うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『若き将軍の朝鮮戦争』白善ヨップ

 韓国軍人が書いた自伝で、朝鮮戦争期の韓国軍について知ることができる。また、著者は植民地時代には日本軍人として勤務しているため、当時の日本、日本軍の様子についても言及されている。

 韓国も合衆国との複雑な関係に悩まされている国であり、日本の歴史を検討する上でも参考になるのではないか。

 

 白スニョップ将軍は平壌の貧しい家で生まれ、日本軍に入隊した。解放後は、韓国軍の将軍として朝鮮戦争に参加した。米軍との共同作戦を通じて将軍は多くの教訓を得た。

 北朝鮮の侵略から、巻き返し、中国軍の介入、停戦協定まで、自身の経験を細かく書いている。

 陸軍参謀総長になり、戦争が終結すると退役し、外交官として長年勤務した。その後、交通部(国交省にあたる)、国策企業の顧問として韓国の成長に貢献した。

 この本は将軍自身の日本語で書かれている。軍事用語は今でも自衛隊で使われているものが多い。

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 日本の軍国主義について……

 元気な男の子はみなチャンバラや戦争ごっこが好きで、教練は軍事を一般社会に浸透させる上で重要な役目を果たした。

 ――敗戦後、日本人の多くは、「一部の軍国主義者が日本を引っ張っていった」と弁解したが、決してそうではないと思う。結果は敗戦であっても、日本は北は北緯52度、南は南緯10度、東はほぼ日付変更線、西は東経95度までを制圧したのである。これほど巨大な軍事力は、一部の者が旗をふっただけで建設できるものではない。

 日本軍と米軍について……

 ――もっとも強く感じたことは、日本陸軍では兵士と高級将校との関係が疎遠であったことである。中隊長までの将校は、下士官や兵士と密着して勤務していたが、大隊長など佐官になると、当番兵以外の兵士と接する機会はほとんどなかったのではあるまいか。

 ――アメリカ軍を見てまず驚いたのは、一番忙しくしているのは指揮官、とくに将官で、いつもヒマそうにしているのは新兵だったことである。この点は日本軍とは正反対であった。韓国戦争勃発時、マッカーサー元帥は70歳だったが、ジープに乗ってこまめに戦線を歩いた。

 日本軍の高級軍人が権威主義に陥っていたのに対し、米軍指揮官は頻繁に現場を見てまわっていたという。

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 白将軍はいったんは情報局長として保全隊のような調査業務に携わる。軍内の怪しい人物の素性経歴を調べ、スパイを摘発する仕事である。

 その後、指揮官となり米軍と共同作戦を行う。

 米軍は航空支援を実施するが、うまく連携が取れず、将軍は次のように考えたという。

 ――「それにしても、自分の国は自分の手で守るしかないな。やはり外国の軍隊は当てにならない」迅速に来援してくれたアメリカ軍には申し訳なかったが、こちらのほうが本音であった。

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 連合軍司令官マッカーサー、リッジウェイ、ヴァンフリートと交代していく。白将軍は特にヴァンフリートから多くを学んだ。

 ――「まずはスタッフや隷下指揮官のいうことをよく聞く耳をもつこと。そしてイエスかノーかをはっきりさせることだ。どうにでも解釈できる曖昧な答えはいけない。難しい問題ならば早急に結論を出さず、一晩よく寝てから回答しなさい。人前で怒ってもいけない。そうすれば参謀総長であれなんであれ、その職責を果たすことができるものだ」。

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 日本軍の敗因と人事について

 バーク提督のことば……「日本海軍の敗因ですか……それはおおむね人事の問題に帰結するのではないでしょうか。人事が硬直していたと聞いておりますよ」

 白将軍は次のように書く。

 ――いかなる組織でもそうだが、軍の場合は人事がすべてといっても過言ではないくらい重要である。階級の昇任と補職、両面からの人事は非常に難しいものである。ドライに割り切るアメリカ軍でも、人事は面倒なことのようであった。階級は、単に昇進させればよいわけではなく……

若き将軍の朝鮮戦争 - 白善ヨップ回顧録

若き将軍の朝鮮戦争 - 白善ヨップ回顧録