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the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Blowing up Russia』Alexander Litvinenko その1

 ソ連崩壊以降、KGBソ連国家保安委員会)がいかに権力を掌握してきたかを論じる。

 本書はロシアでは発禁とのことである。

 

 著者のリトビネンコは元FSB職員であり、暗殺指令を拒否しイギリスに亡命した。2006年に同僚に放射性物質ポロニウム210を盛られ暗殺された。

 一連の経緯は、プーチンの政敵ベレゾフスキーに近い人物が書いた『リトビネンコ暗殺』に詳しい。

リトビネンコ暗殺

リトビネンコ暗殺

 

  実行犯とされるルゴボイは国会議員に選出され、また複数の国営企業のオーナー権を与えられた。

 本書はKGB‐FSBの犯罪、特に、モスクワテロの自作自演等を明らかにする。

 

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 KGB‐FSB(ロシア連邦保安庁)と比較できる組織は、ナチスドイツのゲシュタポくらいだろう。KGBソ連崩壊と同時に共産党の統制を抜けた。複雑な組織改編と名称変更により組織の温存が試みられ、やがて国家中枢、経済を支配するようになった。

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 1

 FSBは第1次チェチェン紛争を扇動した。チェチェン共和国大統領ドゥダーエフは軍、内務省等への賄賂を使い、共和国内の武器を保有していた。

 独立宣言後、大統領警護局(FSO)長コルジャコフ、副首相ソスコヴェッツ、FSB長官バルスコフらがドゥダーエフに賄賂を要求するが、金額が折り合わず、和解の道が閉ざされた。

 FSBはチェチェン侵攻を開始した。さらに国民の支持を得るためには、チェチェン人テロリストによる大規模テロが必要だった。

 やがてFSBは元職員やマフィアを雇い、モスクワ市内での爆弾テロを起こした。

 

 2

 モスクワとモスクワ近郊のFSBは、元KGBのマフィアであるラゾフスキーやその他のマフィアと一体化し犯罪行為、経済活動に従事した。

 チェチェン紛争において、チェチェン大統領ドゥダーエフとモスクワは和解の調整を行っていた。FSBはこれを阻止するため、マフィアと元職員を使いドゥダーエフをロケット弾で殺害した。

 

 3

 ◆FSBとモスクワ・マフィアの癒着

 モスクワ犯罪捜査課(MUR)に配属されたツハイが、FSBとラゾフスキー・マフィアとの癒着を暴こうとする。

 1996年から97年にかけて、ラゾフスキーとFSBの幹部たちは、10件あまりの契約殺人や薬物、銃取引等を追及されたが、FSBは犯罪者と職員の解放に尽力した。

 ――かれ(FSB長官コバリョフ)は、秘密工作員とラゾフスキーの殺し屋との間に違いを見出すことができなかった。だからなぜシェコチキンらが怒っているかが理解できなかったのだ。

 1996年、チェチェン紛争にロシアが敗北すると、FSBは再び爆弾テロをおこし、多くの死者を出した。かれらは、テロはチェチェン人テロリストの仕業であると世論誘導に努めた。

 FSBの妨害により、ラゾフスキーは短期間服役したのみで釈放され、現役職員の犯罪案件は封印された。

 97年にツハイ捜査官は不審死した。

 

 4

 FSB長官パトルシェフについて。パトルシェフとプーチンの登場はほぼ同時期である。エリツィンは、民主的手続きで選ばれたのでない男を首相かつ後継者に任命した。併せて、プーチンの後任としてFSB長官に上番したのがパトルシェフである。

 

 5

 ◆リャザン事件

 1999年のリャザン事件は、ロシアの異様な姿を明らかにする。

 モスクワやヴォルゴドンスクでの爆弾テロに続いて、リャザンの集合住宅で何者かが爆弾をしかけている姿を通報された。

 警察の検証の結果、仕掛けられたリュックは爆薬ヘキソゲンと時限発火装置であることが判明した。

 リャザンの市民や警察、リャザン地区FSBは、官民一体の協力によりテロを未然に防止した、と全国ニュースで称えられた。

 ところが、警察の捜査と包囲網によって、実行犯の連絡相手がモスクワのFSBだったことがわかった(実行犯は、FSB本部に対して「警察がいたるところに張っていて逃げられない」と電話していた)。

 間もなく、リャザン市内で勾留された容疑者が中央の指示により釈放された。また、FSB長官パトルシェフは、「リャザンでの爆弾設置はFSBによる訓練であり、爆弾は砂糖の粉であり、また警察の使用した爆弾探知機は壊れていた」と公式発表を行った。

 それからロシア全土で贋爆弾のいたずらが繰り返され、ほとんどは無視された。

 いくつかの贋爆弾については、FSBが「現場の警察部隊を練度点検したのだ」、という声明を出した。

 しかし、発端であるリャザン事件は、訓練であるにもかかわらず統裁部やシナリオが存在せず、また盗難車を使用しており、後付の説明は支離滅裂である。

 

 リャザンの爆弾テロ未遂の翌日、プーチン首相はチェチェン首都グロズヌイへの空爆を実施している。チェチェン侵攻の口実作りのために、FSBが「チェチェン人によるテロ」を演出した可能性が高いという。

 

 [つづく]

 

Blowing up Russia: The Secret Plot to Bring Back KGB Power

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