うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『虚飾の帝国』デヴィッド・キャナダイン

 本書の目的……イギリスとその帝国が間違いなく形成する「全体的な相互システム」として、両者の歴史に取り組むこと。同時に、イギリス帝国の社会のつくりを提示すること。

 イギリス帝国は、「イギリスの社会構造を世界の最果てまで拡大しようとした原動力だったこと、イギリスの社会認識を世界の最果てまで提示しようとした装置だったこと」を本書は説明する。

 これまでは別のものとして語られがちだった本国と帝国をつなげようとする。

 1 開始

 イギリス帝国について論じる際に持ちだされる「優れた」イギリス対「劣った」東洋・アフリカという図式には欠点がある。当時のイギリス人は自分たちを「一般に、階層化された序列という、継ぎ目のない網を特徴とする不平等な社会に属するもの」と考えていた。

 帝国主義者の人種主義は、そのまま帝国の階層意識を反映したものである。

 ――なぜ帝国の「原住民」は集団的に劣等な者とみなされたのか。それは「原住民」とはイギリスの「価値のない貧民」がそのまま海外にいるようなものとみなされたからである。

 イギリスには階級を重視する、人種主義とは別の強い傾向があった。

 ――以下本書では……、社会的威光としてのヒエラルキーの概念を従来の歴史家たちが一般に認めていたよりも物事の中心に据えて、イギリス帝国を叙述してみる。

 イギリス帝国は君主制の崇拝によって支えられていた。19世紀には、統治階級の強化のため、爵位制度が整備された。

 イギリス社会の複製をつくる企画が、アメリカでは失敗した。

 2 諸地域

 自治領とはカナダ、ニュージーランド、オーストラリア、英領南アフリカを指す。これら自治領では、本国にならい、序列ある階層社会の構築が進められた。

 第1次大戦後には、ケニア等に貴族・地主階級が移住し、伝統的な封建生活を維持しようとした。イギリス植民地は伝統と階層を、アメリカ合衆国は民主主義と平等を体現している、とアンソニー・トロロプは考えた。

 インド社会は、イギリス階層社会の類似物とみなされた。イギリス人はカースト制度をイギリスの階級と同様の区分として扱った。

 ――イギリス人は、まさにインド社会のこの階層的でバーク的で農村的なイメージの上に、直接的であるのと同時に間接的でもあり、権威主義的であるのと同時に協調主義的でもあるが、つねに伝統とヒエラルキーの強化と保全をよしとする統治システムを構築した。

 社会的序列は官職が決定的となり、順位は厳格に管理された。

 インドは、産業革命により失われつつあった階級社会をいまだ保持している国として、憧れの対象ともなった。

 ――……「イギリスが統治するインド」は、「帝国ばかりかイギリス自身の模範として存在していた」。自らの産業都市・民主主義秩序に不満を持つ、本国社会にいる人びとの好奇心は、スエズの東では依然健在のすばらしく伝統的なヒエラルキーと思われるもののおかげで満たされたのである。

 植民地……アジア、アフリカにおいても、インドの藩王領と同じく、現地の社会秩序を保存する統治法がとられた。イギリス人は現地の支配階級を尊重し、同じ仲間として扱った。

 第1次大戦後、中東で生まれた委任統治領は、大英帝国の最後の獲得地である。

 3 帝国全体

 イギリス帝国は、装飾主義(Ornamentalism)によって、すなわち、叙勲、位階、序列、紋章、礼式、行事等によって社会秩序をつくり、帝国を1つにつなげていった。

 厖大な量の勲章がつくられ、総督や帝国のスルタン、藩王、首長らが女王の臣下となった。皇帝を頂点とする階層の王国が達成されたかのようにみえた。

 しかし、やがてこの序列は崩壊した。イギリス人が公的な地位を与えた現地の指導者層には指導力がなく、中流階級や平民たちは不満を抱いた。産業が発展するにつれ中流層の不満が高まり、また、レーニン主義に影響を受けた民族主義者たちが台頭した。

 スルタンや首長たちも、表面的にはイギリス帝国に服従しながら、陰で反抗した。

 旧自治領はやがて本国と距離を置くようになり、コモンウェルス成立後は、イギリス型の階級社会ではなく、アメリカ型の民主主義、平等的な社会を目指すようになった。

 インドでは国民会議派が勝利し、英帝国及び藩王たちに象徴される階級、叙勲、ヒエラルキーは拒否された。

 概してイギリス人は、階級の低い新しい民族主義者たちと協力することができず、旧い指導者層といっしょに淘汰されることになった。

 叙勲制度は縮小され、20世紀後半以後は、外交官等にしか与えられなくなった。また、帝国の縮小に合わせて本国における階級社会も縮小していった。1960年代以降、イギリスは政治的、経済的にも力を失った。国内の社会構造も変化した。

 4 終焉

 イギリス帝国と、地位と階層に基づく社会は消えたが、その残片はまだ各所で見られる。現在の独立国の指導者は、名家の出身であることが多く、帝国時代の様式は、行事や装飾に残されている。また、コモンウェルスは形を変えて残っている。

虚飾の帝国―オリエンタリズムからオーナメンタリズムへ

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