うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『詳解 独ソ戦全史』グランツ、ハウス その2

 ◆1942.11~1943.12

・1942.10月、北アフリカ軍が壊滅したことで、ヒトラーは東部戦線から戦力を引き抜かねばならなかった。また、絶えず西からの侵攻を恐れており、このため赤軍が優位に立った。

・1943年から始まった連合国による爆撃は、ドイツの輸送機、戦闘機を損耗させた。

・合衆国からソ連に対しての武器貸与法は、主に原料、トラック、個人装備で大きな貢献を果たした。

 1943.7月クルスクの戦い……ソ連の物量と戦術が勝利した。

 

 ――……クルスク戦以降、ドイツ側は東部戦線での戦略上の主導権を保持することができなくなり、中部ロシアの広大な地域がソ連側の手に帰した――これらの地域は復興に最低でも10年は必要と思われるほど荒廃したが。

 

 過小評価されがちなのが、兵器と兵科を統合した作戦を編み出していった赤軍の士官たちである。

 ドイツ軍はヒトラーの直接指揮により失敗を繰り返していた。

 

・「スペツナズ」はソ連の各部隊に配置された牽制・偵察隊のこと。

ソ連ナショナリズムに訴え共産主義イデオロギーを抑制したのに対し、ドイツ軍は士気を保持するため、国家社会主義イデオロギー教育を強化した。

 

 ◆1944.1~1945.5

 独ソ両軍はどちらも人員不足に悩まされた。

 年末年始にかけて、ウクライナレニングラードクリミア半島ソ連によって奪取された。また、ヒトラーマンシュタインとクライストを解任した。

バグラチオン作戦……1944年夏から、ベラルーシを進撃しドイツ中央軍集団を撃破するもの。ドイツ中央軍集団は壊滅し、赤軍は東プロイセンポーランドにまで達した。

 6月、連合国軍がノルマンディーから上陸し、7月にはヒトラー暗殺未遂が起こった。

 1944年の夏から秋にかけて、ドイツはポーランドを奪われ、またルーマニアソ連に寝返り、フィンランドはカレリアを奪われた時点で休戦協定を結んだ。ドイツの同盟国はハンガリーだけになった。

 1944年11月、バルジの戦い=アルデンヌ攻勢が行われ、ドイツ軍の西側反撃は失敗した。

 

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 まとめ……

ヒトラーを倒した貢献者はジューコフ、ヴァシレフスキー、ソヴィエト市民である。

 

ソ連国民の犠牲者数は第2次大戦でも突出している。

 ――これに相当する被害と努力を払ったのは、1931年以来ほとんど途切れることなく日本から攻撃されてきた中国だけである。

 

ドイツ国防軍の死者および捕虜1348万人のうち1075万人が東部戦線で発生した。

・戦争が進むに従い、ドイツ軍の練度は低下し、ヒトラーの介入によって自主性も失われていった。一方、赤軍は大粛清とスターリンの失敗命令から立ち直り、優れた指揮官たちによる電撃戦が確立していった。

 

・ドイツによる侵略は、ソ連に恐怖と国防への傾倒を刻み込んだ。

 

 ――勝利の果実を守り、将来もあらゆる攻撃を未然に排除しようとの決意こそが、逆にモスクワ政府にとっては実に厄介な重荷となった。この決意と膨大な軍事支出と拙劣な対外干渉とが1つになって、ソ連経済、ひいてはソビエト国家に悲運をもたらすことになる恒久的な障害になったのである。

 

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 赤軍高級指揮官について

・シャポーシニコフ……トゥハチェフスキーの後任として参謀総長となる。粛清に協力したため生き延びた。1940年冬戦争の責任を取り辞任するが、ドイツ侵攻後再任。1942年以降は一線を離れる。

ティモシェンコ……内戦時代からの軍人、ソ連邦元帥。国防人民委員、STAVKA委員、スターリングラード戦線司令官。

・ブジョンヌイ……ソ連邦元帥。

ジューコフ……ソ連邦元帥。活躍によりスターリンにねたまれる。

・ヴァシレフスキー……ソ連邦元帥。参謀総長として作戦を統制する。スターリングラード攻防戦バグラチオン作戦で活躍。対日参戦。

・アントーノフ……上級大将、参謀総長

・コーネフ……ソ連邦元帥、ジューコフの副官として勤務。ベルリンの戦いでジューコフとともに競争する。

・ロコソフスキー……ソ連邦元帥。

・メレツコフ……ソ連邦元帥。対日参戦。

・バグラミオン……

マリノフスキー……ソ連邦元帥。対日参戦。

 

詳解 独ソ戦全史―「史上最大の地上戦」の実像 戦略・戦術分析 (学研M文庫)

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