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うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『古代インドの文明と社会』山崎元一

 古代インドの要素は今もなお残っているため、古代インドを理解することが、現代インドの理解にもつながる。

 王朝の変遷は複雑で、人名も覚えにくい。

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 インド亜大陸は中央のヴィンディヤー山脈を境に南北に分かれ、北においては西のインダス河流域と東のガンジス・ヤムナー河流域に分けられる。インドが完全に統一されたのはマウリヤ朝時代だけであり、それ以外は、常に諸王国が散在していた。インド全体の統一を与えているのは、ヒンドゥー教およびヴァルナ・カースト制度である。

 インダス文明については不明の点が多い。ドラヴィダ系の民族たちはインダス河流域にモヘンジョ・ダロハラッパーなどの都市国家を築いた。彼らは要塞と市街地を建設し、農耕を営んだが、武器類や墓の貧弱なことから、強大な王権は存在しなかったらしい。

 ヒンドゥー教の要素である沐浴やさまざまな神の崇拝などが、この時代に生まれた。

 ドラヴィダ系先住民が都市国家を捨てた理由は、自然環境の枯渇や、アーリア人による駆逐など諸説があり、決定していない。

 牧畜を営むアーリア人が中央アジアから南下し、インダス河、つづいてガンジス・ヤムナー河流域に定住した。はじめ彼らは、肌の色にしたがって身分を分けた。ヴァルナ(色)と呼ばれる身分制度は、バラモンクシャトリヤ、ヴァイシャとスードラ(隷属民)の区別からなる。バラモンは祭祀万能主義をかかげ世俗を支配し、これに王・戦士階級のクシャトリヤが従った。

 アーリア人は『ヴェーダ』と呼ばれる聖典をもち、バラモンがこれをつかさどった。インドの二大叙事詩、『マハーバーラタ』はこの時代のバラタ族を、『ラーマーヤナ』はコーサラ王国の王子ラーマを、それぞれ主役にすえている。

 やがて、梵我一如の思想を説く『ウパニシャッド』や、業・輪廻転生の思想が生まれた。輪廻思想によれば、各人の生まれは前世の宿命によるので、どうしようもない。

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 非正統宗教……ブッダによる仏教の創始や、ジニによるジャイナ教の創始は同一時期におこった。ジャイナ教は各地で支持を増やし、現在でも数百万の信徒を有している。ブッダも悟りを開いたあとに各地を遊行し、比丘集団が生まれた。

 バラモン教は本拠地であるガンジス河上・中流域で教義のひきしめをおこなった。あいまいになっていたヴァルナを保持するため、経済的事情のためなら下位ヴァルナの職につくことを認める制度や、不浄を清める行為を規定した。異なるヴァルナ間の結婚も、男性が上位であれば認めた。

 バラモン教において、人生は学生期、家住期、林住期、遊行期の4期に分けられる。青少年のうちに師匠に仕えるのが学生期、家長として職業に従事し、経済的・性愛的・宗教的な徳行を積むのが家住期、林野に住んで節制生活を送るのが林住期、放浪して乞食となるのが遊行期である。これを誠実に実践した人間はまれだったという。

 ペルシアはインダス河流域の諸王朝を征服した。クセルクセスの軍隊にはインド兵も含まれていたという。アレクサンドロスもインダス河に侵入し、版図を広げた。このときガンジス河を治めていたマガダ国ナンダ朝を征服しようとたくらむが、部下の反対にあい撤退する。

 シュードラによって興起されたナンダ朝を滅ぼしたのはチャンドラグプタである。チャンドラグプタは参謀カウティリャの助力を得てマウリヤ朝をおこし、首都をパータリプトラに定めた。

 チャンドラグプタは強大な軍事力によってインドの大部分を征服した。3代目のアショーカ王は、暴君から敬虔な仏教徒に転じ、ダルマ(真理)に基づいた統治をおこなった。南インドのカリンガを征服するなど、王朝は繁栄したが、同時に彼の仏教政策は軍事力の低下、財政の逼迫を招き、死後まもなく王朝は滅亡した。

