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the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Diplomacy』Henry Kissinger その1

 国際政治の歴史をたどる本。

 著者はニクソン、フォード政権において外交を担当した人物である。アメリカ政治に深く関与した人物であり、著者の経歴や立ち位置を理解することが必要である。

 

 キッシンジャー

・1923年ドイツ・バイエルン州にて、ユダヤ系ドイツ人家庭に生まれる

ヒトラー政権成立後、家族とともにアメリカに移住

・WW2時、陸軍の語学軍曹としてヨーロッパ勤務

ニクソン政権において国家安全保障問題担当大統領補佐官

 フォード政権において国務長官を兼務

・その後、コンサルティング会社を設立

・W・ブッシュ政権の非公式アドバイザー、イラク戦争を支持

 

 

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 国際関係における世界観の変遷を、勢力均衡と理想主義の2項を軸に検討する。

 特に、アメリカがその成り立ち上、常に自国を例外ととらえ、理想と道徳に重きを置いてきた事実(実態)を説明する。

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 ◆メモ

 三十年戦争から冷戦集結までの、国際関係の紆余曲折が細かく説明される。

 キッシンジャーは、「理想主義対現実主義」、「集団安全保障対勢力均衡」という明快な軸を設定し、ヨーロッパ及び合衆国の外交が、この極の間で揺れ動いてきたと認識する。

・米国の2つの方針は、ビーコンBeacon(指針)と十字軍である。自国を理想の政治体制の指針とする一方で、他国においてもそれを実現しようとしてきた。

・21世紀には、世界は分裂する一方で、ある分野ではグローバル化を促進させるだろう。

・集団安全保障は、実際には課題が多い。諸国の利害が一致することが稀だからである。

 

 ◆メモ2

 オバマ大統領は広島演説において、核なき世界を目指すと言ったが、一方で核の配備を継続していることで非難された。

 本書を読むと、レーガンも同じような言動をしていたことがわかる。

 レーガンの場合は、「核なき世界を実現するために、核兵器の増強によって、悪の帝国を打ち倒す」という思考過程を持っており、この人物の中では首尾一貫したものだった。

 

 ◆メモ3

 アメリカは自国を特別な国であると考え、理想主義に基づいて他国に干渉してきた。その失敗例はベトナムイラクである。

 キッシンジャーは米国に固有の例外主義(exceptionalism)と理想主義(idealism)を検討し、こうした考えが時に、自国の利益や限界を無視してしまうことを警戒した。

 最大の力を持つ米国でさえ、自国の能力を超えて、夢や理想をかなえることはできない。

 日本の姿勢を考える上でも本書は参考になる。

 

 ◆メモ4

 ニクソン時代、自らが関わっていた所謂「汚い」外交活動……ピノチェトのクーデタ支援等にはほとんど言及されていない。

 レーガン政権に対しては、イラン・コントラ事件等を指して、「目的が手段を正当化できるのだろうか」とコメントしているが、キッシンジャーもまた目的(米国の国益と勢力均衡)のために道義と人命を犠牲にしている。

 チョムスキーや、映画『ミッシング』(コスタ・ガヴラス監督)がかれを非難するのはもっともである。

 

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 ◆米国外交の軸

 米国は、自国の民主主義を模範として示すか、もしくは積極的に他国に干渉し民主主義を伝道するかの間を揺れ動いてきた。

 建国以降、米国は「諸国の自己利益追求が調和を生む」とする勢力均衡を否定してきた。

 モンローは、ヨーロッパへの介入を否定する一方で、西半球すなわち米大陸への他国の介入を断固として拒絶した。

・セオドア・ルーズヴェルトは、ヨーロッパの伝統的な国際関係である勢力均衡を目指した。現世に生きる軍人政治家と評される。

・ウィルソンは、民主主義の力、道徳の力に基づく国家の共同体形成を目標とした。理想世界の実現を目指す預言者・宣教者と評される。

 

 米国の方向性を定めたのはウィルソンだった。ウィルソンの理想主義は、今日の米国でも形を変えて生き続けている。

 かれは、次のように考えた。

・民主主義が平和を生む。諸国は理想の体制である米国を指標とすべきである。

・国家は自己利益ではなく倫理と道徳に基づいて行動すべきである。

・米国の、第1次大戦参戦は、誤ったドイツの君主制を打倒し、民主主義と協調に基づく国際平和を築くためにおこなわれた。

・欧州の勢力均衡は否定されるべきであり、国際機構による集団安全保障が必要である。

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 ◆三十年戦争国益の誕生

・ヨーロッパは、三十年戦争を境に普遍性の世界から均衡の世界へ移行した。本章では勢力均衡に基づく国家外交のおこりを説明する。

神聖ローマ帝国は、地上を神の下に統治するという理念に基づいて運営された。狂信者フェルディナンド2世は、ドイツの新興プロテスタント諸国に対して戦争を開始した。

・フランス枢機卿リシュリューは、そのようなキリスト教理念ではなく「国家理性(raison d'etat)」を問題とした。

 宗教的な理想ではなく、フランスの国益を守るため、国内でプロテスタントを弾圧する一方、ハプスブルク家に対抗しドイツのプロテスタント諸国を支援した。

オラニエ公ウィレム、ピット首相は、英国の利益に基づいてその都度同盟を結んだが、ヨーロッパの覇権争いからは距離を置いた。

 

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 ◆ウィーン体制

 ナポレオン追放後、オーストリア宰相メッテルニヒの主導によりウィーン体制がつくられた。この体制は、クリミア戦争を挟んで長期の間、大戦争を抑止することに成功した。

メッテルニヒ保守主義反革命)の価値観を提唱することで、独墺露の協調、特にロシアのニコライⅠ世による拡大主義を抑制した。

・イギリスは大陸に対して不干渉を維持し、他国との同盟を結ばなかった。自国の権益が脅かされる場合は介入した。よって英国はウィーン会議以降の会議にも公式参加しなかった。

・英国は状況に応じて独立運動・反動主義の双方を支持した。他国の政治体制には干渉せず、また自分たちの議会制を広めるという考えも存在しなかった。

 この点が、アメリカと異なる。

・独墺露の協調が崩れ、トルコにおける独立運動をめぐって露仏が対立したとき、各国の均衡状態が崩れた。
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[つづく]

Diplomacy (A Touchstone book)

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