うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『パウル・ツェラン詩文集』

 代表的な詩とすべての詩論を収録した本。

 詩の翻訳はいくつか読んだことがあり、大変印象に残っている。

 

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 有名な「死のフーガ」をまた読んだところ、以前よりホロコーストの風景が露骨に表現されているように感じた。

 

 ――彼は口笛を吹いて自分のユダヤ人どもを呼び出す地面に墓を掘らせる

   彼は僕らに命令する奏でろさあダンスの曲だ

 ――男はベルトの拳銃をつかむそれを振りまわす男の眼は青い

 

 「ストレッタ」では断片的な言葉が連なっていく。

 「ぼくらにさしだされた」には、星の様子がある。

 

 ――ぼくらにさしだされた

   これほどおびただしい星。ぼくは

   あなたを見つめていたあのころ――いつ?――

   外の、ほかの

   世界にいた。

 

 「頌歌」は前も読んだとおもうがやはり言葉の選択に感心する。何かよくわからないものを称えていることくらいしか読み取れない。

 

 ――誰でもないものがぼくらをふたたび土と粘土からこねあげる、

   誰でもないものがぼくらの塵に呪文を唱える。

   誰でもないものが。

 ――ひとつの無で

   ぼくらはあった、ぼくらはある、ぼくらは

   ありつづけるだろう、花咲きながら――

   無の、誰でもないものの

   薔薇。

 

 一定の動詞を、過去形、現在形、未来形と繰り返す様式は他の作でも使われているが、未来永劫を意味しているのだろうか。

 

 「糸の太陽たち」……

 ――糸の太陽たち、

   灰黒色の荒蕪の地の上方に。

   ひとつの

   樹木の高さの想いが、

   その光の色調を

   とらえる――

   まだ歌える歌がある、

   人間の

   彼方に。

 

 異質な言葉の組み合わせや、断片のような作はシュルレアリスムと似たものを感じる。

 

 「時がきた」……

 ――時がきた――

   脳の鎌が、きらめきながら、

   空をわたりあるく、

   胆汁質の天体をぞろりひきつれて、

   反磁気が、支配する者が、

   なりわたる。

 

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 ◆詩論

 ツェランは、「語るために、自分を方向づけるために、自分の居場所を知り、自分がどこへ向かうのかを知るために、自分に現実を設けるために」詩を書いた。

 

 ――詩は言葉の一形態であり、その本質上対話的なものである以上、いつの日にかはどこかの岸辺に――おそらくは心の岸辺に――流れつくという(かならずしもいつも期待にみちてはいない)信念の下に投げこまれる投壜通信のようなものかもしれません。詩は、このような意味でも、途上にあるものです――何かを目指すものです。……語り掛けることのできる「あなた」、語り掛けることのできる現実をめざしているのです。

 

 「子午線」はビューヒナーへの言及から始まるが、理解しにくい。

 詩は語りかけるもの、自己主張するものである。

 詩は、あらゆる比喩やメタファーが不条理に運用される場所である。

 エドガー・ジュネの絵に触発された非現実的な文章。

 

 ――ここにいるぼく、こういったことをなにもかもきみにいえるぼく、いえるはずだったぼく、きみにいえないぼく、きみにいえなかったぼく、ぼく、――……あの日々のぼく、ここにいるぼく、かなたにいるぼく、愛することのなかったものらの愛におそらく――いま!――つきそわれて、この山頂のぼくまでの道をたどって来たぼく。

 

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 『デア・シュピーゲル』に答えたアンケートでは、いかなる革命と変革も個人の内側において発生すると書かれている。

 

パウル・ツェラン詩文集

パウル・ツェラン詩文集