うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ゴルギアス』プラトン

 弁論とは何かについて。プラトンの善に対する強烈な思い入れが感じられる。

 

 ◆メモ

 『ゴルギアス』はソフィストゴルギアスソクラテスらの対話である。

 ゴルギアスは「すぐれた弁論術」をもつ弁論家である。弁論術とは「言論について」(p.17)の技術である。弁論術においては「……手仕事でなされることはひとつもなくて、その技術の働きと、そしてその目的の達成とは、すべて言論を通してなされる」(p.19)。これが弁論術の性質だが、では弁論術の対象はなにかというと、「説得をつくりだすこと」(p.27)である。

 知識と信念はknowledgeとopoinionをさす。信念には真と偽があるが、知識とは真のものである。

 数論や医術といった知識をもとにした説得と異なり、ソクラテスによれば、弁論術は信念によって説得させる技術である。

 ――その説得とは、正と不正について、そのことを教えて理解させるのではなく、たんに信じこませることになるような、そういう説得のようですね。(p.34)

 弁論術は、「真実」たる知識とは関係がない。ソクラテスはこの点を批判する。ゴルギアスは、「弁論の心得」の大きな力を強調する。

「弁論家は、どんな人たちを向こうに廻してでも、またどんな事柄についてでも、弁じる能力をもった人間である」。

 ソクラテスは、知識ではなく信念を扱うだけの弁論術を否定する。

 ソクラテスの説……知識とは真実についての知識をいう。知識を知るものはそれを実践する。

「それではまた、その理屈に従うと、正しいことを学んだ者も、正しい人になるのではありませんか」(p.48)。

 ここにソクラテスプラトンの思い込みがあるのではないか。

 

 ソクラテスは、弁論術はそもそも技術ではない、経験であると言う。喜びや快楽をつくりだす経験という点において、料理術と同じである。料理術や弁論術の定義は、ソクラテスがもつ世界観を示している。

 ――それは、技術の名に値するような仕事ではないが、しかし、機を見るのに敏で、押しがつよくて、人びととの応対に生まれつきすごい腕前を見せるような精神の持主が、行うところの仕事なのです……わたしとしては、迎合(コラケイアー)と呼んでいるのです。(p.57)

 料理術は、医術の影にかくれて身体に快楽を与え、身体をあざむく。同じように、弁論術は、政治の影にかくれて魂に快楽を与え、魂をあざむき、さも魂が善の状態にあるかのようにおもわせる。これが「迎合」である。ソクラテスによれば、これは醜いことなのだ。

 快・不快は、善悪とは関係のないものとしてとらえられる。世俗権力も善悪とは別のものである。

 ソクラテスの善悪についての見解……世界には絶対的な善悪の基準があり、すべてのものは善悪に分類される。いわく「真理は決して反駁されない」(p.87)。善の目的のために使われれば、歩行や石といったそれ自体は中間的なものも善になる。

 

 独裁者や弁論家は、善と思い込んで悪をなしているから、自分の望みどおりのことを実践できていない。つまり、「大きな力」がない。

 ――立派な善き人が、男でも女でも、幸福であるし、反対に、不正で邪悪な者は不幸である、というのがぼくの主張だからね。(p.80)

 

 知識の理論……ソクラテスは知識と信念を厳しく区分けするので、ゴルギアスの仲間ポロスの議論にたやすく同意しない。

「君は論証の力でぼくが同意せざるをえないようにしているのではなく、ぼくに対して偽りの証言をする人たちを数多く持ち出すことによって、ぼくの財産である真理から、ぼくを追い出そうとかかっている」(p.84)。

 ラッセルによれば、プラトンは演繹および論証を重視する。そのため、論証からは導けない単純な事実(fact)に関する問題……たとえば化学変化、天体の動きや、この『ゴルギアス』にあるような、隣国の王の行状がよいかよくないかという問題については、まともな判断を下すことができなくなってしまう。

 一方で、善悪は価値判断の問題であり、事実の真偽とはかかわりがない。だから、ソクラテスは善悪の論証において比ゆ・例え・類推を多用する。これは、彼の主張の説得力が、事実ではなく見かけ上のもっともらしさに依存することを示している。

 

 正しいことと美しいこと……正しいことは美しいことであり、快いことであり、利益がある。いっぽう、正しくないことは醜いことであり、害悪をともなう。ここでいう快・不快と、利益・害悪は、いずれも善悪についていっているのであり、たとえば料理がおいしいとか拷問が痛いとかは、ソクラテスが作中で主張しているように、魂と身体をあざむく表面的なものにすぎず、善悪とは関係がない。

 プラトンソクラテスが弁論術を批判する理由は、つぎのような台詞に集約される。

 ――……この人たちもまた、市民たちの機嫌をとることのほうへすっかり傾いてしまっていて、そうして、自分たちの個人的な利益のためには、公共のことは無視しながら、まるで子供にでも対するような態度で、市民大衆につき合い、ただもう彼らの機嫌をとろうと努めるだけであって、そうすることがしかし、彼らを一層よい人間にするのか、あるいはより悪い人間にするのかという、その点については、少しも考慮を払わないものなのかね。(p.179)

 ソクラテスは、政治家の役割は以下のようなものだと発言する。

 ――欲望のいうとおりにならずに、それの方向を向けかえて、説得なり強制なりによって、市民たちがよりすぐれた者になるはずのところへ、その欲望を導いて行く……(pp.221-222)

 「人びとに対しても、神々に対しても、不正なことは何一つ」言わず、行わず、自分自身を助けるならば、それは立派なことである。「魂が数々の悪業で充たされたまま、ハデスの国へ赴くのは、ありとあらゆる不幸のうちでも、一番ひどい不幸」である。

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ゴルギアス (岩波文庫)

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