやかしの基準ではなく、そのハッキングによって判断されなければならない。

 ――芸術や美をコンピュータで作り出すことは可能である。

 ――コンピュータは人生をよいほうに変える。

 

 チェス・プログラムの開発は、コンピュータ言語であるFORTRANとアセンブリ言語機械語の混用により行われた。

 デジタル・イクイップメント・コーポレーション社(DEC社)のPDP‐1というマシンが導入され、さらに開発が進められた。この機械は、ハッカー文化の発祥となった。

 一方、IBMは既に大企業であり、官僚主義的な文化がハッカーたちからは嫌われた。

 

・MITの学生スティーブ・ラッセルを中心に、PDP‐1で動作するゲーム「宇宙戦争」が作られた。

・コンピュータ音楽……プログラムに戻づいてバッハが演奏された。

・リチャード・グリーンブラットと「数学ハッカー」ビル・ゴスパー

 

 ――反直観的解決は、ハッキングが究極に基づいている数値的関係の無限の曼陀羅の中にある、物と物との魔術的関連を深く理解することから生まれる。そのような数値的関係を見出すこと、究極的には新しい数学を打ち立てることが、ゴスパーの目指す聖称となる運命にあった。

 

 60年代初めには、国防総省もまた高度研究計画局(ARPA)を中心にコンピュータ技術の研究を開始しており、MITにもコンピュータを供与した。

 

 ――たとえ錠のおりたドアの向こうに何の道具もないとしても、錠は官僚支配の権力、結局はハッカー倫理の完全な実現を阻止するために行使される権力を象徴していた。

 

 タイムシェアリングシステムは、複数ユーザでコンピュータを同時に利用するシステムである。ハッカーたちは、パスワードや規制で縛られたCTSSシステムを嫌い、ITSというより自由なタイムシェアリングシステムを構築した。

 ハッカーたちは、官僚主義、パスワードといった管理機構を嫌った。

 ハッカーたちのほとんどはベトナム戦争に反対していたが、一方コンピュータ開発の資金は国防総省から与えられていた。

 

 ――ハッカーたちは、上機嫌で、情報の自由な流れ、反中央集権、コンピュータ民主主義を根底に置いた、簡潔でわかりやすい、新時代の哲学を作り出していた。

 ――しかし、反軍部の抗議者たちは、いわゆる理想主義が結局、国防総省という戦争マシンにとって役立つものである以上、そんな哲学はごまかしだと考えた。

 

 MITの研究センター出身のハッカーたちは、産業界や別の計算機センターに移籍することが多かった。

 スタンフォードAIラボ(SAIL)では、特にコンピュータ・ゲーム開発が盛んになった。

 各大学の研究所は、ARPANETによって連接されており、ハッカー文化を実践していた。

 ビル・ゴスパーは、イギリスの数学者コンウェイが開発したLIFEゲームにおいて、パターン発見に貢献した。

 かれは、ハッカー文化を適用しないNASAによるロケット打ち上げを見学し、自分たちの弱点を認識した。

 

 ――ぼくたちが、やったことは、面白いものもあったが、社会性がないと指摘された。ぼくたちは、素晴らしい文化をもった、ユートピア的な環境ですごしてきたんだなあと、実感したよ。

 

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 2 70年代:ハードウェア・ハッカー

 ハードウェア・ハッカーたちは、コンピュータとコンピューティングをより身近にし、人びとに解放するという使命感を抱いていた。

 リー・フェルゼンシュタイン、エフレム・リプキンは、どちらも左翼的傾向、リベラル傾向を持っており、テクノロジーが軍事と戦争に用いられるのを嫌悪した。

 

 MITS社のエド・ロバーツは、インテル社の開発したマイクロプロセッサを使い、「オルテア8800」というミニコンピュータを販売した。

 オルテアは箱にランプがついただけの原始的な機械であり、販売当初はまだ生産さえしていない状態だった。しかし、個人で扱える点、基盤や周辺機器を拡張できる点が魅力となり、多くの愛好家を呼び寄せた。

 フレッド・ムーア、ボブ・アルブレヒトによってつくられた愛好家たちの「ホームブルー・クラブ」は、巨大化していった。

 

 ビル・ゲイツポール・アレンは、オルテア用のBASICソフトウェアを作り、ロバーツに渡した。しかしビル・ゲイツは、自分たちの開発したソフトウェアが、無償で複製配布されることに納得がいかず、抗議した。

 友人同士だったスティーブ・ウォズニャック(ヒューレットパッカード社勤務)とスティーブ・ジョブズ(アタリ社勤務)は、ホームブルー・クラブでの交流をしながら、自分たちでコンピュータ、「アップル」、「アップル2」を製造・販売した。
 「アップル2」は、マイクロコンピュータ、パーソナルコンピュータの歴史を変えることになった。

 

 クラブのメンバーであり雑誌編集者のジム・ウォーレンは、1977年にWCCF(West Coast Computer Fair)を開催した。アップル社のPCが展示され、大きな注目を浴びた。

 マイクロコンピュータ産業は急激に成長し、またコンピュータも身近な存在となった。その過程で、ハッカー文化と、ビジネスとの軋轢が生じた。

 

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 3 80年代:ゲームハッカー

 ケン、ロバータ夫妻が立ち上げたゲーム会社、シエラ・オンライン社を中心に物語は進む。

 80年代になると、ハッカーたちはソフトウェア、特にゲーム開発に夢中になった。シエラ社やブローダーバンド社、シリウス社といったゲーム会社は、多くのスターハッカーを抱え、次々とヒット作を販売し、富を手に入れた。

 しかし、ゲーム産業が巨大化していくのにあわせて、会社もまた官僚組織化、商業化していき、ハッカーたちは息苦しさを感じ始めた。

 情報を共有し、自由と個性を尊重するハッカー倫理は否定され、労働者、技師、規則に従うプログラマーが求められるようになった。

 

・妻ロバータが作ったアドベンチャー「ミステリーハウス」、「魔法使いとお姫様」は莫大な売り上げを稼いだ。ウィリアムズ夫妻は、シエラ社を成長させていくが、その過程で初期のハッカーたちの離心を招いた。

・ジョン・ハリスはアタリ800版「フロッガー」を制作し、莫大な印税を手にした。

・ヒット作……「ソフトポルノ」、リチャード・ガリオットの「ウルティマ」、「ダーククリスタル」「ロードランナー」等。

 

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 4 終章

 商業化と秘密主義、パスワードの波は、MITにも訪れた。AIラボのコンピュータにはセキュリティ方針が導入され、またLISP言語は会社製品となった。

 リチャード・ストールマンは自らを最後の真正ハッカーと称し、開かれた編集プログラムEMACS等を開発し、また自由なOS共有を趣旨とするGNU運動を創始した。

 

ハッカーズ

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