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『Hitler and Stalin』Alan Bullock その1

 ヒトラースターリンの対比列伝。2人の独裁者を比較することにより、ナチ党ドイツとスターリン下のソ連の政治体制を違いを検討する。

 両者は、共通する点もあれば異なる点もある。どちらも、急激な社会の変化がなければ、ここまで甚大な影響を持つ地位は得られなかったのではないかと感じる。

 分量は多いが非常に読みやすく、2人の生涯と、ナチスドイツ・ソ連の歴史を知ることができる本。

 

 1 起源

 スターリンの方が10年早く生まれた。どちらも支配階級からは程遠く、またその国のなかでも辺境に生まれた(ハプスブルク領ブラウナウと、グルジア)。

 スターリンは貧乏と父親の暴力の下で育ち、また厳格な神学校でのしつけ教育を通して、感情を隠すこと、復讐を最重要目標とすること、既成の権威を敵とすることを学んだ。

 ヒトラーは比較的余裕のある小農の家庭に生まれた。かれは怠惰だったので芸術家になろうとしたが箸にも棒にもかからず、しばらくウィーンで屑のような生活を送った。そのうちに、自分のみじめな状況とドイツ民族の危機とを同一視するようになり、やがて社会主義ユダヤ人、スラブ人を憎む国粋主義者となった。

 2 経験

 スターリンは20歳のときには既に地下活動を始めていた。旧体制を憎むかれの心性はマルクス主義を受け入れた。神学校での厳しい規律と抑圧の経験、また神学に関わる学問的な訓練が、かれの著述の才能を伸ばした。主にアゼルバイジャン等のコーカサス地方において、組合のオーガナイザー、デモの煽動者として働いた。

 かれはレーニンの出版する地下図書「イスクラ」に感化され、また後にプラウダ発行に携わった。

 ヒトラーはうだつの上がらない生活をしていたが、第1次世界大戦に従軍し、兵士としては優秀な働きをした。戦場の経験はかれの人生観に良く合致した。

 すなわち、暴力と死と闘争の世界、人命が軽視され、人間がただの駒となる世界である。

 3 10月革命、11月一揆

 スターリンは革命のときに主導的な役割を果たすことができなかった。このことは後々までかれのコンプレックスとなった。総書記となってからは、革命時の自らの役割について歴史の書き換えをおこなった。

 また、NEP等の政策に批判的であり、10月革命が途中で失敗に終わったと認識し、後に集団化を実行した。

 かれはレーニンから、一意専心の性格と絶対的な自信を学んだ。それが、レーニンの持つ唯一無二の能力だった。

 ドイツは敗戦の屈辱から立ち直ることができなかった。さらに財政破綻によるフランスのルール進駐が、強烈なナショナリズムを巻き起こした。ヒトラーバイエルン州で政治演説を行い支持者を増やしていた。1923年、ワイマール政府の打倒を目指し、他の国粋主義団体やルーデンドルフらと謀りクーデターを試みる。

 4 総書記

 内戦は白軍側の無秩序が幸いしてボリシェヴィキの勝利に終わった。終結後はレーニンとトロツキーが名実ともに指導者となった。

 レーニンは戦後の混乱を乗り切るため、「権力の掌握が第1で、その後は権力の保持が第1」という信念のもと、党内の反対派を追放した。また、秘密警察を活用し社会をコントロールした。

 スターリンは、党内では4番目の地位だったが、どのように権力を奪取するかについて本能的な勘を持っていた。

 スターリンは多くの業務を請け負い、自分の担当業務を膨張させた。かれは地方の指導者たちを掌握し、また秘密警察機関を手中に収めた。

 5 ナチ党結成

 ヒトラー一揆は失敗したが、かれの行動は支持者の拡大につながった。ヒトラースターリン双方とも、武力のみによる権力掌握を回避した。

 スターリンは党機構を掌握することでレーニンの後継者となった。

 ヒトラーは合法政党として共和国の政治に進出した。かれは場面によって自分の主張や政策を変え、共和国のみじめな立場や、自分の境遇に不満を持つ幅広い層の支持を得ることに成功した。ナチ党の躍進には不況が強く影響していた。

 1930年の選挙では、共産党とナチ党がそれぞれ70議席超、100議席超と大勝利を収めた。

 ヒトラーの演説と宣伝のスタイルは、若者たちを熱狂させた。具体的な社会経済政策ではなく、精神的な鼓舞が注目を集めた。

 6 レーニンの後継者

 スターリントロツキージノヴィエフカーメネフブハーリンら政敵を追放し、自分の養成した役人であるモロトフ、ヴォロシーロフ、カガノヴィチ、ミコヤンらを登用した。

 レーニンの遺言が公開されようとしたとき、スターリンは最大の危機に陥った。遺言には、スターリンを粗野で知性に欠けると評する文言があったからである。しかし、この部分は公開されなかった。遺言をすべて公開することはトロツキーを利することになる、と他の後継者候補も考えたからである。

 ブハーリン追放後、党中央において公然と反対意見が出されることはなくなり、反対意見はすべて逸脱となった。

 1920年代には、スターリンはまだ政敵を物理的に抹消するまでには至らなかった。
 7 権力に近づくヒトラー

 1930年、1932年の国政選挙においては、ナチ党、共産党カトリック中央党等が大勝し、社会民主主義政党を脅かした。

 ナチ党の支持層は経済的、社会的階層を横断しているが、最大の基盤は古い自営業者たちである。続いて労働者たちも支持基盤となった。また、若者はこぞってナチ党に投票した。批評家によれば、「失望、愛国的なロマン主義、世代間の憎悪」がこのような現象を作りだした。

