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『ダーウィンの危険な思想』デネット その2

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 現在の生命の形は、DNA配列により可能な無数の形の中のごく一部に過ぎない。それらは、盲目的で無作為な過程によってつくられた生物学的秩序である。

 種は非行為者であり、自然淘汰が様々な問題を解決していく。デザインは知性を必要とするが、それは「一連の巨大なネットワーク状のアルゴリズムのプロセス」である。

 化石や残骸から進化の道筋をたどる作業と、紙片や断片からプラトンのオリジナルの文章を復活させる作業とは、よく似ている。

 ダーウィン自身が、自分の研究と文献学者やプラトン学者たちの方法が相似している点を指摘している。

 人間の文化と生物の遺伝には類似点がある。文化的伝播の単位として「ミーム」という概念が作られた。

 よって、生物と同様、人間の文化的な要素もすべて自然淘汰と進化の現象によって形成されたと考えることもできる。

 それがダーウィンの危険な思想である。

 

 2部 生物学におけるダーウィン流の思考

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 最初の生物はウイルスのような疑似生物であったに違いない。それは粘土のような構造であり、DNAのそれぞれ異なる組み合わせが徐々に発達していき、生物の原型、つまり自己複製装置になったと考えられる。

 コンウェイの開発したライフゲームは、単純な原理から複雑な仕組みが誕生する現象をシミュレーションする。

 宇宙の起源や、時間が無限なのか有限なのかといった話題については、本書は結論を避けている。

 いずれにせよ、生命の発生や宇宙の発生に、神の存在の根拠を求めることはできない。

 

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 ダーウィン以降の生物学と工学は密接につながっている。DNAの構造は歴史的偶然によって生まれた。また、自然淘汰においては左右対称形が有利となるが、このことが、結果として左右対称生物の繁栄につながった。

 そもそも生物の定義も、後から自然淘汰の結果を見て定めたものである。このため、生物の起源を発見するのは難しい。

 生命であるとは言いきれない作用、働きの発生が、ウイルスの行動に見いだせる。

 単なる動作が徐々に変化していき、指向性を持つにいたる。

 ――(心とは)奇跡のマシンなどではなく、巨大な、半分デザインされたところから自らをデザインし直す、より小さなマシンたちの融合体である。

 ウイルスは危険な因子だが、わたしたちはウイルスと同様の小さなマシンが合体してできている。

 自然淘汰は予測不可能である。また、生物の完成形やDNAから、個々の部位の目的や意図を探るのは困難である。特に、製造過程でのみ使われる機能は、完成形からは推測が困難である。

 

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 適応主義は進化生物学の中心となる概念である。すなわち、最適状態への、環境が課した問題に対する最適解状態への自然淘汰が、すべての形質を形成するとする仮説である。

 あらゆる部位や機能にその存在理由や由来をこじつけてしまうのが、適応主義の問題である。しかし、自然淘汰が適応主義によって確立した点は疑いようがない。

 進化論とゲーム理論を結び付ける洞察においては、各エージェントの合理的原理が、他の、無意識で非反省的なエージェントにも影響を与えることが示される。

 進化論においては、ESS(進化的に安定な戦略)が有名である。すなわち、自らのコピーに対してうまく対処できる戦略をいう。

 ノイマンは、利他的行動には進化上の強制力がないため、手に入れるのが難しいと言った。

 

[つづく] 

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化