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うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『検察の正義』郷原信郎

 検察官として勤務した経験をもとに、検察の構造、問題点等を説明する。

 

 1

 著者は東大理学部を出て三井金属鉱山に入社したのち、官僚的な雰囲気に幻滅し退社、2年かけて司法試験に合格し検事となった。

 検察の特殊部として公安部と特捜部があり、著者は数年の勤務の後、公安部に配属され、過激派活動家の起訴、取調べを担当した。その後、特捜部への支援や、特捜部での勤務を通じて、検察の問題点を発見した。

 刑事部・公判部では、警察から送致された案件を起訴するか不起訴するかを決定する。検察個人の裁量が利く。しかし公安部や特に特捜部では組織の論理が強く、個人が判断する余地はほとんどない。

 当時の特捜部は経済や簿記の十分な知識がないまま、特捜部という看板と強引な取調べによって無理やり事件を仕立てており、著者は失望した。

 公取委の設立に伴い独禁法違反の取り締まりを厳格化しようという動きが法務省から始まったが、検察は従来の考え方を変えず、公取委との連携に苦戦した。

 著者は、検察の「考え方を変えない」体質が、現在の適応不能状態、権威の失墜につながっていると考える。

 

 2

 日本の司法には「正義」及び「実体的真実の追求」という目的がある。法曹は真実を明らかにし不正を罰し、正義を実現しなければならないとされている。

 この考え方は普遍的ではなく、たとえば合衆国は「司法制度上の真実」を重んじる。このため社会的に効果のある解決策がとられる。

 航空機事故においては、合衆国では、供述拒否を恐れるためあらかじめパイロットは免責されており、事故防止が重視される。一方、日本ではパイロットも刑事訴追、処罰の対象となる。

 検察は日本の司法制度において起訴を独占してきた。

 これまでは、社会の外縁で起こる犯罪の解決が主任だった。このため、「検察の内部だけで判断し、何の説明も行わない、つまり「検察の正義」による全面的解決に委ねるというやり方をとることに、特に問題はなかった」。

 しかし、一般社会や経済社会に関わる問題解決には、社会が納得する判断及び説明が不可欠である。

 特捜部の得意としてきた贈収賄が社会の複雑化によって難しくなると、次は経済犯罪に注目せざるを得なくなった。しかし「悪者を捕まえる」という検察の正義は経済犯罪をうまく理解することができなかった。

 

 3

 90年代以降、政治家という巨悪と対決する正義という構図が成り立たなくなったころから、特捜部は経済犯罪の摘発に乗り出した。ところが、検察は経済や市場という方向への組織としての取り組みができておらず、結果的に迷走した。

 

 4

 経済犯罪と同じく、政治資金捜査に関しても検察は失敗する。政治資金規正法とは、政治献金を民主主義に基づいたプロセスとして考え、その資金の出所を正確に記載しなければならないと謳っている。

 検察は従来の賄賂犯罪が成立しにくくなったため、政治資金規正法を利用し、政治家のヤミ献金を標的にしようと考えた。しかし、ヤミ献金は賄賂ではなく、浄財の公開手続きの問題である。

 ――「ヤミ献金」を賄賂に近いイメージでとらえ、献金の授受を犯罪のように考えている一般の国民の認識と、実際の政治資金規正法違反の事実構成との間には大きなギャップがある。

 小沢一郎の秘書をめぐる検察の作戦は失敗となり、無罪が確定した。

 

 5

 これまで検察は政治家や経済界の大物といった「巨悪」には厳しく、警察等の身内にはやさしかった。しかし、検察控訴審議会の発足により、国民からの要請があれば検察は事件を告訴せざるを得なくなる。

 司法制度改革によって検察がこれまで独占してきた「正義」は相対化されるだろうと著者は主張する。

 検察を「日本最強の捜査機関」に押し上げたのは、造船疑獄をめぐる指揮権発動の自作自演である。

 悪者を定め、検察の組織動員によって自白を中心にストーリーを組み立てるという方法が、現代社会に適応できなくなった。近年の検察の混乱及び権威失墜はそこに原因がある。

 

 6

 終章は著者が長崎地検の長として勤務したときの苦労話である。士気の低い田舎の検察が、指揮官の運用と采配によって活気を取り戻す。また、従来の「悪者」討伐型捜査から、田舎の腐敗構造をその当事者とともに変えていこうという方針に切り替え、原告からも感謝されたという話。 

検察の正義 (ちくま新書)

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