パスカルの残した護教論・エッセイで、広く知られた格言(クレオパトラの鼻云々)が含まれる。
難しい用語が使われているわけではないが、一読して意味がわかりにくい箇所が多い。
わたしが本当に理解できたのはごく一部にすぎない。
特にキリスト教の教義に関する章は、知識のない人間には難しい。もともと、キリスト教擁護のために書かれたものであり、宗教についての記述が多い。
・人間の偉大さは自ら考える点にある。それが、物や獣とは違うところである。
・しかし、人間は同時に卑しい側面を持つ。
・キリスト教を信じることなしに真理を得ることはできない。
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1 精神と文体
・繊細な精神とは何か。
・雄弁……相手を説得するには、相手が感心を抱き、自ら反省するようしむけること。話を聞く人の身になってみること。
2 神なき人間の惨めさ
――外的な事物についての学問は、苦しいときに、道徳についての私の無知を慰めてはくれないだろう。ところが徳性についての学問は、外的な学問についての私の無知をいつも慰めてくれるだろう。
――人は真人間になることは教えられないで、それ以外のことをみな教え込まれる。……彼らが知っているといって得意がるのは、彼らが教えられたことのない、ただ1つのことについてだけである。
人間の、特にみじめな性質について。人間には気晴らしが必要であり、それは王であっても貧民であっても変わらない。
――人間は、死と不幸と無知とをいやすことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした。
しかし気晴らしは自分自身について考えることから逃げることでしかない。
虚栄心を持たない人間はいない。だれでも、ほめられたがり、評価されたがっている。
3 賭け
神を信じたほうがよいという説得。
無限に対する執着。
4 信仰
神について知らなくても、神を信じることができる、という弁護。
5 正義と現象
自然法は存在するが、理性はすべてを腐敗させてしまった。
――そこで、正しいものを見いだせないために、人は強いものを見いだした、等々。
――正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。
――このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。
――人はなぜ古い法律や古い意見に従うのか。それらが最も健全であるからなのか。いな、それらがそれぞれ1つしかなく、多様性の根をわれわれから取り除いてくれるからである。
身分制について。
――人は、船の舵をとるために、船客のなかでいちばん家柄のいい者を選んだりはしない。
パスカルは、内乱や秩序の崩壊を防ぐために、たとえ正義や理性にかなっていなくとも、民衆を慣習と法律に従わせるべきであると考える。
――王たちの権力は、民衆の理性と愚かさとの上に基礎をおいている。そしてずっと多く愚かさの上にである。この世で最も偉大で重要なものが、弱さを基礎としている。そしてこの基礎は、驚くばかり確実である。なぜなら、それ以上のこと、すなわち民衆は弱いであろうという以上のことはないからである。健全な理性の上に基礎を置いているものは、はなはだ基礎が危うい。たとえば知恵の尊重などがそれである。
6
信仰の重要性、神の存在を説く。
「考える葦」の章。
――だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。
――人間は天使でも、獣でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようとおもうと、獣になってしまう。
人間の「考え」とは、偉大であると同時に、卑しいものである。
人間は名誉を求めるという卑しい本性を持っているが、しかし、人間は尊厳なしには満足できない存在でもある。
7
「神に聞け」。
人間は神に創造されたものである。
――もし人間が神のために作られたのでなければ、なぜ神にあってのみ幸福なのだろうか。もし人間が神のために作られたものでなければ、なぜこんなに神に逆らっているのだろう。
――われわれが他人から愛される値打ちがあると思うのは誤りであり、不正である。……つまり、生まれつき不正である。
――ひとりの神があるとしたら、彼のみを愛すべきであり、過ゆく被造物を愛してはならない。
人間は堕落している。
――神の国はわれわれのうちにある。普遍的な善は、われわれのうちにあって、われわれ自身であり、しかもわれわれではないものである。
人間は絶望と高慢との危険にさらされている。
8 キリスト教の基礎
9 永続性
パスカルは他宗教を虚偽として否定する。
『コーラン』は真正性に疑いがある。ユダヤ教は、キリスト教の足台である。ユダヤ教も神聖だが、キリストはさらに神聖である。
ユダヤ人は特異な民族であり、もっとも古く厳格な律法を持つ民族として賞賛される。
10 表徴
キリスト教信仰に関する細かい事項が続く。
11 預言
12 イエス・キリストの証拠
――ついで使徒たちはユダヤ人に言った、「あなたがたは呪われるであろう」また異教徒に言った、「あなたがたは神を知るようになるであろう」。
精神的な偉大と肉的な偉大について。
――精神的な人びとの偉大は、王や富者や将軍やすべて肉において偉大な人びとには見えない。
――アルキメデスは、この世の光輝はなくても、同じように尊敬されたであろう。彼は目に見える戦争はしなかった。だが、すべての精神的な人びとに、彼の発明を提供した。ああ、彼は精神的な人びとに対していかに光輝を放ったことか。
イエス・キリストは、精神的な偉大の最もたるものである。
――あらゆる物体、すなわち大空、星、大地、その王国などは、精神の最も小さいものにもおよばない。なぜなら、精神はそれらのすべてと自身とを認識するが、物体は何も認識しないからである。
さまざまな異端の説や、キリスト教否定説に反論する。
使徒詐欺師説……12人が口裏を合わせて、キリストの存在をねつ造したというもの。
13 奇跡
14 論争的断章
――真理は今の時代には漠然としており、虚偽は確立しているので、人は真理を愛さないかぎり、それを知ることはできないであろう。
――極度の権力は極度の不正である。
――人は良心によって悪をするときほど、十全にまた愉快にそれをすることはない。
――世から悪人どもを絶やすためには、彼らを殺すべきであろうか。それは一方だけでなく、双方を悪人にすることだ。「善をもって悪に勝て」