うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ダーウィンの危険な思想』デネット その4

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 道徳と進化の関わりについて考える。

 道徳の起源を論じた学者として、ホッブズニーチェに言及する。

 ニーチェダーウィンの影響を受けているが、同時代の社会ダーウィニズムについては厳しく批判した。

 ニーチェは、道徳が成立することによって、それ以前の良い、悪いの価値観が逆転してしまったと説明する。

 ――つまり、弱者を力によって支配していた「貴族たち」は、「僧侶たち」による狡猾な詐術によって、これまでと入れ替わってしまった価値を採用させられたのであり、結局のところ強者の残虐性はこの「徳性における奴隷の反乱」によって強者自身に振り向けられるところとなって、ついに強者は、みずから自己を鎮圧・教化するところまでもっていかれてしまったのだ……。

 

 現代哲学においては、「である」から「べし」を引き出すことができないとされている。それは自然主義的誤謬といわれる。

 人間の徳性の起源のすべてを遺伝学的理由に求めることはできない。

 同時に、人間は生物学的な本能からまったく解放されており、文化によってすべての規範をつくることができる、というのも誤りである。現状は、文化が人間の習性における大きなクレーンとなっているのが判明しているだけである。

 

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 物理や数学の法則と異なり、普遍的な倫理規則が確立したことはない。

 本章では、功利主義的な道徳と、カント的な道徳の比較から行う。

 倫理的意思決定にとって、適切なアルゴリズムの発見は、進化論から検討すると困難である。

 

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 生命の進化のみならず、人間がデザイン空間を探索する様子、つまり文化もまた貴重である。宗教については、その多様性を尊重しつつ、害悪となる部分(ここでの例は人権侵害や暴力)だけを削っていくような発展が必要である。

 現在、宗教は博物館や動物園、図書館と同様の文化的遺構になりつつある。また、悪い環境にいる一部の者は狂信主義にかりたてられている。

 しかし、宗教をはじめとする文化は尊いものである。ダーウィンの危険な思想のとおり、人間の由来が単純なアルゴリズムの集積であっても、「この世は聖なるものであるのだ」。

 

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 本書の主張……

 生命の進化はアルゴリズムの集積(クレーン)であり、それは人間と人間の精神機能にもあてはまる。しかし、そこに神や偉大な力が介在していないからといって、とるにたらないものである、ということにはならない。

 人間の文化、宗教、その他創造物は、過去の人びとがデザイン空間を探索して作り上げた習性である。こうした文化的産物のために、人間は生物的本能によって完全に拘束されることを免れている。

 宗教の害悪に注目し、存在自体を否定的にとらえたドーキンスとは異なり、デネットは宗教の意義に注目し、その保護にも理解を示す。

 ダーウィンの思想は健在だが、誤った用法や準用がされることが多い。よって、ダーウィン主義については慎重に取り扱うことが必要である。

 特に、ダーウィン主義が人間にまつわる価値や意義の否定であるとされることの多い合衆国に向けて、強調されているようだ。

 

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化