うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Mohammed and Charlemagne』Henri Pirenne

 イスラム帝国の成立が、ヨーロッパ世界を誕生させたと主張する本。著者のアンリ・ピレンヌはベルギーの歴史家で、本書は死後の1937年に刊行されたとのこと。

 「ムハンマドなくしてシャルルマーニュなし」という命題が、マルク・ブロックらアナール学派に影響を与えたという。

 

 1部 イスラム以前の西ヨーロッパ

 1 ゲルマン侵攻以前の西ヨーロッパにおける地中海文明の継続性

 ローマ帝国は地中海の産物であり、学問、宗教、商業等、すべては地中海のほとりで繁栄した。地中海は海上交通によってつながっていた。

 西ローマは衰退し、5世紀からゲルマン族らの侵攻に悩まされた。東からやってきたフン族に押し出されてローマを侵攻する、マイナーなゲルマン民族の王が多数出てきて読み辛い。

 ゲルマン人の浸透によっても、ローマ帝国領のローマ性は残され、ゲルマン化は表層に留まった。ゲルマン人ローマ帝国の文明にあこがれを抱き、同化した。

 西ゴート族東ゴート族ヴァンダル族ブルグント族等は続々とローマの文明を受け入れたため、ゲルマンの風習は、現在ほとんど残されていない。

 フランク王国メロヴィング朝と他のゲルマンの王の特徴は絶対主義的、世俗主義的であることであり、政府の力の源は財宝と徴税だった。これはローマまたはビザンチンの特徴でもある。

 後のシャルルマーニュの時代と異なり、王らは宗教的な権力基盤を頼りにしなかった。

 6世紀、東ローマ皇帝ユスティニアヌスは帝国の版図を一時復活させた。その後、叛乱に手を焼く東ローマのすきをついて、ロンバルド族がイタリアに侵入した。かれらはゲルマンの風習を完全に残していた。しかし7世紀にはかれらもローマ化された。

 地中海は東ローマ帝国の支配下にあり、キリスト教とローマ文明は地中海全域を覆った。

 2 侵攻後の経済社会状況と地中海の導き

 ゲルマン侵攻後も、ローマ的な状況は保持された。大土地所有が継続し、地中海を拠点として交易が盛んだった。シリア人、ギリシャ人、ユダヤ人は各地に定着し商売を行った。

 ユダヤ人は各地で迫害を受けた。

 東方からは香辛料、油、パピルスその他の文物が輸入された。西方に対しては奴隷や織物等を輸出した。地中海沿岸の大都市、またゲルマンの地では南方に大きな港湾都市が維持され、専門的な商人たちが貿易を担い、港や関税は組織化された。小規模な市場が発達するのはカロリング朝以後であり、7世紀、8世紀においては古代の広域経済が保たれていた。

 ローマ金貨を用いた貨幣制度はゲルマン侵攻後もかれらによって維持された。ただし、ブリテン島においては南部のみで用いられ、北部では、アングロサクソン人は銀を用いた。

 貨幣は金融にも利用され、そこでは利子が合法だった。古代は自然経済ではない。貨幣の取扱や鋳造にはユダヤ人が多数を占めていた。

 3 侵攻後の知的生活

 ギリシア、ローマ文化が保存された。

 2部 イスラムカロリング朝

 1 地中海におけるイスラム拡大

 イスラム侵攻はゲルマンの侵入と異なり地中海世界を一変させた。イスラム帝国の領土は未だにその影響を保ち続けている。

 8世紀、9世紀には、イスラム国の拡大により西地中海がイスラム化された。海上交通は途絶え、海には海賊が蔓延した。それに伴い、ゲルマン地方への商品の流通もなくなった。

 8世紀以降のヨーロッパ内陸部には、パピルスや香辛料の記述が全くない。

 結論……イスラム拡大により東西の交易は消滅した。

 2 カロリング朝のクーデタと教皇権の転換

 3 中世の始まり

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 イスラム勢力がスペインとアフリカを支配したことにより、古代の勢力図が変わった。教皇はヨーロッパ一帯に影響を及ぼすことができなくなり、フランク王国シャルルマーニュが西方キリスト教の覇者となった。

 ムハンマドがいなければシャルルマーニュは現れなかっただろう。7世紀には、ローマは東の帝国となり、フランクは西の帝国となった。

 カロリング朝は中世の始まりであり、西方キリスト教国として残った。

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 3の1

 カロリング朝の時代には専門的な商人は消え、東西の交易がなくなった。貨幣の利用も衰退し、交換が主な経済手段となった。スペインに住むユダヤ人は貿易の担い手となり、フランク王国においてもユダヤ人商人が重宝された。

 政治形態

 6、7世紀のメロヴィング朝と、8世紀以後のカロリング朝との間には大きな隔たりがある。

 メロヴィング朝ローマ皇帝に似た絶対的な専制君主制であり、行政機構は世俗的、官僚的だった。財政面の失敗は、王権から力を奪った。

 カロリング朝の王は最大の地主である。また、教会は王位を保証した。

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 知的生活

 地中海交易が終わると、フランク王国におけるラテン文化は衰退した。メロヴィング朝においては、ラテン語の読み書きを行う貴族や役人がいた。カロリング朝の時代には、文字文化はすべて教会が独占するようになった。教会のみが教育を担い、僧侶のみが読み書きを利用した。

 中世は農業と軍事力の時代だった。

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 結論

 ゲルマンの侵攻はローマ帝国の文明にほとんど影響しなかった。地中海文明の終わりと中世の始まりは、イスラムの急激な拡大によってもたらされた。 

Mohammed and Charlemagne

Mohammed and Charlemagne