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『Rationalism in Politics and Other Essays』Michael Oakeshott その1

 イギリスの政治学者オークショットの代表的なエッセイを集めたもの。

 近代以降の政治思想を、合理主義という観点から見直す。

 伝統や慣習の価値を再検討し、フランス革命ロシア革命のような政治を否定する。オークショットの保守主義は、地道な改善、修正をよしとする。

 

 1 理性と政治生活における行為

 ◆政治における合理主義

 合理主義者の立ち位置とは、理性のみを重んじ、いかなる伝統、習俗、慣習も退け、ただ理性の強力な機能のみが事物を理解し、本質をつかむことができる、というものである。

 合理主義は日常生活から学問、政治まで、あらゆる分野において浸透した。合理主義が近代ヨーロッパの政治を分析する上でのかぎとなる。

 合理主義者にとって、政治とは問題解決であり、あらゆる不足や過ちは理性の適用によって克服される。合理主義者にとっては伝統や習性は排除対象である。

 かれらの政治において特徴的なのは完全性と一様性である。理性は完全な答えを導き出せるため、合理主義に基づく解決とは完璧な解決策である。そして、それはあらゆる環境下で普遍的に作用しなければならない。

 近代の政治思想、政治運動のほとんどが、合理主義の末裔である。

 合理主義の起源は、人間の知識についての教義にある。オークショットは知識を次の2種類に定義する。すなわち、技術的知識Technical Knowledgeと、実践的知識Practical Knowledeである。

 技術的知識は言語化が可能であり、公式として適用できる知識をいう。対して、実践的知識は、言語で説明することができず、またルールとして明示することができない知識である。実践的知識は通常、伝統や慣習として現れる。

 絵画や音楽の技術、発明と科学研究の技術、政治の技術、料理、詩作、建築、あらゆる分野の知識は、技術的知識と実践的知識の複合物である。

 合理主義者は、知識はすべて技術的知識であると考える。実践的知識は、かれらにとっては旧習でしかない。「理性による支配」とは、「技術による支配」である。

 なぜ合理主義者が技術的知識を重視するかといえば、それはかれらが確実性を絶対視するためである。技術とはゲームのルールであり、目的と意図が明確であり、機械的に活用できるものだ。

 ところが、合理主義者の過程には間違いがある。技術的知識だけからなる知識というものは存在しない。また、技術的知識は白紙から生まれるのではなく、必ず伝統や慣習の影響を受けている。また、知識を扱う者の基礎が、その習得に際し影響する。

 この論考の目的は、技術支配の時代がいかなるものか、人間理性に絶対的信頼を置くとがどういう意味か、合理主義がどのようにヨーロッパ政治に影響したか、を分析することにある。

 17世紀、ベーコンとデカルトは方法論の探求を行った。その弟子たちは、かれらの方法論を極端に推し進め、技術的知識のみが知識であると考えた。

 パスカルはこうした思潮を否定した。しかし、合理主義はその後のヨーロッパの主流となった。

 政治的合理主義は、政治的経験のない人間のための政治である。その先駆はマキャヴェリで、彼は新興君主のための統治方法論を説いた。技術的知識のみの政治とは、政治経験のない人間のためのカンニングペーパーである。それは伝統を否定し、抽象的な原則を掲げるものである。

 代表的なものはロックの著作や、アメリカの独立宣言、フランス人権宣言等である。

 あらゆる伝統や慣習は否定され、理性に基づくイデオロギーこそが普遍原則として適用される。そこでは実践的知識は無視され、排除される。

 ところが、このような抽象的な知識は実用からはほど遠いものだった。多くの合理主義者が本を投げ捨てて自分の経験に基づいて統治を始めてしまった。

 政治における合理主義は、実践的知識から学ぶことができず、技術的知識の間違いを認めることができない。かれは、ある合理主義から別の合理主義に乗り換えるだけである。また、合理主義的教育は、教育を一様化してしまう。家族教育、徒弟教育は技術訓練によって亡ぼされた。

 道徳、道徳教育は、合理主義の前に敗北した。

 

 [つづく]

Rationalism in Politics and Other Essays

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