 ナチ党に限らず、共産党ナショナリズム政党等、過激派が急速に支持を集めていた。一方、社会民主党は勢力を弱めていった。

 なぜかれらがナチ党に投票したかについては、心理的な説明の方が都合がよい。

 ヒトラーは合法的(legaly)に権力を掌握した後に、民主主義と憲法を捨てるつもりであると何度も明言していた。グレーナー、パーペン、シュライヒャー、ヒンデンブルクらはかれを飼いならせると考えたため、首相の座につけた。

 グレゴール・シュトラッサーは党内組織者として力をつけており、シュライヒャーとの妥協をヒトラーに対し勧告したがヒトラーは拒否した。シュトラッサーはナチ党を分裂させる危険分子とされ失脚した。

 8 スターリンの革命

 1928年から1932年にかけて第1次5か年計画が行われた。

 1917年に続く第2の革命を達成し党の経済的基盤を築くため、スターリンは農業および工業の集団化を遂行した。富農(クラーク)、農村共同体や教会、農民、労働者、あらゆる既存の社会が党と警察の力により解体され、コルホーズへ編組された。

 ウクライナロシア革命当時から民族主義運動、独立運動が盛んであり、たびたび弾圧を受けてきた。集団化に際してはソ連からの厳しい取り立てにより大飢饉が発生した。

 農業集団化に比べ、工業化はそれほど激しい批判はされていない。

 スターリンにとっては、経済的要因よりも政治的要因が重要だった。強い意志と権力だけが不可能を可能にすることができる。かれは国際共産主義路線とNEP、漸進路線すべてを、社会主義を破壊するもの、党を分裂に導くものとして否定し、古い党員たちを追放していった。

 5か年計画はスターリンが政敵を突き落とすための道具となった。

 9 ヒトラーの革命

 スターリンヒトラーともに、体制を破壊することなしに権力を掌握した。

 ヒトラーは情報と宣伝を駆使し大衆を動員した。共産党社会民主党については存続させつつ抑圧し無力化した。カトリック中央党とは、バチカンと協定を結び吸収させた。

 政権獲得後、国家社会主義者たちの政策は結果として反革命的、資本主義的となった。ヒトラーの掲げた第1目標はドイツの再軍備、武装化であり、すべては軍隊のために行われなければならないとした。

 孤独な画家くずれとしての経験から、人びとは組織に属することを望んでいる、とヒトラーは考えた。そこで、様々な区分や趣味、所得等に応じて組織集団を作りだした。これは経済的なものではなく、あくまで政治的な集団である。

 ヒトラーは国家機構の要職にナチ党員を送り込み、国家を党に取り込んでいった。一方で、党の武装部門である突撃隊(SA)のトップであるレームとの対立は修復不可能となった。ヒトラーは突撃隊をあくまで政治的な機能として使おうと考えていたが、レームは軍隊に代わる存在にしようと企んだ。ヒトラーゲシュタポ(国家秘密警察)に対し、レームおよび突撃隊首脳部の粛清を命じた。

 1934年、長いナイフの夜と呼ばれる大規模な措置がとられ、レームら突撃隊首脳部、またシュライヒャー、グレゴール・シュトラッサーら潜在的な政敵が手続きなしにSSによって処刑された。作業は、ゲーリングヒムラーが担任した。

 

 10 スターリンヒトラーの比較

 両者はともに偏執狂の傾向を持っていたと主張する。両者ともに非支配階級の出身である。しかし、いくつかの点では対称的である。

 スターリンが味方のほとんどを信用しなかったのに対し、ヒトラーゲッベルスゲーリングヒムラーら忠臣たちを信頼し、ほぼ最後まで裏切られることがなかった。スターリンは部下や同僚を次々と粛清した。ヒトラーが手を下したのは反旗を翻したレームやグレゴール・シュトラッサーのみである。

 スターリンは娘のナジェージダと母親以外には親愛の情を示さなかった。ヒトラーは愛人エヴァ・ブラウンを付き従わせた。

 2人とも女性に対してほとんど執着せず、また人格を認めなかった。

 スターリンは党内の4番手から、党の機構を掌握して権力を奪取しなければならず、常にレーニンの影に隠れ、オリジナリティを主張しなかった。ヒトラーは党結成の初期から並ぶもののない指導者であり、自らがナチズムの思想的責任者であることを強調した。

 ヒトラースターリンにとって人間とは自分だけであり、その他の人類、文明、文化を含むあらゆるものは、政治的に価値があるかどうかだけが問題とされた。

 両者はともに党を基盤として権力を手に入れた。ソ連共産党は地下組織の性質を保持しつづけ、ナチ党は大衆政党であり続けた。

 

 秘密警察・テロ組織の独占……チェーカー(1917年から)、SS(1934年から)。

 SSやチェーカーに求められた精神要素……忠誠、服従、誠心、自己鍛錬、同胞愛、勇気。

 2人の指導者の思想について細部を分析している。

[つづく] 

Hitler and Stalin: Parallel Lives

Hitler and Stalin: Parallel Lives