うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『北條民雄 小説随筆書簡集』

 作者は、自らの体験をもとにハンセン病(旧称は「癩病」)患者を題材にした小説を作った。

 

 各短篇の主人公はそれぞれ異なるが、物語の要素がゆるやかにつながっており、全体として施設の様子とそこで生活する患者たちの姿が浮かび上がる。

 風景の創造については、化け物屋敷、うごめく泥人形たち、膿の匂い等、おどろおどろしい要素がある。

 しかし、文章から感じられるのは完全な絶望ではない。癩病院に入れられた主人公や患者たちは、社会から排除され、人間の形を失ってもなお、命そのものが存在するのだ、と考える。

 癩患者に対する処置や差別を告発するという意図は明確には示されていない。

 作者は患者である前に、まず文学青年だったようだ。

 作者は若者の1人として、ロシア文学を読み、またマルクス主義に関心を持った。しかし、作中で描かれているように、癩病にかかったということで社会から隔離され、社会へ参加することができなくなった。

 そのようなとき、果たして何が意味のあることなのか。創作物、エッセイにおいて、生きている意味があるのか、死んだほうがいいのではないか、という自問自答が繰り返される。

 代表作もおもしろいが、川端康成との書簡も重要である。

 小さな個人は自分の問題……病気や個人的な事情にどのように向き合えばいいのか、また、そのような些末な個人にとって大社会とは何なのか、考えなければならない。

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 癩患者たちは存在を抑え込まれている分、生きる意義について深く考えていたのか、それとも、作者が自分の世界観を投影させたのか、事実はわからない。

 しかし、一連の作品は完全なフィクションであり、癩病院と患者たちの強烈な図像と、強力な台詞から成り立っている。

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 「いのちの初夜

 ――あの人達は、もう人間じゃあないんですよ。……人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。……あの人達の『人間』はもう死んで亡んでしまたんです。ただ、生命だけが、ぴくぴくと生きているのです。なんという根強さでしょう。……社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。けれど、尾田さん、僕等は不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです。

 

 「道化芝居」

 夫婦の寸劇は不要と感じた。

 

 「癩を病む青年達」

 ――彼らは終日食べ物の話か女の話かで時を過ごすのであるが、しかし成瀬を興味深く思わせるのは、そうした話と同様に彼らの興味が社会事情にも向けられていることであった。社会事情といっても三面記事的な出来事よりも、国際問題がどうの岡田内閣がどうの、今度の暗殺事件はどうのと、こういう話が一度誰かの口に上ると、何時果てるかと思われるほど、彼らは眼の色を変えながら口角から泡を飛ばすのである。これはどうしたことであろうと成瀬は時々考えてみるのであるが、もはや完全に社会生活から切り離されてしまっている彼らが、どうしてこうも今の自分の生全体と無関係なことに興味を持つのか、不思議といえば不思議であった。……しかし確かに云えることは、無意識的に彼らが社会へのあこがれを蔵しているということと、現在の自己を忘れたい、自己を病室に置きたくないという欲求の表れであるということである。

 

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 ――実際私にとって、最も苛立たしいことは、われわれの苦痛が病気から始まっているということである。それは何等の社会性をも持たず、それ自体個人的であり、社会的にはわれわれが苦しむということが全然無意味だということだ。

 

 ――だから私はもう少し癩を書きたい。社会にとって無意味であっても、人間にとっては必要であるかもしれぬ。

 

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癩病院は、癩患者とその介護者等が集まってつくられたコロニーである。

・喉癩とは、喉に症状が現れたため、穴をあけて管を通して呼吸しなければならない状態である。

 

北條民雄 小説随筆書簡集 (講談社文芸文庫)

北條民雄 小説随筆書簡集 (講談社文芸文庫)