 マウリヤ朝がインド史上最大の領土を得られたのは、ガンジス河流域の技術・文明がほかの地域より発展していたことによる。この利点は、王朝が確立して地域間の格差がなくなると消えてしまい、太守たちの分裂にいたった。

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 マウリヤ朝滅亡後、インド・ギリシア人王朝が一時期栄えた。ミリンダ王(メナンドロス)は僧侶ナーガセーナとの論争に敗れ仏教に改修した。

 インド・ギリシア人王朝が滅びると、シャカ族やパフラヴァ族などが中央アジアから侵入した。

 中央アジア一世紀から二世紀にかけて、クシャーナ帝国が西北インドから中央アジアにわたる広範囲を支配した。カニシュカ王が有名であり、彼はさまざまな宗教を容認し、金貨を鋳造する際、イラン系の神、ギリシア系の神、インドの神(シヴァなど)を意匠に用いた。

 この間、南インドではドラヴィダ系のサータヴァーハナ朝が栄えた。ほかの諸部族もそれぞれ貨幣をつくった。クシャーナ朝の時代には東西交易が盛んであり、ローマ金貨もそのまま利用された。

 バラモン教のもつ『マヌ法典』はいまでもヴァルナ・カースト制度の維持に影響をおよぼしている。

 ガンジス河流域において、チャンドラグプタ1世がグプタ朝をおこし栄えるが、エフタルの侵入によって6世紀には滅んだ。

 グプタ朝の王としては三代目の超日王が有名である。

 グプタ朝において古典文化が栄えた。精巧な金貨がつくられ、詩神カーリダーサがサンスクリット語によって『シャクンタラー』などの作品を著し、ヒンドゥー教の基盤もこのころに確立した。

 ヒンドゥー教はバラモン教が土俗信仰をとりこむことで徐々に形成された。

 グプタ朝滅亡の五五〇年からイスラム王朝成立の一二〇六年まで、インドは群雄割拠の時代がつづく。ハルシャヴァルダナ王は玄奘をむかえ、玄宗皇帝と通信した。インダス河流域ではラージプート諸王国が割拠した。

 

 8世紀にはウマイヤ朝パンジャブ地方を侵略するがインド諸侯の抵抗や内紛によって撤退する。11世紀にはマフムード率いるアフガンのガズニ王朝がたびたび侵略をおこない、富を略奪した。

 

 南インドでもいくつかの王朝が興亡を繰り返す。

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 ――インドでは、カーストを「生まれ」を意味するジャーティという語で呼んできた。つまり「生まれを同じくする者の集団」という意味である。この集団を十六世紀にポルトガル人が、自国語で家柄、血統を意味するカスタという語で呼び、これがカーストという呼称の起源となった。

 九世紀から一二世紀にかけて、密教的なタントリズムが流行した。これは女性の性的エネルギー(シャクティ)を重視し、カーリー、ドゥルガーなどの恐ろしい女神を祀り、夜な夜な乱交などをおこなう宗派である。タントリズムは仏教にも取り入れられ、密教が生まれた。

 仏教は都市の衰退とカースト制度との衝突のために次第に支持を失い、イスラムの侵入によってインドから消滅した。

 20世紀初頭になると、アンベードカルによる仏教復興運動がおこなわれ、現在はジャイナ教を超える信徒を有している。

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 仏教はスリランカチベットに伝播した。また、中央アジアは東の中国よりは、西方諸国の影響が濃い。これは中国の西域政策が軍隊の駐屯に限定され、文化的なかかわりが薄かったことによる。 

世界の歴史 3 古代インドの文明と社会 (中公文庫 S 22-3)

世界の歴史 3 古代インドの文明と社会 (中公文庫 S 22-3)